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三、鳴かぬ蛍の声を聴く②

 かくして蛍の特訓生活が始まった。

 ボイストレーニングは週三日。それ以外は自主練、技研が考案したさまざまな訓練法、今までと同じような筋トレや素振りなどで、喉のみならず総合的に身体全体を鍛える。

 屋敷でも高タンパクな食事を用意され、いつでも使い放題の高額なトレーニングマシンが揃っているしで、何かのアスリートみたいな暮らしだ。加えて自身のやる気も充分なので捗らない道理はない。


 そんな蛍の目下の悩みといえば、変換器を通した自分の声である。


「機械っぽいのは仕方ないね。厳密には違うけど、わかりやすく言えば『※プライバシー保護のため音声を加工しています』みたいな状態だから」

『ソオでスカ……』

「手っ取り早くマシにする方法ならある。たとえばサンプリングした人間の声をリアルタイム合成するとか」

『……ソれッテ、ツマリ他人ノ声デスよネ?』

「そうだよ」


 蛍は俯き加減に喉元を押さえながら、うーん……と唸る。即座にチョーカーで変換されたそれは、スピーカーのハウリングに似た金切声で、耳障りなことこの上ない。

 それでも。……どんなに不快な雑音でも、自分の声を聞けるのは嬉しい。

 だから他の誰かの声を借りるのは違う気がする。他の、なるべく蛍自身の声を残す方法はないんだろうか。


 納得していないようすの少女に、照廈(てるいえ)尉次(じょうじ)は明るいトーンで話を続ける。


「つぐみや留理子のデータもあるから、完全に赤の他人ってわけじゃないけど、それでも嫌かな」

『……チョっト考エサセてクダサイ』

「まあ無理にとは言わないよ。他にもできることはあるしね。チョーカー自体まだ試作品だし、ひとまず変換後の周波数域を調整しよう。

 それと……蛍さん自身も発音の練習をするといいよ。君は自分自身の声を聞いたことがなかったわけだから、恐らく調律していないピアノのような状態だろう」


 蛍は頷いた。イントネーションや抑揚に関してはいくらか自覚があったからだ。

 聴覚は問題ないどころか、集音力に関しては人並み以上なので、正しい発音を知らないわけではない。しかしそれらを己の喉で再現するには、聴覚以外の身体感覚だけでは限界があったのだろう。


 矯正はかなり地道だが、やる。諦める理由はない。

 むしろ変換器を手に入れた蛍には、ささやかながら新しい目標が生まれていた。

 そのうちきっと鳴虎がようすを見に来るだろう。なんなら時雨を連れてくることもあるかもしれないから、そのときまでに、なるべくまともな発音で話せるようになっておきたい。


 でも、本当は。……こんな道具越しではない、無加工の生の声を聴かせられたらと、今でも心のどこかで諦めきれずにいたりして。

 さすがにそれは望みすぎだろうか、などと思いながら日々を過ごしていた。


 ……。


「ガチで豪邸じゃん、すっげー……ふーん、ほえー」

「……!」

「久しぶり、蛍。調子はどう? ――ちょっと時雨、やめなさいよ恥ずかしい……気持ちはわかるけど」


 事前に連絡を受けてそわそわ待っていた蛍の元に、とうとう二人が来た。時雨が遠慮なしにきょろきょろ辺りを見回しているので、付き添いのワカシ班長も苦笑いしている。

 タイミングが悪く家主兄弟は不在だったが、とりあえず四人でお茶にした。


 ピカピカに磨かれた上にレースのテーブルランナーを敷き、中央には上品な陶製の花瓶が鎮座した豪奢なテーブルなんて、本来なら萩森班とは最も縁遠いものの一つである。

 ことに時雨の似合わなさが面白くなって、蛍はつい噴き出してしまった。なんなら咎めるような彼の視線にすら同じ笑みが滲んでいるのがわかる。

 喧嘩続行中なのを忘れてしまいそうだ。自分たちのような庶民にとって、富豪の屋敷はテーマパークの類に似た非日常の空間でしかなく、今はそれがいい塩梅だった。


 子どもたちのようすに保護者たちもいくらか相好を崩し、ゆったりとお高いであろう紅茶を味わう。


「なんか思ったより馴染んでるみたいじゃない。不便なこと……とか何もなさそうだしね、この感じだと」

「……」

「てかマジでここ照廈班長んちなんすか」

「まあね。……とりあえず、苗字で呼ばないでもらえると嬉しいです」


 真顔で言い放つワカシに、背後の扉近くに控えていた本俵さんがかすかに表情を曇らせた。ほんの一瞬だったけれど。

 尉次への対応といい、どうも照廈家とワカシとの間には何らかの軋轢があるらしい、とはさすがに蛍も感じている。別段興味もなかったので今まではあまり深く気にしてはいなかったが。


 ともかく朗らかに雑談しながら、蛍はチョーカーを出すべきか思案していた。まだ発音に自信が持てないので外してしまっていたが、こういうものを作ってもらった、という報告くらいは二人にするべきではないかとも思う。

 でも見せたら絶対に『じゃあ着けて話してみて』と言われるだろうし。


 悩んでいるのが態度に出ていたらしく、時雨が目ざとく「何かあんの?」と聞いてきた。こうなっては隠しておけない。

 という、……実際には『自分の意思じゃなくて、言われたから仕方なく』という予防線を張りつつ、蛍はポケットからチョーカーを取り出して説明した。もちろん実演の流れにもなる。

 最近はすっかり一人で着脱ができるようになったそれを、いつかと同じくらいドキドキしながら首に纏いつけて、深呼吸をひとつ。


『アー……。コウイウ感ジ』

「……あれじゃん。顔モザイクかかってる人の声」

「時雨、言い方。でも……うん……なんかイメージとは違うわね……。いや悪い意味じゃないのよ、ごめんね、貶してるんじゃなくて……」

『大丈夫。私モ変ダト思ッテるカラ。スッゴイ機械ッぽイシ』

「ねえ。んーなんか、蛍はもっとかわいい声だと思ってたっ。時雨もそうでしょ?」

「……まあ少なくともロボ声よりは?」


 どう反応していいかわからない返答にむむっとしつつ、蛍はチョーカーを外した。この場はこれがないほうが良さそうだ。

 時雨もいるし、いつものように唇を読んでもらったほうが……。


『それでね、くんれんの――』


 雑談を再開しようとしたとき、鳴虎と時雨が揃って肩を震わせた。それぞれ端末を取り出して「通報。久しぶりね」「オレらだけ?」と口々に言い、同じく端末を確認したワカシも「ボクの班は待機指示です」と相槌を打つ。

 せっかく二人が来てくれたのになんともタイミングが悪いが、引き止めるわけにもいかない。


『いってらっしゃい。きをつけてね』

「うん、あんたも元気でね」

「またな」


 名残惜しさを堪えて見送った。

 今は一緒に行けない。充分に強くなってからでなければ、二人の許には帰れない。



 →

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