十五、丹鳥の心積もり
「……あの、リーダー。何か悪いものでも食べたんですか?」
「えっ何イキナリ」
なぜかコハルちゃんが憐れむような目でそう尋ねてきた。キョトンとするワカシに、曰く「沼主先生を口説かないリーダーなんて初めて見たので……」。
内心ぎくりとしながら無理くり口角をひねり上げた。
よく見てらっしゃる……という話でもない。この場合、ほぼ例外なくナギサを見るたび条件反射で尻尾を振ってきたワカシが悪いというか、百人中百人が気づいてしかるべき異変である。
「……アハハ、ヤダな~コハるんてば、ボクチンにだって気が乗らない日くらいあるよぉん」
「それが信じられないんですけど……」
「だーいじょぶ。……今日だけだからね」
「え?」
「そ~れ~よ~りぃ、ショータきゅんの調子はど~ぅ!? 元気? 朝ごはん食べた?? 身長何センチ???」
あまり取り繕えていないのが露呈しつつあったので、無理やり話題を変える。なおショータからの回答は「最後のやつ要らねぇだろ。ウザ……」であった。
ところがどっこい。班長的には隊員の背丈を知っておくと参考になるのです。
身長と腕の長さは相関関係にあるので、たとえば混戦になったときや地形に難がある場合など、配置において考慮するべき要素と言える。
ショータは伸び盛りだから、これから何度も制服や祓念刀の調整をし直すことになるだろう。
自分のときを思い出すと少し懐かしくなる。
ちょっと背が伸びるたび逐一ナギサに報告して、めちゃくちゃどうでもよさそうに対応されたりとか。……欲を言えばもうあと十センチほしかった。
火傷の後遺症で右半身の動作に不安があり、左も使えるようにすると決めて二本目の製造を頼んだときも、最初は各所から苦い顔をされた。……今思えばそんな前代未聞の要望が通ったのは自分が『照廈の人間』だからだろう。
それ自体はやるせないが、今さら嘆いても仕方がない。それよりワガママを通したぶんだけ葬憶隊に貢献する義務がワカシにはある。
新人を育てるのもそのひとつ。
……それと。
「ねえねえショータくぅ↑ん。えっとー、きょうだいいる~?」
「それ答える必要あんの? つか絶対興味ないくせに」
「こらっ、班長には敬語でって言ったでしょ」
「ぷっ……ちょっと見ない間にコハち、すっかりお母さんみたいに……あっあと班長じゃなくて『リーダー』ねッ」
「まじウザ……。兄弟はいません。おれ一人」
「そっかー☆ ボクはねぇ、わかんないけど法的にはいないかな!」
「……急に複雑な家庭環境を匂わせないでくださいよ。ちなみにうちは姉がいます」
「へぇー、初耳だぴょん」
突然始まったダラダラした雑談に、ショータくんはきわめてダルそうにしている。ワカシはそんな彼の細い肩をぽんと叩いた。
「興味はこれから持つんだよ。同じ班てことは、ボクらはお互いに命を預け合ってるようなものだからね」
「……いつの時代のノリですか」
「哀しくも現代だよぉ~。いつどこで何が起こるかなんて誰にもわかんないでしょ、特に今は」
彼も耳にはしているはずだ。この街のどこかに騒念が潜み、すでに三人の隊員が負傷させられ、うち一人はちょうどショータが配属された時点では意識不明だった。
まだ向こうが本格的な攻勢に出てはいないだけ。ナギサの報告した敵の規模なら、いつ死者が出てもおかしくはない。
「キミたちのことはボクが護ります。……まぁ、なんたってリーダーだからNE☆」
「あー、はいはい……」
*♪*
どんな顔をして時雨に会えばいいだろう。
蛍は布団の中で考え込んでいた。めちゃくちゃな検査結果を見せられて、まずそれ自体を飲み込めたかどうかすらもわからない。
そもそも、自分でも己の声がまったく聞こえないのだ。尋常ならざる周波数も音量も、どれも数字を見て感覚的にピンとくるものでもないし、自覚も持ちようがない。
ただハナビの反応だけは、間違いなく目の前で起こった事実。
確かに彼女は蛍の叫びに対して『うるさい』と言い、恐らくはそれを浴びて身体を崩れさせていた。そして、かねてより蛍を激しく敵視していた。
『あなたがいると、私は安心できないの』
『まだ、あんたは私を殺せない……』
『殺すしかない』
『それはこっちの科白よ。私が聞きたい。何なのよ……あんたさえいなきゃ、私はもっと自由に生きられるのに』
痛みの滲む記憶を掘り返し、あれに言われた言葉を反芻する。
『恨むなら、私たちを作った人たちよ』
……そう。たしか、そう言った気がする。
もし『私を作った人』ならそれほどおかしな科白ではない。音念だから厳密には『生んだ人』だろうけれど、それくらいなら軽い言い間違いの範囲内だ。
でも『私たち』、『作った人たち』と、どちらも複数形だったのは。
(私、人間じゃないのかな)
思わず手を見る。普通の色形をしていると思う。でも、擬態型の音念だって人間そっくりに化けられる。
顔を触ってみる。入院中は普段どおりのスキンケアがなかなかできないから少しカサついているが、柔らかさや体温はいつもと変わらない。
……ああ、でも、ハナビの手も別に冷たくはなかった。
こうなってくると自分が何者なのかを証明するものなんて何もないような気がする。久しぶりに一番最初の――まだ支部に保護されたばかりの頃のような、空っぽの感覚に包まれた。
むしろあのときより悲惨だ。自分が、どこの誰かを通り越して、もはや人間かどうかすらわからないのでは。
何より今は、傍で笑いかけてくれる人がいない。
時雨のことだけは頼れない。……頼ってはいけない。
これ以上蛍の問題に巻き込んで彼を傷つけるわけにはいかない。
(……ハナビは私を怖がってた。『まだ殺せない』ってことは『いつかは殺せるようになる』って意味なんじゃないの?)
ふうっと息を吐きながら身体を起こした。
なんとなしにベッドサイドを見ると、脇の小机に蛍石のペンダントが置かれていた。鳴虎が外しておいてくれたらしい。
それを手に取ると、自然に思い浮かぶのは、時雨の笑顔。
『じゃあ、蛍! ホントの名前がわかるまで――』
ほかの名前はいらない。本当の自分が何者だったとしても、彼の『蛍』でいさせてほしい。
そのために。
――強く、ならなきゃ。ハナビを殺せるように。
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