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二、鳴かぬ蛍の声を聴く①

 一時間もしないうちにまた温井さんが迎えに来て、蛍はテルイエ技研に向かった。

 場所は納琴(なごと)市から少し離れ、隣の水沢(みなざわ)市郊外。地名どおり水源豊かな土地らしく、少し前までは黄金のさざ波が見られただろうと想像される――今は稲刈りの時期を過ぎ、剥げた田の跡が荒涼としているが。


 背の高い建築物はほとんどなく、道の両側に閑静な住宅街と田畑とが敷き詰められ、遠くには水墨画のような青い山々のシルエット。のどかな田舎町だ。

 ところが踏み切りを超えたあたりから風景が様変わりし、急に白々とした無機質な建物の群れが現れた。

 納琴市港区の工業地帯と少し雰囲気が似てはいる。しかしコンクリートだらけの街と地続きのそことは違って、ここは真裏も周りも田んぼや山に囲まれているので、緑豊かな自然環境をぶち壊しているような印象を受けた。


 テルイエ技研の看板に出迎えられ、コンビナートを覆うフェンスの中へ。

 建物に入るともっと異質だった。鄙びた田舎町から一転、急に白とチャコールグレーと液晶だか有機ELディスプレイだかで統一された、近未来的な空間が広がっていたのだ。

 窓も少なくて外の景色はほぼ見えない。


 受付でしばらく待たされたあと、蛍は来客用IDカードを渡された。これがなければどこにも行けないそうだ。

 ともかく施錠されていたドアを幾つか通過する。さあ、いよいよ訓練開始――かと思いきや。


「こちらを読んでサインしてください」


 渡されたのはタブレット端末に表示された契約書。主に情報の機密保持が云々という内容だ。

 大仰だなぁと思いつつ、タッチペンで記名を済ませる。


 その後も施設内の説明や注意事項が続き、いい加減うんざりしてきたところで、ようやくそれらしい場所に到着した。


 ラジオの収録スタジオのような部屋だった。手前はツマミがたくさん付いた大型の音響機械類が並び、分厚いガラスの内窓とドアを挟んだ向かいの空間が訓練室らしい。

 目の細かいダークグレーの防音クッション材が壁一面に張られているのが見える。葬憶隊(ミューター)技術チームの試験室と似た構造だが、大きさは何倍もありそうだ。

 機械室にはすでに数名の作業者が詰めていた。各々バラバラのトーンで挨拶をしてくれるので、蛍はちょっと緊張しながら会釈を返す。


「おはよーございま~す」


 ひとつだけ聞き覚えのある間延びした柔らかい声がしたなと思えば、反音念(アンチノイズ)チームの御手洗さんが混ざっていた。首に蛍のと同じ来客用カードをぶら下げている。

 温井さん以外は周りみんな初対面だろうに、なんだかもう馴染んでいるふうに見えるのは、特有の人懐こいオーラのせいだろうか。

 蛍としても見知った相手、それもこういう空気感の人物がいると少し気分が落ち着くので助かった。


 部外者(来客用カードの人)はもう一人いて、エンジニアたちとは雰囲気が異なる。背が高くて肌ツヤのいいがっしりした男の人で、温井さんの紹介によれば、このたび蛍の訓練のために外部から招かれたボイストレーナーだそう。

 トレーナーさんは戸惑っているふうだった。形ばかり微笑んではいるが、眼が泳いでいるというか、視線が蛍と温井さんと御手洗さんたちとを行ったり来たりで忙しない。


「彼女がそう、ですよね。本当に高周波音しか出せないんですか? 私はどうしたら……」


 尤もすぎる質問に、温井さんは笑顔を崩さない。


「前提条件が特殊なので困惑されるかと思いますが、彼女の身体は一般的なヒトのそれと変わりません。普段どおりのお仕事をしていただければと思います。

 ただご留意いただきたいのが、訓練時はこの特殊防音ガラス越しにご指導ください。直接彼女の前に立たれるのはいささか危険ですので」

「はあ……しかし、そもそも、聞こえない声をどうトレーニングしたらいいのか」

数値(オシロスコープ)での管理が基本になります。それは慣れていただくほかありません……が、所長が気を利かせてこういうものを開発しました」


 温井さんはそういうと、傍に置いていたビジネス鞄から小さな黒い箱を取り出した。材質は艶消しの合皮か何かで、若干ジュエリーケースにも見えるが、中身はもう少し味気ない。

 ダークグレーのベロア生地……の、妙に幅が広くて短いリボンである。中心に五百円玉くらいの大きさの円盤がひとつ。


「コウモリ探知機……ココウモリ類の調査等に使われる装置には、機種にもよりますが、鳴き声を可聴域に変換する機能があります。理論上は彼女の声にも適応できますので、訓練用にチョーカー型の変換器を試作しました。無いよりはマシかと。

 ――着けてみてください」


 手渡されたそれは、装着しやすいよう軽い作りになっている。

 しかし蛍は葬憶隊歴かれこれ四年。日々暗色の制服に身を包んで暮らし、アクセサリーの類には慣れていない。

 上手く着けられずにまごついていたら、御手洗さんが手伝ってくれた。曰く「こういうの嫁で慣れてんのさ~」とのこと。


 周りの視線を感じる。何か喋ってみろ、という圧を。

 ちょっと気後れしながら、なるべく小さな声で「あー」と無意味な音を放り出した。


「……アー……」


 それはもう珍妙な音だった。人の声というより動物、いや、むしろ何かが軋む音みたいな。

 どんなに文学的に表現してもいわゆる『絹を裂くような悲鳴』の領域を出ない奇怪な音でしかなかった。


 初めて耳にした自分の声……を基にしたナニカ……がこれかぁ、と肩を落としてしまう。トレーナーさんも唖然としていた。


「改良の余地があるのは当然ですよ。それに声質それ自体は問題ではない。あなたが彼女に教えるのは美しい歌ではなく、声楽家の呼吸器の使い方です……そうご依頼したはずですね」

「え、ええ……わかりました、やってみましょう。それで、彼女を何と呼べば? 名前を訊いてはならない、という契約ですが」

「ご自由にお決めになってください。こちらの報告書では『生徒A』で統一しています」


 御手洗さんが小声で「僕も気ぃつけないと、うっかり呼びそ」とボヤいている。そういえばさっき蛍がサインした書類にも書いてあった――ここで見聞きした情報はすべて他言無用、と。

 どうやらそういうわけで、蛍もトレーナーさんの名前を教えてもらえなさそうだ。



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