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十、カプリッチオ・イン・ブルー②

 絶対に許すわけにはいかない男がいる。詰問するには相応の覚悟も要る。

 アルコールの補助なしにそれらをやり遂げるには勢いが必要だ。それに日を置いて怒りが冷めてしまうのを待ちたくないから、時間については敢えて考慮しないものとする。

 なんならこれから相対する相手には、迷惑に思われるぐらいでちょうどいい。


 比較的治安のいい地域とはいえ夜間の公園は人けに乏しい。ベンチはすでにホームレスで埋まっている。

 さすがに女を一人で待たせるのを厭うたらしく、彼は千尋よりも先に来ており、かつすぐわかるように電灯の下で仁王立ちしていた。


「首は洗ってきたか?」

「……やっぱり要件は鳴虎のことか」

「当然やろ。それ以外でわざわざこんな時間に呼び出すかっちゅーねん。なあ椿吹(つばき)


 灯光に塗りつぶされた眼鏡のレンズの下で、かすかに彼の眼が動くのが見える。


騒念(クラマー)なんぞは()()()でな、ウチはあんたをぶっとばしに帰ってきたんや。忘れたとは言わせへんぞ?

 約束したよなぁ、めーこ傷付けたらぶっ殺したる、てな」

「……、ああ」

「言うても大人の男と女の話に、他人がやたら口突っ込むのは野暮やろし。単に上手くいかんで別れただけやったらウチもやいやい言わん。

 けど、……違うんやろ?」


 ――他に相手ができたわけでもない。鳴虎にはもちろん、納琴に戻ってからここ数日間さりげなく他の隊員たちにも探りを入れてみたが、匡辰の周囲にそれらしい女の影はなかった。

 あるいは気持ちが冷めたかと思えば、ほぼ全員が口を揃えて言うのだ。どうして急に別れたのかわからない、直前までそんなそぶりは全くなかったし、破局した今もむしろお互い未練があるようだ、と。

 まったく同じことを千尋自身も感じた。そして。


『何度聞いても答えてくれないの、理由を教えてくれないのよ……』


 そう言って親友が毎晩のように電話口の向こうで泣きじゃくるのを聞いた。血を吐くような声で繰り返し。

 自分が傍にいてやれたらと心から思った。納琴を離れるべきじゃなかった、と。


 鳴虎は自分に落ち度があったと考えて、けれどそれが何なのかわからないまま終わりのない自問自答に雁字搦めになっているから、このままでは前に進めない。

 解放するにはこれしかない。どんな手を使っても、この男から本音を聞き出すしか。



*♪*



 千尋が帰ってきた時点でこうなることは予想していた。彼女は鳴虎の親友として真っ先に相談を受けていただろうし、きっと匡辰を恨んでいる。

 彼女の性格からして黙っているはずもない。遅かれ早かれこの日が来ることは覚悟していたし、呼び出された時点で『やっとか』と思いすらした。

 ある意味、匡辰は今日この時を待っていたのかもしれない。


 したがって問いに対する返答はあらかじめ用意してあった。

 というより、他に言いようもない。


「説明の必要はないと思う」

「はぁ!?」

「僕と鳴虎の個人的な問題で、君自身も言ったように、周囲から口を挟まれる謂れはない。……とはいえ君は彼女と親しいから、僕に対して腹を立てるのは理解できる。罵倒は甘んじて受け入れるつもりだ」

「……おい。待てやコラ」


 千尋は荒々しく踏み込んで、匡辰の胸倉を掴み上げた。

 特務隊員とはいえ女性だ。こちらより体格も腕力も劣るそれは、物理的にはちっとも苦しくなどなかったが、……その手の震えは確かに匡辰の心臓にまで深く伝わった。


「鳴虎も(おんな)しような言い回しで(ケム)に巻いたんやろ。ウチが腹立つんはそこや。別れたことなんぞはどうでもええ、それで鳴虎が泣くんもしゃあない、でもッ……あんたがロクに説明せんで、あの子から逃げよんのは許さんぞ!」

「……」

「鳴虎の親のことは、あんたかて知っとろうが……!」


 匡辰は押し黙っていた。答える必要はなかったから。


 鳴虎の実の両親は、彼女が物心つくかつかないかという時分に、幼い娘を放置して出ていったそうだ。ろくに連絡も取れないので仕方なく親戚の家に引き取られた。

 といってもそこで虐待を受けたというような話は聞かないし、鳴虎自身も影など感じさせない明るい性格をしている。だから打ち明けられるまでは、彼女にそのような不憫な過去があろうとは、予想もしなかったくらいだった。


 ……けれど人の心の傷なんて、当人以外にはわからない。


 無邪気で奔放な雰囲気に反し、鳴虎の振る舞いは優等生のそれだ。彼女自身がそう思われようと努力している。

 生まれ育ちに(きず)があったからこそ、為人(ひととなり)に問題がないという対外的評価を求めたのだろう。

 恋人関係になってからは反対に、その価値観に自ら挑む素振りを見せた。敢えてだらしない姿を晒したり、やたらに甘えてみせたりして、それでも匡辰が離れていかないか試していたのだろう――実際には二人の仲を深める方向に作用したと言っていい。良くも悪くも。


 もともと女性との交際自体に慣れていなかった匡辰は、蠱惑的な二面性に翻弄された。気づけば夢中になっていた。

 舞い上がって、実際にはろくに用意もないまま勢いで口走ってしまった求婚を、彼女も驚きながら受け入れてくれた……それが間違いだったのだと今なら思う。


 千尋が言うとおり、たしかに愛が冷めて破局したわけではない。むしろ――。


「どうしてそこで彼女の家の話になるんだ」

「それがフラれた理由や思とるからや。ウチやのうて鳴虎が」

「いや、それはないだろう。僕がその話を聞いたのはもう十年以上前になるのに、今さらそんな理由で拒むのはさすがに非合理的だ。気にするなら初めから交際していない」

「あんたはな。せやけど結婚いうたら二人だけの話とちゃうやろ。つまり問題は、そっちの親や」

「……えっ?」


 予想外のことを言われて思わず間の抜けた声を上げてしまった。千尋は心底軽蔑したような目つきで匡辰を睨みながら、突き放すような強さで胸倉を掴んでいた手を放す。

 そして彼女は、蝋燭の炎のように静かな怒りを声に滾らせたまま、続けた。


「あんたの家族に反対された思とんのやと。息子の嫁に相応しくない、てな。せやからあんたも気ィ(つこ)て理由を言われんのやろう、もうそれ以外に考えられん、て」



 →

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