十七、反音念《アンチノイズ》チーム
隊服を着て支部に出勤しても、巡回に出させてもらえるわけではなかった。
外の見回りは相変わらず照厦班か椿吹班の担当で、鳴虎は彼らに同行することもあるが、蛍は残ってもっぱらリハビリ。
そして今日は科学部への出向を命じられたのだった。
どうやらごく一部には蛍の事情が部分的に共有されているらしい。つまり中身が反音念という人造生命体?であることとか、身体は一度亡くなった少女のものであったことだとか。
で、医療チームと技術チームを横断して『反音念チーム』が作られた。
テルイエ技研から派遣されてきた人も含まれており、彼を通して蛍の情報が照廈尉次にも伝えられている。
医療チームから選ばれたのは、先日の検査にも立ち会った蛯沢さん。
下の名前は玄能というらしい。明るい雰囲気だからか技術チームの人たちとも親しげで、気安くエビさんとか呼ばれている。
技術チームは御手洗完太さんと、釜寺文武さんの二人。
前者は無邪気というか、なんだかちょっと子どもっぽい感じで、蛍の検査結果を見て一番はしゃいでいた。後者は物静かで落ち着いており、真面目そうな雰囲気。
蛍としてはちょっとだけ時雨と匡辰を思い出す。性格とは逆に、眼鏡をかけているのは御手洗さんのほうなのだが。
技研から出向しているのが温井順企さん。おっとりした、ややふくよかな男性で、……視線に蛍をじっくり観察している気配があるのでちょっと嫌だったりする。
悪い人ではなさそうだし、たぶん見てくるのも尉次氏の指示なんだろうけれども。
「温井さん、ちょっといいですか? 照廈氏からの説明だけだと理解が不十分なとこがあって」
「はい、なんでしょう」
「清川さんの保護当時のカルテ見ても、ほぼ無傷といっていいくらいの軽傷で済んでるじゃないですか。照廈氏は残留奏の保護効果だと推測されてますけど、反音念って、理屈としては残留奏も排除するんでは?」
「ああ……、一応お伺いは立ててみますが、あまり期待はなさらないほうがいいかと」
「……ハハ。つまり細かいところは企業秘密ってことね?」
蛯沢さんの問いに、温井さんはそれ以上は答えないでにっこり微笑んでいる。無言の肯定ということだろう。
そんな感じの会話を横で聞きながら、蛍はさっきから身体測定のようなことをされていた。
身長、体重、筋肉量、握力、などなど室内で測れそうな数値はあらかた調べ尽くされ、果ては血圧とか視力まで調べられた。それって必要なんだろうか。
聴力はまだ、素人目にもなんとなく関係ありそうな感じはするけれども。ただそれも、よく健康診断のときにやるような『小さい音を数段階流して聞こえるかどうかのチェックをする』のとは、ちょっと様式が違っていた。
二色に塗り分けられたヘッドホン型の装置やボタンは渡されず、またあの『人工音念生成装置』の中に取り残されたのだ。
装備は自身の祓念刀ただひとつ。今回はヘッドセットはなしで、部屋の隅にスピーカーが設置されていた。
『はーい御手洗でーす。今回カメラオンなんで、聞こえたら手振ってくださーい』
「……」
『オッケ。接続良好でーす』
『今から「超低級音念」をランダム射出します。視認はできないので、音で位置を特定して除去してください』
蛍は頷いて刀を抜いた。
鈍色の刃はよく見ると表面に細かな穴が開いている。刀身はスピーカーで、音念を構成する恐鳴振動の検知器は鞘に内臓されており、両者は電波で無線接続されているらしい。
個々に銘を振っているのは機械的な理由もある。つまり祓念刀には接続されるべき鞘が決まっていて、お互いが電波の届く範囲内になければ正しく動作しないのだ。
区別がつくように鞘と柄には適合を示す同じマークが刻印されている。大抵はとくに何とも特定できない抽象的な記号だが、蛍のそれは植物に見えなくもない。
だからだろうか。この刀の銘は『腐草』という。
「……!」
背後に感じた小さな振動に、蛍は即座に反応した。
もはや音とも思わなかった気がする。音念らしい姿は見えなかったが、手許の――鍔のディスプレイの中でデジタル数字が蠢いたのは見えた。
『お、さすが。カマ、今のログ取れた?』
『問題ない。どんどん続けて』
『ラジャ~』
御手洗さんのゆるい応答を皮切りに、奇妙な聴覚検査が本格的に始まる。
窮する場面はほとんどなかった。何しろ耳がいいことには定評のある蛍だ。
音念の姿が目には見えなくても、音だけでその居処を感じ取れる。彼らの放つ微小な恐鳴は、それが浮遊する立体的な位置だけでなく、微粒子の広がり具合までもを蛍に伝えていた。
手で直接触れて確かめたように、はっきりと。
*
少女の迷いのない動きを、大人たちはモニター越しに眺める。それぞれ驚いたり嘆息しながら。
むろん検査の邪魔にならないようマイクは切られているから、会話は彼女には聞こえない。
「はあ……すごいな。もうすでに僕だけ着いていけない気がする。もうこれ現代医学の出る幕はないんじゃない?」
「それが面白いんじゃないっすか! それにエビさんは、清川さんに何かあったときの対応役ってのが一番でしょー。やっぱどーしても身体に負担かかる検査もあるんで」
「間違いなく御手洗が一番楽しんでるよな」
「おほほ。カマちゃんだって顔に出ないだけでワクワクしてんだろ~?」
「はは。それはまあ、否定はしない。参加できて嬉しいよ」
和気藹々としている三人の談笑には混ざらず、温井はじっとモニターを見つめていた。
ディスプレイは四つ。それぞれの死角を補うように設置されたカメラの向こうで、人ならざる少女が戦っている。
今回は検査が主目的だから祓念刀を用いているが、彼女が『声』を正しく扱えるようになれば、その効果範囲は何十倍にも広がるだろう。
(なるほどこれは驚異的だ。……いや、むしろ"脅威"と言うべきだな)
葬憶隊の連中はわかっていない。これは決して『面白いもの』などではない、純然たる破壊兵器の種だ。
ゆえに疑念を禁じ得ない――果たしてこのまま育ててよいものか、と。
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