十七、『悪い知らせ』
巡回は予定どおり進んでいた。ここらで中断して食事休憩にしよう、というところで図ったように端末が震え出し、一瞬通報かと身構えたものの反応したのは自分一人。
かといって安堵の暇もなく、ディスプレイに表示された名前に面食らう。匡辰は逸る気持ちを堪えながら応答をタップした。
「――鳴虎? どうし……」
『あら、まだ下の名前で呼んでるの』
「……沼主先輩?」
『ええ。私の端末は充電切れで。それより萩森のことで頼みがあるんだけど……来られる?』
隣から気遣わしげな二つの視線が寄越されている。尾被と五来にハンドジェスチャーで『問題ない』と示しつつ、気持ち小声になって返した。
「わかりました。どこですか」
時間帯と指定された場所――夜更けの繁華街――からしてそんな気はしていたが、押し付けられたのはアルコールの香りに包まれ眼を腫らしながら微睡んでいる鳴虎だった。彼女は酒癖があまりよろしくない。
……自分と付き合っていたころはもう少しマシだった気がするが。
匡辰はいくつか抗議の念を込めてナギサを見た。言いたいことが山ほどある。
なぜ鳴虎がこうなるまで制しもせずに呑ませたのかはもちろん、そもそも、なぜ彼女の介抱をよりによって己に任せるのかも。自分たちが破局したことは彼女も知っているのに。
正直もとからこの女性のことは少し苦手でもある。ワカシはミステリアスなどと評するけれども、言い換えれば『何を考えているかわからなくて不気味』なのだ。
「睨まないで。彼女の交友関係をよく知らないし……あなたが迷惑だっていうなら、彼女の電話帳に載ってる番号に片っ端からかけます」
「……いえ、自分は構いません。ただ……」
「悪いけど私自身はこれの世話で手一杯だから」
雑に代名詞で示されたワカシは青い顔でぐったりしていた。一体何が……と思いつつ、問うている時間も義理もないと思い直し、鳴虎を抱え上げる。
相変わらず軽い身体だ。彼女はやっとそこで匡辰に気づき、まだ輪郭の滲んだ瞳でこちらを見上げる。
「……」
酔いと眠気で頭が回らないのか、何を言うでもなく。その、とろんとした眼差しに背筋がざわついて、匡辰は努めて前を向いた。
「失礼します」
車に戻り、バックシートに鳴虎を転がす。扉を閉める音が夜空にやたら響いて聞こえた。
エンジンをかけ直しながら、鳴虎をミラー越しに眺めて深く息を吐く。
行き先の候補は二つある。一つはもちろん薫衣荘――鳴虎の現在の住まいである葬憶隊の社員寮、そしてもう一つは匡辰のマンション。
前者のほうが始末は楽だが、匡辰自身は今はあくまで食事休憩中であるというのがややネックだった。時間が限られる中、鳴虎の介抱をしつつ自分も夕食を済ませねばならない、となると自宅のほうが利便性が高い。
寮に時雨か蛍がいるなら、送り届けて後は彼らに任せる手も取れたが。二人とも入院中の今はそうもいかない。
「……ああ。まったく」
喘ぐように悪態を吐き、ハンドルを切る。後ろからはかすかに寝息が聞こえてきた。バックミラーの中で、白い頬が車体に揺られてちらちら光っている。
匡辰は片手で口を覆った。醜く歪んだ口角を隠すためだった。
*♪*
残業中の終波タケもまた電話のベルに捕まっていた。ディスプレイには技術部長の名。
応対すると、ひそめた声で『ご報告が……』と続く。どうやら良い知らせではないらしい。
「……わかった。総務に連絡は? ……そう。ああ、……今届いた」
片手でノートPCを操作し、メールに添付されていたZIP形式の資料を、手早くパスワードを解除して即解凍する。中身は画像数枚と文書ファイルである。
左上から順に開けば、さっそく飛び込んでくるのは惨たらしい遺体の写真。全面に散った赤はどす黒く変色しており、もとの衣類の色がわからないほどで、手足はあらぬ方向に捻じ曲げられている。
タケはそれを見てわずかに眉を潜めただけで次のファイルをクリックした。
特徴的な部位が拡大されたもの。手、胴体、それから、顔。
頭部も血まみれのうえひどく潰れてしまっていて、もはや元の顔立ちもわからない。わずかに原型をとどめた髪と襟の色柄から若い女だと察する――まだ学生。それも、恐らくは中学生か。
文書にはこの哀れな遺体の発見場所と日時、司法解剖結果などが記されている。
身元もすでに特定されていた。地元中学に通う女子生徒で、数週間前に捜索願が出されている。
学校名に見覚えがあったタケは一瞬顔を上げ、数秒虚空を眺めてから、最近どこでそれを聞いたか思い出した。――照廈班の新人、半裂椒大の履歴書。
むろん、このような資料がタケに送付されたのには理由がある。
「典型的な思念自殺だね」
『ええ。現場には残留奏もたっぷり……で、標本を採ったら、どうも二種類あると』
「つまり?」
眉間のシワが深くなる。
変死体が見つかった場合、通常まず警察の捜査が入り、思念自殺と判断された時点で葬憶隊に引き継がれる。現場に音念そのものがいなければ実働隊ではなく技術部の管轄だ。
現場の残留物が数種類であっても別におかしいことではない。本体を死に至らしめるほどの大型の音念なら、近くにいた他の個体が引き寄せられることは充分考えられる。
わざわざ言うくらいだから何かあるのだろうと察して聞き返したが、まさにそれこそが『悪い知らせ』だった。
『例の騒念の現場で採取したものと波長が似てるって言うんですよ。まだ鑑定前だけど、あれに関して言えば、似たようなのが複数いるのはちょっと考えられんでしょう?』
「つまり奴が一枚噛んでると」
『ええ。照廈のご令嬢の件は抜きにして……記録上は、これが初めての被害ってことになる』
騒念、標的名『ハナビ』の存在は、まだ世間に公表していない。いたずらに民衆の不安を煽ったところで、無用に音念の発生率を上げて事態を悪くするからだ。
だが一般人に犠牲者が出たとなれば、そうもいかなくなってくる。
タケは一度通話を切り、それから深く息を吐いて、再び端末を操作した。
「……。終波です。今よろしいですか、支部長」
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