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九、カプリッチオ・イン・ブルー①

 会いたくてたまらない。

 今までずっと、眠れない日はいつだって彼が傍にいた。一緒に夜更かしをしてタケや鳴虎に怒られたものだった。


 もしかしたらもう、そんなこと、できなくなるのかもしれない。そんな気持ちが爪先に宿る。


『夜中にごめん』


 言うべきじゃないかもしれない。けれど、一人で抱え込むには苦しすぎて、指の間からぼろぼろ零れ出てしまう。


『あのね 前に

 自分のこと正直ショックだったって言ったけど

 軽い感じでさ

 でもやっぱり軽くなかった』


 端末を握ったまま布団を抜け出し、バルコニーに出た。上着もなくパジャマ一枚で浴びる冬の夜風は、氷の刃で切り裂かれるように鋭くて、手と言わず足と言わずガタガタと震える。

 遠目にさざめく夜景の海原が、今は涙で万華鏡のように滲んでいた。


『ひどいんだよ

 まず私は人間じゃなくて、反音念(アンチノイズ)っていう、音念の反対の人造生命なんだって

 声が超音波なのも、耳がいいのもそのせい

 しかもこの身体はつぐみの死体

 てるいえ班長の従妹 それも本当は従妹じゃなくて母親違いの妹みたい』


 泣いていて画面がよく見えないまま送ったので、きっと文面は誤字だらけだったろう。既読マークがついたかどうかもわからない。

 ひとしきり送ったあとで急に怖くなって、手探りでチャットの送信を取り消した。


(死体、……そうだよ、私、死体なんだ。なのに時雨ちゃんにキスしちゃった……、最低……)


 どうか彼が気づいていませんように、と、寒空の下でひた祈る。

 ……ありえないとわかっていても。だって蛍の鞭毛(みみ)はちゃんと、あのとき時雨の心臓の音を聞いていたのだから。




 *♪*




 遡って数時間前、葬憶隊(ミューター)中部支部の事務室。

 モモスケに頼んで時雨を先に連れ帰ってもらい、一人でのんびり報告書をまとめていた鳴虎は、急に背後から降ってきた影に肩をむにゅっと掴まれた。……妙な効果音だが実際そんな雰囲気の触れ方だったのだ。

 案の定半分も振り向かないうちに後ろから「め~ぇこっ♡」と親友が抱き着いてくる。


「わッ、……あっはは、もー。なんか前よりスキンシップ激しくない?」

「そか? んー、まあ五年も会えへんかったぶん取り戻しとるっちゅーことで。それよかさ、それ終わったら久々に呑みいこ~?」

「……うーん。実はその、さ……こないだナギサ先輩たちと行って、それでちょっと……」


 言い淀んだ鳴虎の顔を、千尋は訝しげに覗き込んだ。

 ……言いづらい。色んな意味で。


 ……。


「――もしもし!? どーゆうことっすか姐御ォ! なんッで! よりによって! あンのどアホの椿吹(つばき)なんぞにぃぃ!」


 結局かいつまんで先日の事情――うっかり呑みすぎて悪酔いし、目が覚めたらなぜか匡辰のベッドで寝ていた――を話したところ、千尋はなぜか沼主ナギサにクレーム電話を始めた。その場で。


 そうさせた原因は鳴虎自身なので止めるに止められない。彼に別れを告げられたあと、千尋には毎晩のように電話して泣き言を聞いてもらっていたから。

 今の鳴虎が見かけだけでも持ち直しているのは半分くらい彼女のおかげだ。残りは時雨と蛍。


『仕方がないでしょう。他に誰を呼べばいいかわからなかったし』

「寮に送ったったらえぇでしょうが!?」

『そのときは空蝉も清川も入院していたんです。タクシーに乗せようにも、私には別の()()があったし……とにかく彼女一人で帰るのは無理そうでしたから』

「だからって……っ」


 その後もしばらくやりとりを続けていたようだが、鳴虎は書類まとめに戻っていたので詳細は知らない。ともかく数分後には千尋も落ち着いて「すんませんっした……」と言いながら電話を切っていた。


「満足した?」

「せんけど姐御に言うてもしゃーなかったわ……。そもそもウチが傍におれたらよかったんよなぁ」

「……まあ気にしなくていいわよ。とりあえず、あたしなら平気。別に何もなかったし、ただ向こうに迷惑かけただけっていうか、そもそも悪いのは酔い潰れたあたしだから。

 てわけで、しばらくアルコール自粛してるの」

「んー……そか。そんなら酒抜きでごはんだけならええ?」

「うん。あ、なら(うち)に連絡しなきゃ。当番は尾被(おかずき)くんだったかな」


 夕飯を外で食べてくる旨を寮のチャットルームで報告していると、横で見ていた千尋が「女子大生みたいやな」と呟いた。

 寮生になればみんなこうだ。とくに葬憶隊(ミューター)中部支部寮・薫衣荘(くぬえそう)はシェアハウス形式の家事当番制なので、ルール厳守が掟である。

 集団生活は互いに配慮し合わなければ成り立たないのだから、鳴虎は寮監として報連相を徹底させている。当然、自分自身にも。


 奇妙に思われるかもしれないが、実家――鳴虎の場合は育ててくれた従叔母(おば)夫婦の家庭を指す――より規則だらけの寮のほうが気楽だ。

 決して前者で悪い扱いを受けていたわけではないのに。むしろ良くしてもらったから、たしかに心から感謝している。


(むしろ恩返しが足りてないくらいよね。あたしもたまには帰ったほうがいいんだろうけど……)


 ふと思い浮かぶのは実家で居心地悪そうにしていた後輩(ワカシ)の顔。あの男が冗談の一つも言わないのだから、家族との間によほどのことがあったのだろう。

 その彼ですら人の案内のためとはいえ帰省したのに、鳴虎にはその予定すらない。忙しいからだ、というのは表向きの理由で、それ以外の本音もたくさんある。

 ……例えば匡辰との婚約解消とか。養父母は優しい人たちなので、きっと鳴虎を気遣わせてしまうから。


「で、どこ行く? 予約とかしてないのよね?」

「んー。あ、駅裏の中華は? あそこの担々麺もずっと食べてへんから久々に行きたいわ」

「あぁ……そこ去年潰れちゃったの」

「ぇ゙っ」




 *♪*




 支部の近くにあるファミレスで二時間弱話し込んだあと、用があると言って別れた。


 今回は急に呼び戻されたせいで実家の都合がつかなかった。しかし今夜、千尋が端末を手に向かうのは、滞在中の市内のビジネスホテルではない。

 夜の静寂の中で数回の呼び出し音をやり過ごしたあと、通話口に(にっく)き怨敵の声を聞く。


「ちょいツラ貸せ。場所は……あんたンちのマンション、近くに公園あるよな。そこにしよか」


 是非を言わせる暇も与えず一方的に通話を切って、決意を固めるように深く息を吐いた。



 →

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