二、荒波来たる
今朝の会議室は少々手狭だ。というのも普段の面子に加えて、特務隊の二人も参加するからである。
匡辰と五来は夜勤だったので間に仮眠を挟んでいるが、そうまでして出ろというあたりに議題の重さを察し、自然と表情が固くなる。勤務シフトが流動的なのは平生からだが、会議のために残業させるのはさすがに稀だ。
しかし匡辰としては、どうしても鳴虎が来ると彼女のことも気になってしまう。いつもと席次が違って間隣に座られたのでますます無視できない。
顔色は悪くはなさそうだが、調子はどうだろうか。用意しておいた薬は飲んだろうか。
ついチラチラ見ていると、視線に気づいた鳴虎がちょっと鬱陶しそうに見返してきたので、急に気まずくなって視線を逸らした。
……勢いでキスしてしまったことを、覚えていないといいのだが。
ややあって総隊長、終波タケが現れた。驚くべきは彼女の隣に旺前支部長までいたことだ。
ますますことの深刻さが予想されて、思わず背筋を伸ばした。
そして実際、タケが口にしたのは、もっとも憂慮されていた事態であった。
「――騒念の人的被害が確認された。照廈つぐみの件は葬られているから、これが記録上では初になる」
「……いつ見ても悲惨だねえ、自殺現場は」
「こいつを自殺と呼ぶのはどうかと思いますがね」
旺前の言葉に、五来が太い眉をひそめてぼやくように返す。デバイス越しに配られた資料は先日発見された思念自殺者に関するもので、現場はもちろん遺体の写真も添付されていたが、これは何度見ても慣れるものではない。
匡辰も思う。この中学生が本当に死を望んでいたかなんて、本人以外誰にもわからない。
だが、思念自殺という語はあくまで『自らが発した音念による死』を意味しており、希死念慮の有無は含まれない。だから定義上は間違ってはいないのだ。
「待ってください。思念自殺であれば、彼女を殺したのは騒念……ハナビではないことになるのでは?」
「直接的にはそうだ。技術チームの所見――三ページ目、によると“現場の残留奏の約半分の構成はハナビのものと一致。また音念が瞬間的に急成長した痕跡があり、そのような現象は自然には起こりえないことから、ハナビの介入があった可能性が高い”」
「つまり思念自殺を助長して、本来死ななかった子を死なせた……と」
誰かが溜息とも呻き声ともつかない音を漏らした。
「ああクソ、もっと悪いな。その続き、“ハナビと異なる構造を持つ残留奏にも一部に重奏状態が認められた”――野郎、騒念を殖やしやがったぞ」
「……しかも恐鳴値は百越えてますね。思念自殺案件なので当然かもしれませんが、上級音念クラスの騒念が二体も……」
「いいえ、死亡推定時刻から遺体発見までにずいぶん時間が経ってますから、比例して低減率も上昇します。それを踏まえるとピーク時の恐鳴値は数十倍……恐らくハナビは超級音念に到達しているかと」
五ツ星以上の三人が存外冷静な声音で話し合うのを、匡辰と鳴虎は呆然と聞いていた。もはや自分たち四ツ星の出る幕はない。
もとから騒念の討伐は特務隊の役目ではあるが、まだハナビ一体だけが相手なら少しは手伝う余地もあった。実際、前回のハナビの手駒はどれも単なる上級音念だったし、うち一体は鳴虎がほぼ単独で始末している。
強力な騒念が二体に増え、恐らくまた蛍を狙うだろう。だがそのとき自分たち二人には彼女を守る力がない。
急に己がおぞましいほど無力に思えて、胃の底がずしりと落ちるのを感じた。
匡辰はそっと視線を斜めにずらす。鳴虎の小さな拳が膝の上で震えているのが見えた。……半年前ならきっとそれを握っていた。
取り残されている班長二人をよそに、会議は続く。
「困ったねぇ。うーん、公表してもしなくても怒られるだろうなあ。だったら公表しないほうがいいよね」
「……いいんですか」
「まぁいざとなったら僕が責任取るよ、そのためにいるようなもんだし。どうせいつ辞めてもいいしさ。ていうか公表したところでみんなパニックになるだけでしょ、気を付けてください、なんて言ったって民間人に自衛の手段はほとんどないわけだし。
それに――ハナビの出元がどこか、なんてマスコミに嗅ぎ回られたら、困るのは僕らだけじゃないからねぇ?」
旺前支部長の視線はワカシに注がれている。すでに照廈つぐみの件はこの会議室内では共有されているので、全員がその意味を理解できた。
ワカシの叔父、テルイエ技研所長の照廈尉次の娘、つまりワカシの従妹にあたる特異発叫者の少女。彼女が父親主導の非人道的な実験でハナビを生みだしたことが世間に知れたら、これ以上ない不祥事になる。
下手をすれば、これまで隠蔽してきたテルイエグループ絡みの他の案件までもが陽の下に引きずり出されるだろう。それを総帥の照廈駒吉が許すはずがない。
……つまり、仮にここで旺前やタケが公表することを選んだとしても、そちら側から制止される可能性が高いわけだ。
初めから選択肢などないに等しい。
「じゃ、あとはタケさんに任せるね」
「はい。
これ以上の被害が出る前にハナビを狩らねばならない。やることは今までと大きく変わらないが、心構えをしなさい。――総隊長権限を以て緊急警戒を発令する」
瞬間、空気がピリついた。
「それと、……さすがに他支部への応援要請が通った。といってもうちから派遣した人員が一時的に返される恰好になるが」
「……というと」
「ひとまず関西支部か――「こんちわー!」
タケの言葉を遮って会議室の扉がやたら勇ましく開かれた。それもえらく調子の軽い、やや関西風のイントネーションの挨拶を伴って。
全員がぽかんとしてそちらを見ると、背の高い女が一人、仁王立ちで笑顔を浮かべていた。
まっすぐな黒髪を後頭部でまとめ、身にまとうのは暗色の実働隊服。ジャケットの裾は燕尾服のように背中側だけ長く、細身のパンツに包まれた腰には祓念刀を提げている。
タケが言うとおり、彼女はこの場の全員と知らない仲ではなかった。
「そんなお暗い顔でお出迎えしなさんな、皆の衆。――ってわけでェ、大瀬千尋、ただいま帰還いたしましたッ」
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