わたしを見ていたのは、あなただったの?
2学期初週・文化祭準備期間
「今年の数学部は“数理脱出ゲーム”をやります!」
部長の遠野が、唐突に宣言した。
「ルールは簡単。
数学的パズルを解いて“部室から脱出”する形式で、
クイズの答えが鍵の番号になるんだ。
来場者向けだから、難易度は“数学興味レベル中”ってとこかな」
「そのシナリオと構成を、1年ペアに1部屋ずつ任せたいんだけど──
真城&葵ペア、いける?」
葵が即答する。「もちろん!」
紅葉は、ほんの一瞬だけ、ためらった。
放課後・準備会議(紅葉&葵)
「じゃあ、シナリオはわたしが作ってみるね。
紅葉は“数式ギミック”の設計、お願い」
「うん、わかった」
パズルのテーマは──「消失した素数」。
ふたりは、図書館と部室を行き来しながら、
それぞれの作業を進めていく。
──だが、そこで起きた、小さな歪み。
葵の作ったストーリーが、感情重視・物語先行型だったことに、
紅葉は違和感を覚えた。
「この展開、感情に寄りすぎてる。
論理の“筋”が弱いかも……」
「……じゃあ、紅葉が書き直す?」
葵の声が、少しだけ棘を含んでいた。
翌日。放課後の部室。
紅葉が書き直した案に、葵は無言で目を通す。
「……すごく、きれい。筋道もちゃんと立ってる」
「ありがとう」
「でも、これじゃ“心が動かない”」
「……」
ふたりの間に、沈黙が流れる。
そのとき。
「……やっぱり、“紅葉は”わたしじゃなくて、
ああいう人と組んだほうがよかったんじゃない?」
葵の声が、小さく震えていた。
「“十河くん”みたいな」
紅葉は、驚いたように顔を上げた。
「……葵、それは違う。わたしが今ここで組んでるのは、あなただよ」
「でも、目が、こっちを見てないときがある」
「……ごめん。
わたし、視線の向け方、まだよくわからない。
でも、“一緒に考えたい”って思ったのは、葵なんだよ」
葵は俯いたまま、ゆっくり息を吸い込む。
「……なら、もう一回だけ、わたしの話、ちゃんと聞いてよ。
感情から組み立てる“ストーリー数学”ってやつ」
「……うん。教えて」
翌週、文化祭当日。
「数理脱出ゲーム:消失した素数」
来場者の多くが驚いた。
パズルの難易度はほどよく、そして何より──シナリオが心を動かす。
「素数が消えた世界では、人は“なにを信じる”のか──」
数の静かな美しさと、“数を感じる心”が繋がった物語。
葵の物語と、紅葉の構造美が、
はじめて、真の意味で融合した瞬間だった。
その夜、紅葉のノートにはこう綴られていた。
「正しいかどうかじゃなくて、
伝えたいって思うことから始めてもいい。
式と物語は、別々のものじゃなかった。
わたしを見てくれていた葵に、
ようやく、向き合えた気がする」