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しろがねと月  作者: ふとん
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白夜 4

 気がつくと、手の中のナイフがなかった。取り上げられたのだと気付いたのは、死神が慌てた様子で部屋の隅に投げたのを見たからだ。

 続いて懐から同じようなナイフを取り出してリビングの四隅に投げる。しかし、鋭い刺突にも関わらず、壁に突き立つ音はない。

 ソファから起き上がって見ると、ナイフが部屋の隅でピアノ線もないのに空中で浮いている。

 死神は、黒いコートを脱いで夕に頭から被せた。ずっしりと重い。こんなものを着て動いていたらしい。夕では歩くことさえままならない。

「どうだ。痛みはひいたか」

 窓から夕を庇うように立って、死神は顔も向けずに尋ねてくる。

 ジーパンに、着崩したワイシャツ姿だ。異常なほど長い髪を除けば、意外なほど普通に見えた。

「……そういえば、ない」

 痛みはひいている。そのことに安堵したのか、体から熱がひいたようだ。

「それは被っとけ。ソファの下でじっとしておくんだ」

 布団を被るようにコートにくるまった夕の頭を、死神は子供をあやすように広い手でポンと叩く。

「……何?」

「喋るな」

 窓ガラスを盛大な空気圧が叩いた。一瞬にして、ガラスに蜘蛛の巣状のヒビが入る。

 もう一度。

 ドッと強烈な突風が吹いたかと思うとガラスは呆気なく砕け散った。

 夕は死神に言われるまでもなくソファの下にうずくまる。その上にキラキラとガラスの破片が重力に従って落ちてきた。

「―――…お久しぶりねぇ。キサラギ」

 ベランダから、女の声が響いてきた。艶やかな、誘うような声だ。ソファの下から顔を上げて盗み見ると、やはり、妙齢の蟲惑的な美女がベランダの主役のように立っている。ミニスカートの肢体が半月の光に照らされて、淡く波打つ茶色の髪が夜風に舞えば、妖精のようでもあった。だが、彼女はひどく人間臭のする艶やかな笑みを湛えている。

「相変わらず、派手なご登場だな」

 低く、死神は笑う。ところどころ白い顔に傷がある。まともにガラスの破片を受けたようだ。

「アナタこそどうしたの? ネズミみたいに逃げ回るのがお得意のはずでしょう」

 甘やかな毒を含んだ声で、美女は死神を舐めるように赤いルージュの端を上げた。

「居場所がこんなに早く見つかるなら、レンもアナタを探して旅行になんて行かなくても済んだでしょうに」

 レンという名前に、死神の指が少しだけ動いた。美女は気がつかなかったのか、そのまま緩やかな毒舌を続ける。

「今更、アナタを捜すなんてサク達だけでいいのに、このアタシまで狩りだされてうんざりしてたの。だって、アナタったらロクな力もないくせに逃げることだけは上手なんですもの。世界中探すなんてことになったらどうしようかと思ったわ」

 くすくす笑いながら、美女は破片が散らかったフローリングをハイヒールで踏みつけた。

「ねぇ、これも運命っていうのかしら?」

「今日はえらく能弁だな」

「だって、これくらいはしてあげないと。千年のお付き合いは長いわ」

 せんねん。

 死神の家と、美女の家は、相当な旧家なのだろうか。それとも、

「アナタが死んだあと、お葬式はあげられないんですもの」

 美女は微笑みながら腕を振り上げる。その微風が、サイドテーブルを切り裂いていった。

「……本気か」

「アタシ、嘘は嫌いなの」

 少女のようににっこりと微笑む美女を睨んで、死神は左手を少し動かした。いつか見たように、砂が彼の手に集まって、瞬きの間にしっかりとした柄が手の平に収まっている。死神は三叉の槍を片手に構えた。

「いつだって、テメェに殺されてやるわけにはいかねぇんだよ」

 死神は動かない。代わりに、部屋の四隅にあったナイフが、自由意志を持ったように美女に向かって突撃していった。

 美女は鼻で笑って、腕を一振りする。ナイフは風に巻かれて飛散するが、あきらめないのか突撃を繰り返す。

 その数瞬に、夕の体がさらわれた。

 コートごと抱き上げたのは、当然死神だ。あっと言う間に荷物のように担ぎ上げられて、抗議もできないまま部屋を出て行く。

 美女がナイフに道行を阻まれながら罵っていたが、死神は聞く耳もないようだ。

 階段を降りるのかと思いきや、死神は玄関先の廊下の手すりに足をかけた。廊下は渡り廊下のようになっていて、手すりの下にはマンションの駐車場が見える。

「な、何するの……」

 まさか。

 死神は夕の口を手で塞ぐ。

 片足に少し反動をつけただけで、あっけなく五階から空中に飛び出した。一瞬の浮遊感のあと、あとは自由落下が待っている。地面に激突すれば、まず死神と心中だ。

 だが。

 死神はあろうことか道路と衝突間近で夕を抱えたままクルリと体をひねった。そのまま逆上がりの要領でふわりと回転すると、すでに地面だ。

 地面に足がついた時には、軽い着地音だけが、駐車場で鳴るのみ。

 死神は夕を地面に降ろすと、彼女からコートを取り上げて、代わりに何時の間に持ち出したのか夕の鞄を押し付けてくる。

 そして自分はジーパンのポケットからキーケースを取り出す。

 少し視線を彷徨わせたあと、グレーのセダンにキーを向けてドアを開けると、夕を後部座席に放り込む。

 自分はコートと一緒に運転席へおさまると、キーをプラグに押し込んだ。

 状況の飲み込めない夕を尻目に、死神はハンドルを握ったまま、静かに息をつく。

「良かったな。靴はいたままで」

 緊張感のないことを言われて、夕は自分の足に目をやる。

 確かに、ソファに寝かされた時も靴をはいたままだった。

「あー…靴なんか脱ぐんじゃなかったぜ」

 死神は素足で出てきたらしい。素足のまま五階から飛び降りるような真似をするのだ。恐ろしいというより、頭の回路が二、三本焼ききれているのではないかと思う。

「おい、そこにサンダルないか」

 言われて、後部座席の下にあった男物のサンダルを見つけた。

 手を差し出してくるので、乗せてやる。

「……ねぇ、ここでじっとしてていいの?」

「いーの」

 いてぇ、だの最悪だ、だのと言いながら、死神は足をさすりつつサンダルをはく。もはや神秘的な麗人というよりただのオジサンだ。

「あの女、見た目と同じで猪突猛進だからな。底意地は悪くねぇからナイフ共と遊んだあとは勝手に何処ぞに探しに出かけるさ」

「どういうこと?」

「頭に血がのぼると、俺を殺すこと以外考えられなくなんの」

 なるほど。

 ガコンッと何かが駐車場に降って来る。無残に叩きつけられて変形したのは、玄関によく取り付けられている頑丈そうなドアだった。

「今日は激しいな」

 あの美女が落としたのだろうか。

 マンションのエントランスからハイヒールの美女が怒り肩で飛び出してくる。彼女は般若の形相で、颯爽と車の前を通り過ぎていった。

 しばらくしてから、

「な? 言ったとおりだろ」

死神はさして自慢するでもなく、欠伸をする。

「でも、何でこの車に気付かなかったの?」

「ダチの車だからな」

「……………」

「さて、お姫さんをお送りしましょうかね」

 死神はおざなりに言って、車のエンジンをかける。

「……帰って、いいの?」

「一緒に居られちゃ困るんだよ。お前のせいで俺の家までバレた」

 車をゆっくりと発進させる。

「あの、痛みは……」

「知らなくていい」

 死神は短く答える。それ以外に、答えを用意していないようだ。

「とりあえず、これ持っとけよ」

 放り投げられて受け取ったのは、死神には似合わない、プレートの上に青い石のついたペンダントだった。

「これ……」

「俺のだったが、やる」

 死神が持っていたものはいらない。顔に出たらしい。

「それで痛みは抑えられる。嫌でも何でも、持っておいた方がいいんじゃねぇか?」

 それはそうだ。背に腹は変えられない。ペンダントは、死神が持っていたことさえ除けば、女物といってもいいほど繊細で、綺麗なものだった。

「あとは、夢見が悪くなるかもしれねぇが、規則正しい生活と、深呼吸さえかかさなけりゃ、自然と無くなってくるだろう」

 学生だから簡単だろ、と付け加えて、死神はハンドルを切る。大通りに出た。

「――……悪い。俺が間違ってた」

 死神は突然、渋面を作って謝った。

 何事かと思い、彼が視線を注ぐバックミラーを覗いて、夕も眉根を寄せる。

 見覚えのある妙齢の美女が、怪談よろしく車の後ろで浮いている。

「ったく!」

 死神は夕の頭を押さえつけて、屈みこむ。次瞬、フロントガラスを突風が突き抜けた。

「出るぞ」

 短く告げた死神は、思い切りアクセルを踏んだ。急発進したセダンは大通りに飛び出していく。

 バックミラーの女は怒髪天をついているようで、次々と風を巻き起こす。

 ガラスに白い筋が幾つもできる。

 その役立たずなガラス越しに、急ブレーキの音や激突する音が聞こえる。夕は耳を塞いで瞑目した。

 死神の車はさすがに女をみるみる引き剥がしていくが、スピードを緩める気はないらしく、車を追い抜いていく。

 ようやく止まったのは夕もよく使う駅のロータリー手前。

「降りろ」

 夕を急かして、後部座席から放り出すと、運転席から少しだけ顔を覗かせた。

「じゃぁな」

「あ。ちょっと」

 呼び止めると死神は、不機嫌に顔を歪めた。一刻も早く逃げたいらしい。

「これ、どうしよう……もらっていいの?」

 借り物のセダンからして物持ちの良さそうではない死神が大事に持っていたものだ。本当にもらって良いのか。見ず知らずの、小娘が。

「本当に辛かったら、死ねばいい」

 死神の、暗い双眸が黒光りする瞳に夕を映した。

 何も言えなくなった。

 ただ、ペンダントを握る。

 ペンダントの青い石が、頭の芯を冷やしていく。

「―――…わかった」

 死神は、それ以上何も言わずに、廃車寸前の車を引きずって、ロータリーの向こうへ走っていった。


 これで、死神とは二度と会うことはない。


 夕は夢から覚めたように、青い石を見つめる。

 ふと、プレートの裏に文字のような傷に触れて、裏返す。

 漢字で、『如月』

 あの死神の名前なのだろうか。

 ふ、と苦笑して、夕は自分の日常に戻っていった。




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