ひとりで解ける、でも──
「問題、出すよー!」
そう言って、陽キャ男子──二年の**遠野駿**がホワイトボードにマーカーを走らせる。
【例題】
AB=ACの二等辺三角形ABCがある。点DはBC上にあり、AD⊥BC。
このとき、△ABDと△ACDが合同であることを証明せよ。
「中学生でも解けるけど、油断すると詰まるやつ。スタートぉ!」
わいわいと騒ぎながら、先輩たちはノートを開いた。
紅葉は、静かに後ろの椅子に座り、黙って問題を読む。
「………簡単だ。三平方、じゃなくて、合同条件。角と辺、ね」
彼女の中では、解法が滑るように流れていく。
それはまるで、自分の体温で湯が湧くような、あたたかくも自然な感覚だった。
ペンを取る。
式を書く。
三角形の形を、頭の中でくるくる回して──証明終了。
「……できた」
声に出してみたが、誰も聞いていない。
先輩たちは、あーでもないこーでもないと議論している。
紅葉は、自分のノートをそっと閉じた。
(あの人たちは、“一緒に考える”ことをしてる……)
紅葉は、いつもひとりで解いてきた。
学校の授業も、宿題も、模試も、ひとりで黙って答えを出してきた。
でも今目の前にあるのは、「時間をかけて議論し合う数学」だった。
「……真城さん、できたの?」
隣にいた二年の女子──**日下**が、ぼそりと聞いてくる。
髪は肩につく程度、無表情のまま。
「はい。書けました。たぶん合ってると……思います」
「見せて。……ふーん、合同条件は辺と角ね。うん、正攻法。
でも、わたしは角の二等分線から攻めたかったな。遠回りだけど、面白いでしょ?」
「……遠回り、ですか?」
「数学って、寄り道が一番おもしろいよ。
それを“答えにしないと”って思い込んでたら、たぶんどっかで飽きる」
日下はそう言って、ほんの少し笑った。
紅葉は戸惑った。
“寄り道”なんて、数学にあるんだろうか。
部活が終わる頃、紅葉はそっとノートの最後のページに書き足した。
「一人で解ける。でも、一緒に考えるって、何か違う答えが見えるのかもしれない」
……寄り道は、間違いじゃないのかもしれない。