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十五、薫衣荘の新たな住民①

 蛍は一足早く退院することになった。すでにエッサイくんも自宅に戻っているので、支部に残るのは時雨だけだ。

 鳴虎から聞いてはいるだろうけれども、一応蛍も直接伝えようと思って、荷物片手に時雨の病室に向かう。


 ちなみに喧嘩は継続中だ。蛍としては折れるわけにいかないので、時雨からのリアクションを待っていたのだけれど、ついぞ今日まで何も言ってこなかった。

 だから気まずさは多少ある。

 半分だけ期待もせずにいられない。つまり、そろそろ仲直りできないだろうか、という。


 扉を開けた途端、冷たい風が顔にぶつかった。


「……!」


 物音に気づいた時雨が振り返る。上着も入らずに入院着のまま、窓辺に佇んでいたらしい彼の両側では、淡色のカーテンがゆらゆら舞っていた。

 思わず『さむくないの?』と尋ねた蛍に「……別に」という淡白な返事が放られる。

 いまいち説得力がない。顔が青ざめて、唇なんて乾ききっているのに。


 時雨が動かないので隣まで歩いていった。

 彼の視線は蛍の鞄に注がれている。足許に置かれたそれを見つめて、何を思うのかはわからない。


「寮に帰んだろ。……いちいち報告せんでいいわ、知ってっから」

『かおみたかったから』

「……」

『みなきゃよかったかも、ってちょっとおもってるけどね、いま。ていうか、かおいろわるいよ』

「……、放っとけ」


 未だかつてないほど機嫌が悪い時雨に、蛍の心の中にも暗い色が滲んでいく。

 さすがにあれから数日経って頭は冷えた。少なくとも蛍はいくらか客観的に状況を捉えられているつもりで、時雨の気持ちもわかろうと努めている。


 喧嘩自体は今までいくらでもしてきた。でも、こんなに長引いたのは初めてだと思う。

 それくらい互いに譲れない。何しろ命がかかった問題だから。


『……しぐれちゃん、わたしのこえのこと、きいた?』

「知らん。……検査してたやつ?」

『うん。そっか、おにいちゃん、いわなかったんだね』

「話せんて言われた。……オレがダメなヤツだからって」

『ぜったいそんないいかたじゃないでしょ。おにいちゃん、そんないじわるいわない』

「蛍にはな。オレにはそこそこ厳しい。……まーでも、意訳なのはそう。で、それが何? 声の検査ならいつもやってんじゃん」

『ちがうの。かんたんにいうとね』


 ――私、声出せた。今もね、出してるんだ、これで。


 時雨が少しだけ眼を開く。そして訝しげに眉を潜める。

 そりゃそうだ、これだけ聞いても矛盾しているように思うだろう。

 普通の人は高周波音なんて出さない。耳で聞こえない声なんて、大多数の人間にとっては出ていないのと変わらない。


 百聞は一見にしかず。蛍が最初に聞かされたときのように、検査結果の通知書を見せたほうが話が早いだろう。

 折りたたんだそれを手渡しながら、蛍は微笑んだ。


『わたしね、ちゃんとしたにんげんじゃないんだって』

「……あ?」

『しょうじき、しょっくだけどさ、でも、……だから、ぎゃくに。むりじゃないかも。はなびを、けせるようになるって、あるひとにいわれたんだ』

「は? ……何、なんの話してんの、おまえ」

『それよめばわかるよ。とにかく、わたしがいいたいのはね』


 本当は抱き締めたかった。

 けれどそうすると唇を読んでもらえないから、両手を握り込んで我慢する。


『ごめん。……みゅーたー、やめたくない。だからさ、なかなおりは、はなびをやっつけるまではできない』

「え? いや、だから何……」

『じゃ、さきにかえってるから。しぐれちゃんも、けが、はやくなおるといいね』


 ぽかんとしている時雨を放って、鞄を持って背を向けた。


 振り返らない。立ち止まらない。寂しくないと言えば嘘になるが、それでも蛍の気持ちは前を――そう思える方角を向いている。

 ままならない非情な現実は、絶望であると同時に希望なのだと、照廈(てるいえ)尉次(じょうじ)との会話の中で見出した。

 つまり己が人ではないなら、きっと人間の限界を超えられる。たった二ツ星の通常班の隊員でも騒念(クラマー)を打倒できる。


 お互い折れるわけにいかないなら、前提のほうをぶち壊してしまえばいい。

 時雨を煩わせるものは蛍がすべて消せばいい。




 決意を新たにしつつ久々に帰り着いた寮は、何やら妙な物音に満ちていた。ドアを開ける前から気づいてきょろきょろしている蛍を見て「さすがね」と鳴虎が笑う。

 玄関前の駐車スペースの隅には小さなスクーターが一台停まっていた。ところどころ塗装に小さな傷や剥げが散らばっていて、一目見て古いものだということだけはわかるが、見覚えはあるともないとも言い難い。

 そして扉を開けると、靴箱の横にある傘立てに祓念刀が鞘付きで一振り差し込まれている。廊下の奥では何やらゴソゴソ動く人影。


 ただいま、と軽く声を張った鳴虎に応えるように、その人もふらりと手を挙げた。


「あ、清川もいんのか。どーも」

「……?」

尾被(おかずき)くんも寮住みになったの。で、引っ越しは順調?」

「もともと大した量ないんで、運ぶのはもう終わってます。ただその……申し訳ないんすけど、まだ途中で、夜に備えて仮眠取りたくて……」

「あー、いいわよ。中休み取らせてないのが悪いもん。まあ時期が悪かったわね」


 苦笑いする寮長に、すんませんと小さく頭を下げるモモスケ。蛍はそれらをぽかんと眺めていた。

 そりゃあ隊の公式の寮なのだしいつ住民が増えてもおかしくはない。だからってこれは唐突すぎるし、よりによって時雨がいないときに。


 薫衣荘(くぬえそう)は三階建て。一階が共同スペースで、二階と三階は個室と物置になっている。

 モモスケが二階に上がっていったのでついて行くと、時雨の隣の部屋に入っていった。そこが居室か。ちなみに蛍の部屋は時雨の真向いなので彼とは(はす)向かいの位置になる。


 ぽけっとしたままの蛍を見て、鳴虎はちょっと眉尻を下げた。


「ごめんね、先に言ってあげれば良かった。びっくりしたでしょ」

「……」


 心配いらないとの意味を込めて首をふるふる横に振りつつ。正直なところ内心の本音は。


 ――嫌ではないけど、なんか、変な感じ。



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