五、蓋を開ける方法
覚悟はしていたが、やはり胃が重い。
ワカシはそろりと蛍の反応を窺った。当たり前だが少女は無言で、メモアプリが開かれたままの端末を握りしめているが、その指が心境を語る気配はない。
逃げるように時計を見、立ち上がる。
「こちらの都合で申し訳ないけど、一度会ってもらうのはもう確定なんだ。ボクにもどうにもできない。でもそれ以外はキミの意思が尊重されるようにします。
……じゃあ、今日はこれで。ボクもそろそろ巡回に出ないといけないから」
それから一時間後。
ワカシはコハルたちを連れて市内北東部を見回っていた。このあたりは繁華街から遠く、二重の意味で比較的静かなので、新人を連れての研修にはちょうどいい。
……と思うのはワカシたちだけで、当のショータは相変わらずつまらなさそうにしているが。
反対に、なぜかついてきた千尋は楽しそうに辺りを眺めている。五年ぶりの納琴市が懐かしいのだろうか。
「コハルちゃん、家この辺なん? 雰囲気そんな感じしとるな~思とったけど、やっぱイイトコのお嬢さんなんや」
「あはは、そんなことないですよぉ」
「ショーんちはどこなん?」
「……」
「くぉら無視すな」
「ッチ……、笛下ですけど。知る必要あるんですか」
「舌打ちやめぇ。それはアンタやのーてウチが決めんの。……笛下いうたら、例の子もそうやったな」
最後のは部下たちに聞こえないよう、小声でワカシに伝えてきた。
例の、というのはハナビに思念自殺させられた中学生のことだ。身元の欄に笛下第一中学校という記載があった。
ワカシの記憶が正しければショータも同じ学校だ。それも学年まで同じだから、もしかすると被害者と知り合いかもしれない。
今のところ通常の思念自殺と同じように報道されている。ワイドショーや週刊誌の関心は、もっぱら別の点――被害者が生前受けていたとされる学校内でのいじめ問題に向けられ、珍しく非難の矛先は葬憶隊から逸れていた。
むろん騒念の存在と関与が露呈すればそうもいかなくなる。たとえメディアにリークされても、当面は照廈の圧力によって黙らせられるだろうが、それだって限度はあるはずだ。
……というかそもそも、倫理的に正しい対応ではない。
せめて事実が暴露される前にハナビを始末しなくてはならなかった。だからこうして巡回する傍ら、恐鳴値計を逐一確認してその痕跡を探している。
(……といっても、前みたいに本人がひょっこり出てきたりはしないだろうな、もう)
ナギサと交戦したハナビは以前にもまして慎重になったろう。騒念を作ったのも勢力増強のためで、それも一体だけとは限らない。
一応、思念自殺した中学生の残留奏のパターンも頭に入れている。その後もハナビと行動をともにしている可能性が高いし、そちらのほうが辿りやすいと踏んだのだ。
しかし今のところ、……場所柄のせいかもしれないが、まったくと言っていいほど手がかりは得られていなかった。
あたりは平穏な住宅街。千尋も言うように、このあたりは比較的裕福な中流家庭が多く暮らす地域だ。
笛下も本来はそうだった。繁華街に近いので、そちらから音念や喧騒が流入してか、小規模な事件が年々増えているが。
しかし、ここよりは望みのある夜間の繁華街を中心に廻っている椿吹班からも、現状めぼしい報告が上がっていない。
こうなると着目する点は場所ではないのではないかと思う。つまり――ハナビたちはどうやって移動や潜伏を行っているのか。
地表なら必ず痕跡が残る。実体を持たない音念なら、地に足をつける以外の行動手段も考えうるだろう。
たとえば、とワカシは空を見上げた。
電信柱を繋ぐ蜘蛛の巣のような電線を伝えば、街中どこにでも行けはしないか。
だが複数体が上空にいるのはいくらなんでも目立つ。誰にも見つからずに行動するなんて、仮に一体でもほんの数分が限度だろう。
それにナギサの報告からすると、少なくともハナビは、散開型になったところで誤魔化しきれる体積ではないはずだ。
それなら――。
「んぐぐ」
「……班長、何やってるんですか……?」
コハルちゃんが呆れたような声を出す。というのもワカシが急にしゃがみ込み、そこら辺のマンホールの蓋をいじり始めたからだ。
千尋先輩も「相変わらず頭おかしいやっちゃなあ……」とさりげなく失礼なことを仰っている。ていうかワカシくんそんな風に思われてたんですね?
「うー。やっぱ工具が要るかぁ」
「マジで何しとんの」
「や、下水道が怪しいナ~と思いまして?」
若者たちは「は……?」と揃って引き気味だが、千尋はワカシの言わんとしていることを察したらしく、うっすら顔色を変えた。
しかし新人の前ゆえ明言は避け、さりげなくコハルの肩を抱いて「アホは放っとこかー」と向きを変えさせている。言い回しはともかくフォローは助かった。
良くも悪くも、ワカシは思いついたらすぐ行動してしまう癖がある。
普段から突飛な言動をしているのは半ばこのためだ。もう半分は親しみやすさの演出。
なお、実行力の高さは残念ながら照廈家の血筋らしい。父や叔父を見るかぎり。
「大瀬さん、うちのリーダーってやっぱり昔からおかしかったんですか?」
「コハちー容赦ゼロ☆」
「せやなぁ、むしろ今だいぶ落ち着いたんちゃう? 頭ピンクとか黄緑んときあったし。将来ハゲんで」
「毛根つよつよ家系だからダイジョブですぅ~」
「あと沼主の姐御に会うたびプロポーズしとったな、キッショい声で」
「……それ今もやってますよ……ホント見てて恥ずかしい……」
「まだやっとんのかい……ド変態やな」
「隙あらばめーこパイセンにセクハラしてた人には言われたくないカモ……カルガモ……」
なんとか茶々を入れて抵抗するも、女性二人相手ではどうにも分が悪い。いや、これは逆にチャンスかもしれないと思い、我関せずを貫いていたショータに「キミはボクの味方になってぇ」とにじり寄ってみる。
そりゃあもう放射性廃棄物でも見るような極寒の眼差しで返された。確かになあ、庇ってもらえそうな要素ないものなあ、と悲しくも自ら納得してしまう。
「ああ……今からでも椿吹さんの班に移りたい」
「……、え?」
コハルちゃんのその手の問題発言は、ワカシにとってはすでに聞き古された内容だが、千尋も眉を潜めていた。たぶんそれは単に『椿吹』という単語に反応しただけだと思うけれども。
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