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十一、致命的なレゾンデートル

 思えばあの日、四人を尾行してきた擬人型音念(ノイズ)を最初に見破ったのも蛍だった。

 彼女は耳がいい。小さな物音にも反応するし、巡回中まだ遠くにいる音念を見つけたり、足音で誰だか当てたりもする。

 だからもしあの場にハナビ以外の音念がいたら、きっと蛍が気づいたはず。


 自分たちを昔からずっと見てきた匡辰にも、いくらか覚えがあるのだろう、時雨の話に静かに頷いていた。


「……さて。このあと君は負傷して気絶しているから、以降の確認は不可能だな」

「ん。……結局オレ、手も足も出んかった。あのときさ、めー姐とナギサ先生がもうちょい遅れてたら……オレら今ごろ、死んでたんかな」

「ああ、その可能性が高かったと思う。不幸中の幸いだな」


 匡辰はそう言うけれど。

 それで良かったんだろうか、と時雨は思ってしまった。もちろん蛍は別だが、自分が()()生き延びたことを、喜んでいいものだろうかと。


 戦力にはなれないと思い知った。あれだけ必死に攻撃しても、ハナビをほんの僅かに削ることすらできなかったのだから。

 保護者だなんだと(うそぶ)いておいて、蛍を守るどころか、彼女より先に倒される体たらく。

 死ななかったのは単に運が良かっただけだ。時雨自身には何の力も価値もないことが、絶望的なまでに証明された。


 さっき窓辺に立ったとき。

 自分を此岸に留まらせるものは、何もなかったような気がする。


「……そんで、蛍の話は? そもそもなんの検査だったん」

「それは言えない」

「なんで」

「今話していて感じたが、君の精神状態は安定しているとは言いがたい。だから話すべきではないと判断した」

「……超はっきり言うじゃん」


 そういう人だとわかっていても面食らうものがある。けれとも今の時雨には、この痛いくらいの対応が心地よかった。

 おかしな話かもしれないが、鳴虎の気遣いやモモスケたちの慰めは、余計に傷を抉るのだ。彼らにそんなつもりはないとわかっていても、おまえに悩む権利はないと言われているような気がしてしまう。

 ちゃんと、愚か者として扱ってもらえた。今はそのほうがいい。


「じゃあこれだけ教えてよ。あいつ、なんか病気とかなの?」

「違う。ある意味それより悪い。だが……ある意味では、もっと良い状況だとも言えるな」

「なんじゃそら。……よーわからんけど悪いオンリーじゃねえならいいか……」


 気にならないと言えば嘘だが。『今は話すべきではない』と結論を宣告してきた以上、匡辰から聞き出すのは無理だろう。

 それに、どうせ、時雨にできることなんてありはしない。


「……。こういうことは不得手だが、話せば楽になるなら聞くぞ」

「無理すんなよ。ていうかさっき同じことモモくんたちにもされたわ。どっちかっつーと、放っといてくれたほうがいい」

「自力で改善できるならそれでもいいが、実際そうでないことは十年前に証明済みだ。まあ僕が不適任なのも事実だし……鳴虎のほうがいいなら彼女と代わろうか」

「勘弁してくれよ……めー姐に言っても意味ねぇから。

 つーかマサ兄は人のこと言えねえだろ」


 今さらながら、蛍相手でなければ少しは舌が回るらしい。けれどもそれは決して良いことではなかった。

 まだ頭は凍てついている。ろくに考えもせずに口を突いて出る言葉は、どれもこれもひどく乱暴で粗く、尖っていた。

 つまりは人を傷つける形をしている。あの死神の鎌のように。


「ちゃんと話してねえじゃん、めー姐フッたとき。なんで別れんのかってさ。知らんけど、結局そういうことなんじゃねえの?

 どうせ言っても変わんねぇから、……迷惑になるだけだから、黙ってんじゃねえのかよ」


 やけくそで放り投げた言葉は、思いのほか鋭く刺さったらしい。匡辰は数瞬息を止めた。

 いつも冷静で、時にロボットのように思えるくらい表情を変えない白い顔が、傍目にわかるほどくるくると色を移す。一つひとつ数えてなどいられないが、怒りや後悔、恥、どれも穏やかとはいえない負の感情が、入れ替わり立ち代わり。

 ペンを握ったままの右手が一瞬ビクついたのは、もしかしたら振り上げそうになったのかもしれない。


 けれども激しい動揺を努めて堪え抜いた彼は、ゆっくりと静かに口を開いた。

「……君には、関係のないことだろう」と。

 その突き放すような言い分にはいくらか、まだ平静を繕いきれていない気配が漂っていた。


 関係がないわけがない。両親を喪い、親戚も遠すぎて頼れなかった時雨にとって、鳴虎は家族に等しい。

 このところはすれ違うことも多くなったが、根本的な認識は今も変わらない。

 その彼女を、よりによって兄分と慕ってきた匡辰が深く傷つけたことを、内心ずっと許せなかった。彼だってそれくらいわかっているはずだ。


「言いたいことはそれだけだな」

「……お互いね。あのさ、……蛍にゴメンっつっといて」

「自分で言いなさい。……それと、これだけは言っておく」


 匡辰はそこで立ち上がった。百八十を超える長身に見下ろされると、それなりの威圧感がある。

 ……とくに今は、レンズの奥の鬱金色の瞳が、腹を空かせた爬虫類のように鋭利に光って見える気がした。


「……これから蛍は大変になる。だから君はなるべく早く復調して、彼女を支えてやってほしい。君だって蛍のことは大事だろう」

「……、そう思うなら教えろっての」

「もう少し君が落ち着いたらな」


 去っていく匡辰の背を見過ごして、時雨はまた思考の海に落ちる。ろくでもない色をしたそこに沈むのは、たぶん良いことではないんだろうが、彼岸を覗くより少しはマシだろう。

 もうその必要はない。そう、思いたい。


 まだそれに縋っていいのなら。生き延びるには弱すぎて、それでも死ぬなと言うのなら、理由を作るしかないじゃないか。


 正しいかどうかは関係ない。なんだったら嘘でもいい。

 もう一度、ただ一心に思い込む。

 己が生きるのも戦うのも蛍のため。なぜなら、みんなが言うように、彼女のことが大切だから。


 ――それこそ自分(てめぇ)の命より。



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