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十九、進む蛍、留まる蝉

 結局時雨と険悪になったまま夜が明けた。

 萩森班は非番だったけれど、鳴虎に頼んで支部に連れて行ってもらう。ついでにモモスケも出勤できるし、時雨も寮に残るより訓練室のほうがリハビリしやすいからと言ってついてきた。

 もちろん、……蛍は迷わず助手席を選ぶ。


 大人たちの心配そうな視線を感じつつ、支部に着くなり向かった先は、総隊長執務室。


「どうした?」

「蛍が話があるそうです。あたしは付き添いっていうか……居たほうがいいのよね?」

「……」


 頷き、鳴虎と一緒にソファーに座らせてもらう。

 そして説明するより早いからと、端末を操作して昨日のチャット画面を開き、テーブルの上に置いた。直後に向いのタケが眉毛を寄せたのを見て、鳴虎が鞄からタブレットを取り出して同期させる。

 数倍大きな画面に表示された文言は――


『やあ、こんばんは。温井くんから今日の検査結果を聞いたよ。

 非常に興味深いが、やはり支部の設備だけでは手落ちだね。何より今後の訓練計画が……』


 以下、云々と照廈(てるいえ)尉次(じょうじ)による反音念(アンチノイズ)についての講釈が続く画面を、タケは渋い顔をしてスクロールした。

 鳴虎もぽかんとしている。そういえば蛍について彼女がどれくらい知らされているのか、こちらもきちんと確認していなかった。

 ひとまず身体が蘇生した()()()()()()であることは、ワカシ班長の言い方から察するに、たぶん秘密なんだろうけれども。


 さて、尉次からの長いチャットの末尾はこうだ。


『こちらには完璧な訓練プランと機材が揃っている。邸の受け入れ準備も万全だから、いつでも来てくれて構わない。

 君が望むだけの力を必ず得られると約束するよ』


 鳴虎がはっとした表情で、蛍とタケを交互に見やった。


「照廈尉次の意向は知っている。……設備の話も実際そうだろう。技研は肝心なところで情報を寄越さない、ってのは技術部長からもよく聞く」

「そうですか……たしかにあたしも、例のつぐみって子の件の詳細は教えてもらってないし。結局その子と蛍ってどういう関係なんですか? 姉妹、とか……?」

「私も正しい情報を渡されているかどうか。それより、――蛍。その顔は、もう決めたって言ってるんだね」


 タケの一言に頷く。隣の鳴虎がこちらを注視してきた、その視線が少し痛い。

 相対する人はすでに『総隊長』から、かつて身寄りのない子どもたちの保護者役を務めてくれた『終波(ついなみ)のおばあちゃん』の顔になっていた。傍目にはほとんど変わらないけれど蛍にはわかる。

 薄い瞼の下に覗いた鉄色の瞳は、優しい光を点して蛍を見つめていた。


 端末をスクロールすれば、同期中のタブレットの画面も動く。

 照廈尉次に送った蛍からの返答――『私もそのつもりです。明日、班長と総隊長に話して了解をもらってから、改めて連絡します』。


 初めから決まっている。どんなに時雨とすれ違ったって、志は変わらない。

 彼が蛍に対して過保護なのも当然で、実際、時雨がいなければ自分はまともに生きてなどいけないのだ。それは認めざるをえない。

 ならばせめて、背負われっぱなしにはなりたくない。


 ハナビを倒す力が欲しい。自分で考えた意味があるのかわからない訓練より、知識や技術を持つ人に従ったほうが効率もいいだろう。

 照廈尉次をどれくらい信用していいかはわからないけれど――どのみち何か動かなければ、待つのは死だ。


 結局すべて自分のため。なんだかんだ言ったところで、本音では時雨を見返してやりたいのが一番かもしれない。


「萩森。今の保護者はあんただろう、どうする」

「えっ、あぁ……はい。まずはあたしも照廈尉次と会って話さないと。現段階では蛍を預けられるかどうか判断できません」

「当然だね。何でもかんでも大企業様の言うとおりは私も癪だ、なんとか機会を設けてもらおう」

「ところで蛍、これ時雨には? ……言ってないのね」

「珍しい」

「喧嘩中なんです。その、……ハナビの件で時雨はすごく神経質になっちゃって。ね」


 相槌を求められたので蛍も頷く。


「……ああ。無理もないね。それで今日は置いてきたのかい」

「いえ、リハビリしたいって。たぶん訓練室に籠もってるんじゃないかと」



 *♪*



 耳障りな音を立てて木刀が床に転がる。弾かれてそうなったのなら時雨も思い煩う必要はなかったが、現実はそうではない。

 ただ手に力が入らず取りこぼしただけ。わかっているからこそ、拾い直したあとも、向かいに立つ大男の顔を見られなかった。


 こんなことなら、と今さら悔悛する。

 指導なんて頼まなければよかった。あるいは沼主(ぬます)ナギサなら、いちいち何か言ってきたりはしなかったかもしれないが、彼女は巡回中の椿吹(つばき)班に同行しているらしい。

 だが彼は――五来(ごらい)鎮馬(しずま)は、時雨を放っておいてくれる人ではないのだ。


「そら。まだ打ち稽古にゃ早えっつったろ」

「……ッんなこと……もう一回」

「いいや一旦休憩だ。あんまダダこねるなら医療の連中呼びつけるぞ。……なぁ、そんな焦って何になる」


 半ば強制的に時雨をベンチに押しやりながら、五来は顔に見合わない穏やかな声音で問う。

 その剛腕も今は性質(たち)が悪い。精神的にも肉体的にも圧倒的すぎて、こちらには何も抗う手段がないのだから。


「べつに焦ってはないっす……」

「なら何のために自分を痛めつけてんだ?

 なあ空蝉。俺はこういう仕事してて、強くなりたがる奴なら今までさんざん見てきたからよ、おまえのがちょいと違うのはわかるんだ。自分でもそう思ってんじゃあねえのか?

 ――こりゃあ稽古じゃない、自傷行為だ」


 太い指が、逃がすまいというように時雨の肩を掴んでいる。照明を遮って落とされる巨大な影を、普段なら息苦しく思ったろうが、今はそれ以上に奇妙な安堵を感じていた。

 閉塞が逆説的に生の実感を(もたら)している。おかしな話で。


 時雨はのそりと視線を持ち上げた。五来はまっすぐこちらを見ていたが、その円い瞳のゆるやかな輝きは他の誰とも違う気がした。

 鳴虎や匡辰や、蛍のそれとは違う。一番よく似ているものを知っている気がしたけれど、最後に見たのがもう十年も前だから、確信はない。

 ――それでも。


 幼い息子を突き飛ばして、自分だけ扉の向こうの地獄に消えた、あの日の父を思い出さずにいられなかった。



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