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十二、『父親』との対面①

 着替える時間もないらしい。仕方なく入院着の上にカーディガンを羽織っただけの軽装で、蛍は照廈(てるいえ)尉次(じょうじ)の訪問を受けた。

 身内ならまだしも初対面の中年男性。しかも同席するのは、これまた親しいとは言いがたい照廈ワカシ班長ただ一人。

 ふつふつ湧き上がってくる負の感情たちを、なるべく顔には出すまいと思ったものの、正直上手く繕えている自信はない。


 それでもほんの少しの期待もなかったとは言わない。長年謎に包まれてきた自身のルーツについて、……決して明るい内容ではないにしろ、説明してくれる人には違いないのだから。


 そして、それは、こうも言い換えられる。

 ――この人こそが、蛍とハナビにまつわる事象すべての責任を問うべき相手。


「やあ、初めまして。清川蛍さんだね。えーと、このデバイスに向かって喋ってくれるかい? 音声認識で文章(チャット)化するから」

「……」

「ん、出た出た。……さて。さっそくだけど、高周波音しか発声できないって? それじゃ不便だろう」

[……はい、まあ]


 尉次は朗らかな雰囲気の人だった。とりあえず怖い感じではないことに少しだけ安堵する。

 蛍のことを調べられている気配はちょっと薄気味悪いけれど、代わりに用意は良くて、対話は思いのほかスムーズに始まった。


「まさか葬憶隊の隊員になってたとは。だいたいワカシから聞いてると思うけど、君も最近まで何も知らなかったんだよね?」

[声のことですか]

「そう。あとはつぐみのこととか。……さすがに君を見てると、私も感慨深いものがあるよ。あの子がもし生きてたらと思わずにいられない。……高校生か」


 蛍の上に、死んだ女の子の幻影を勝手に被せている。顔の上を滑る懐かしむような眼差しに、なんとも居心地の悪いものを覚えながら、蛍も言葉を探していた。

 この人には聞くべきことがたくさんある。けれど緊張やら何やらで、なかなか切り出せない。


 なんとなく泳がせた視線が、壁際に立つワカシに辿り着いた。サングラスのせいで表情が窺えないし、腕組みして直立不動なのがちょっと物々しいというか、あまり穏やかな絵面ではない。

 少なくとも気休めにはならなかった。

 ただ、どうやら向こうは眼が合ったと思ったらしく、どうも助け舟を出そうとしてくれたようで。


「叔父さん、ちょっといいですか。一つ改めて確認させてほしいんですが」

「なんだい?」

「つぐみちゃんと清川さんは、別人なんですよね?」

「何を基準にするかにもよるけどね。肉体的には完全に同一で、彼女はつぐみの脳で思考している。ある意味沼男(スワンプマン)より難しい証明になるね」


 尉次はふっと息を吐いて、途端に哀しそうな顔をする。


「……つぐみが死んだのは間違いない。私は直接見てはいないが……区画ごと隔離(ブロッキング)していたからね……つぐみの脳波、心拍、呼吸、あらゆる信号(シグナル)が十数分間も完全に停止した。あの状況で生存していた可能性は限りなく低い」

「……」

「それに例の騒念(クラマー)も殺したと言ったそうじゃないか。アレが嘘を吐く理由はない。恐らく天敵である君を殺そうとして、つぐみを巻き込んだ形だろう」

「そこも疑問です。普通、思念自殺はその……かなり悲惨な遺体になりますが、保護されたときの清川さんはほぼ無傷だったそうです。そんなことがありえますか?」

「ありえるよ」


 科学者は淡々と説明した。

 ――同格の音念(ノイズ)反音念(アンチノイズ)が衝突すると、恐鳴(スペクター)振動は完全に相殺することになる。その瞬間ちょうど中間地点にいれば物理的なダメージは負わない。

 まあ、あくまで計算上の話だがね。実際には相殺しきれない恐鳴を浴びる危険性は少なくないし、そもそも反音念はそれまで存在しなかったから、これが人体に与える影響も未知数だ。


 もちろん可能なかぎり対策はしたよ。つぐみには専用の防護スーツを作ったし、実験室は超高出力の音念低減スピーカーで囲って、そのほか考えうるあらゆる措置を講じた。 

 よほどのことがなければ問題は起きない。仮に何かあっても、すぐ中止できる。


 ただ――つぐみが発した音念の規模は、計算をはるかに上回ったんだ。

 平時の恐鳴出力は最大で千八百程度。潜在値をどんなに多めに見積もって予測するとしても、せいぜい上限は五千弱のはずだった。

 ところが実際は、一時的にとはいえ八千近くにまで達した――。



 ……。

 照廈尉次は思い出していた。いや、爆発音と警告音(アラート)が奏でた地獄の協奏(ハーモニー)を、彼とて忘れたことはない。

 娘の脳を守るために装着させたヘッドギアにはイヤホンとマイクが内蔵されていた。それが何度も拾い上げたもの悲しい嗚咽は、まだ耳の奥に残っている。


『おとうさん、おとうさぁあん……あけて、あけてぇ、いやだ、こわいよぅ』

『ごめんよ、もう少しだけ辛抱してくれ。すぐだからね。

 ――スピーカーの出力を上げろ。恐鳴値は?』

『すでにフル稼働です! ……こっちはまだ上がり続けてます、今は七千九百……』

『このままだとお嬢さんが……ッせめて、隔壁を解除するべきでは……』

『やめろ! 開けてどうなる、全滅するぞ』


 尉次は父親であると同時に、研究所の責任者として、娘と部下たちの命を天秤にかけねばならぬ身だった。実験区域を物理的に遮断したのは研究員を危険に晒さないためだ。

 それに――そもそも何のための実験だったかを忘れてはいけない。

 今、つぐみの傍には同規模の反音念も形成されている。彼女を守るのが『それ』の存在意義というもの。


『おとうさぁぁん……!』


 暴風雨のような破砕音に紛れて、子どもの悲鳴がする。それを聞いて胸が痛まないとは言わないが、尉次は信じていたし、ある種の興奮も覚えていた。


『まったく、なんてことだ……つぐみ、あの子がこれほどの力を生み出せるなんて、あぁ……すごい……』


 想定を超える結果は、それだけ大きな成果となりうる。ましてやまだ誰も辿り着いていない領域なのだ。

 つぐみが示しているのは、人間の脳が秘める才能の極限の値。それが自らの手の内にあって、科学者としてこれほど喜ばしく、また学術的好奇心を唆られることはない。

 誤解を恐れずに言えば、このとき尉次にとっては娘の泣き叫ぶ声すらも福音だったのだ。


 けれど、その高揚感は長続きしなかった。



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