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しろがねと月  作者: ふとん
7/8

薄暮 3

 午前中の傾いた日差しが緩やかに差し込んできた。午後になれば、保健室は暖かくなる。

 一時間目を半分過ぎた頃、ようやくノロノロと衣擦れが後ろから聞こえた。

 泣き疲れた少女が、ゆっくりとベッドに入っていくのを気配だけで確認しながら、如月(きさらぎ)は借りてきた名簿に目を通す。

 皐月 夕。

 二週間前は音だけ聞いて、危険だと思ったが、この名前は非常にまずい。

 夕は、月に属する最たる漢字なのだ。

 ますます、この少女を殺すわけにはいかなくなった。

 死なせる方法なら幾らでもある。

 だが、自殺でもしてくれない限り、如月自身が強要することさえできない。自殺へ精神的に追い詰めていくことは容易い。しかし、その弊害がどれほど跳ね返ってくるか、試した記憶がないので自分の体を実験台にする気にはなれない。

 そもそも、あの十七歳の少女が悪夢に耐えられるとは思っていなかった。

 何度も何度も、自分が殺される夢だ。

普通の神経なら、三日と経たずに自殺したくなる。

 しかし、夕という少女は生きている。

彼女が精神的に強いとは思えない。当たり前の神経の持ち主だ。だとすれば、少女が元々持っている絶望が、死よりも深いという推測だけが残った。

 あの半月の晩。

公園の前で、ブレザーにチェックのスカートの制服を見たとき、この学校の生徒だとはすぐ知れた。殺し損ねた後、いつか会うだろうことも。

 だがそれは葬式の時だと思っていた。お慰みに参列して、顔を確認できれば、それでいいと考えていた。

 彼女の友人を介して様子を見ることもできる。

 一週間も待てば、大なり小なりの結果が出るだろう。

 そう確信していたというのに、二週間経っても忘れかけた彼女の顔を見ることはなかった。

 今日、ようやく会うことができたが、まだ、図太くこちらにケンカを売る元気がある。だが、死者たちに地獄へ引きずり込まれそうになって、恐くて泣いてしまうような少女が、繊細なのか、無神経なのかは測りかねた。

 鞄だけを後生大事に抱いて、人にすがろうとも、声をあげようともしない、強情で、今にも折れそうな泣き方をする少女だ。

 その感情のぶれが、彼女を現世に止めている。一貫しない感情が、少女を自殺から救っているようでもあった。

 彼女の中に押し入ったスケベ野郎が彼女の名前まで知っていたとは考えにくいが、思春期の感情の揺れを利用して入り込んだのかもしれない。

 抜け目のないことだ。厄介事を見事に残してくれた。手放しの賞賛とともに、恨みの溜息が漏れてくる。

 セダンを廃車同然にしただけでは済まないらしい。

 分厚い名簿を閉じて、席を立つ。

 カーテンに囲まれた、二つある白いベッドの片方に、頭を乗せている枕を抱くように寝ている少女がいる。

 開けている窓から入り込んだ風がいたずらにカーテンをなびかせた。淡く溶け込む陽光が、浅い海の底のように波打つ。少女は、その光が眩しいのかうつぶせになって顔を枕に押し付けた。

 それでは息ができなくなる。

「起きてるか」

 呼びかけると、布団からはみ出した細い肩が揺れた。

 嫌がるだろうと思ったが、ベッドの端に腰掛ける。案の定、器用にうつぶせのまま身動ぎして逃げていく。

「その格好じゃ苦しいだろ」

「……顔あげたくない」

「どうして」

「ひどい顔だから」

 枕で曇った声に、思わず笑う。

「そんな風に、笑うから」

「もう笑わない」

 ベッドの端に逃げ場はない。少女の肩をつかんで、仰向かせる。

 泣いたばかりの、赤い目が睨んでくる。

「……泣いてる女、てのはもっと可愛い顔してるもんなんだがな」

 この少女は、今にも噛み付きそうだ。

「――…そういうことばっかり言ってると、本当にセクハラで訴えますよ」

「口を塞ぐ方法なら幾らでもあるさ」

 極悪人の台詞を吐いて笑ってみせると、少女はますます眉を釣り上げた。それでもベッドから離れられないのは、本当に調子が悪いせいだ。

 そっと、獣を馴らす要領で不意をつくように少女のまぶたを閉じた。

 手の平に、戸惑いが伝わってくる。

「何もしない。眠れよ、今は」

 やがて、戸惑いがあきらめ混じりに落ち着くと、呼吸が規則的にゆっくりとなった。

 彼女の疲労も限界なのだ。

「……本格的に、引き剥がす算段をたてないとな…」

 そうすれば、何かがわかるのかもしれない。

 不確かな答えが、目の前を通り過ぎた気がした。



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