“数学と生きていく覚悟”──凪、部誌に寄稿する
月曜日・春の部誌づくり始まる
数学部恒例の春の部誌『数思録』。
三年生としての最初の寄稿テーマは、自由。
日下(顧問):「“今考えていること”でいい。証明でもエッセイでも、詩でも。」
高橋:「俺、今回は“直感と図形”について熱く書く!」
紅葉:「わたしは“証明に詩的瞬間があるか”ってテーマにしたよ」
凪:「……わたし、書けるかな。
何か“意味のあること”を書ける自信が、今はまだ……」
火曜日・白紙の画面の前で
放課後。部室に一人残った凪は、PCの前でフリーズしていた。
カーソルが点滅しているだけで、言葉は出てこない。
“意味のあること”。“価値のあること”。
そんな言葉に縛られて、何も書けなかった。
凪(心の声):「わたしが考えてきたことって……
誰かにとって、“読むに値する”ことなんだろうか?」
木曜日・夜、紅葉との帰り道
紅葉:「“価値があるかどうか”ってさ、人が決めることじゃないよ。
わたしは、凪の言葉が“書かれた”という事実だけで、十分読みたくなる」
凪:「でも、うまく言えないの。“数学が好き”ってことを、わたし、ちゃんと伝えられる気がしない……」
紅葉:「じゃあさ、そのまま書けばいいんじゃない?
“好きって、どういうことか、まだわからない”って」
凪:「……“わからなさ”を、そのまま書く、か」
金曜日・凪の原稿、完成
そして凪が書いた一文目は――
「私は、数学が好きです。
でも、“なぜ”と聞かれると、すぐには答えられません。」
そこから続く文章には、彼女の3年間の静かな歩みが綴られていた。
できない日もあった。逃げたくなった夜もあった。
でも、考え続けることそのものが、自分の輪郭をくれた。
問いがあって、それと向き合っている時間こそが、“わたしがわたしである”時間だった。
わたしはこれからも、数学と一緒に生きていきたい。
“解き終えられない証明”として、生きていきたい。
数学部ノート(凪)
■高校三年生・第6週
・部誌=“思考のかけら”をかたちにする場所
・書けない=“意味”を求めすぎると、言葉が逃げる
・凪:「私は、まだ答えを知らない。でも、その“わからなさ”ごと、書いていい」
→ 凪が初めて、“数学が好き”と堂々と宣言する
それは答えではなく、“問いと共にある覚悟”だった。