証明は、文字のかたちをしている
夏休み・第一週目。午前10時。
紅葉は図書館の静かな一角で、1冊の和綴じ本を開いていた。
『江戸期の算額と筆記文化』──古典的な数学書と書の交差点を扱った研究書。
彼女がこの夏に選んだテーマは、
「証明と書の構造的美」。
「証明は論理の線。書は感情の線。
二つの線は、本当に交わらないのか──」
静かな好奇心が、紅葉の中に芽生えていた。
数日後。部室。
「紅葉、それマジでやるの? 数学で“書道”扱うの?」
と、日下が眉をひそめる。
「うん。江戸時代の“算額”っていうのがあってね、
神社に問題と解法を絵馬みたいに書いて奉納してたの。
それが、“美しく書かれていた”っていう資料を読んで……」
「へぇ……じゃあ、現代の証明も“美しく書ける”ってこと?」
「それを確かめたいんだ。論理と感情の両立……できるかどうか」
葵がその会話を、黙って聞いていた。
翌週。葵の部屋。
「葵、これ見てほしくて……」と紅葉がノートを持ってきた。
そこには、紅葉の手書きで丁寧にレイアウトされた一つの証明が。
【命題】
任意の自然数 n に対して、n³ − n は3の倍数である。
【証明(整然とした筆記体で)】
n³ − n = n(n−1)(n+1) は連続する3つの整数の積だから……
葵は目を見張った。
計算は整っていた。でもそれ以上に、“美しく書こう”とする意志が伝わってきた。
「なんか……詩みたいだね。
数学って、こんなに“味わう”ものだったんだ」
「……そう言ってもらえると、嬉しい」
少しだけ、ふたりの間にあったわだかまりがほどけていく音がした。
夏の終わり。文化発表に向けた準備。
紅葉の研究は、実際の算額の複写とともに、
「証明文の書き写し展示+書道的表現」のプレゼンへと進化していく。
そこに、日下と葵も合流することに。
日下は「数学的構造美」の解説担当、
葵は「数と言葉の融合」のナレーションを担うことになった。
「証明は、論理の橋を架ける。
その橋を“どんな線で描くか”で、人の心に届く形が変わる」
葵のその言葉に、紅葉は小さくうなずいた。