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十、塞がる

 蛍が去ったあと病室は一度静まり返った。そのあと最初に響いたのはパイプ椅子の音。

 エッサイと時雨の寝台の間にそれを置いて、モモスケは腰を落ち着けた。


「で。……清川と何があったんだ?」

「……。なんでモモくんめちゃめちゃ聞く体勢に入ってんの」

「君たちが心配だからですよ。僕もそうです。……清川さんがつらそうで」


 ここで蛍を引き合いに出すのはズルいと思う。

 耳に痛い『ハゲワシくん』の援護射撃に、時雨はむっと顔をしかめた。今はそれだけで、筋肉が引っ張られでもするのか、ハナビに刺された辺りがずきりと痛む。

 つられてその瞬間を思い出してしまう。


 あのとき、時雨はどんなにひどい顔をしていただろうか。

 蛍がどういう反応をしていたか覚えてすらいない。それほどに余裕がなかった。


 ハナビ。

 あの真っ白な化け物。……よりによって蛍の顔で。

 思ってしまったのだ、もしかしたらあいつは、声も蛍と同じなんじゃないかと。だとしたらあれは蛍の声で、彼女がするように時雨の名前を呼んだのだ。


 それがどうしても許せなかった。まるで大事なものをひどく汚されたようで。


「……別に、大したことじゃねえし。なんつーか……こんなんやられちまって、オレのが蛍より重傷っぽくて、恰好わりぃなって思ってるだけ」

「ふーん。でも相手、騒念(クラマー)だろ。生きてるだけ良いと思っとけよ」

「僕も同感です。本当に、お二人とも無事でよかった」

「まーね……」


 その、想定外の軽傷で済んだ理由すら。

 自分で出した音念(ノイズ)に包まれていたからだなんて。一応その理屈も聞いてはいるが、めちゃくちゃすぎて飲み込めなかったし、どうでもいい。


 確かなのはただ一つ。

 壊れてしまった。蛍のための『お喋りで陽気な時雨ちゃん』という偶像が。

 それなのに蛍はまだ自分の傍にいる。それがやるせなくて、……内心ホッとしてもいて、余計に自己嫌悪が募るのだ。


 モモくんたちは今の時雨を『普段と違う』と評するけれど、少し違う。

 元に戻っただけ。……十年前、蛍と会う前に。


「……? お」

「あ……、モモくん、ちょっと付き合ってもらえますか? えーと、リハビリ」

「おう。どれくらい動けるか見てやるよ」


 ふて寝していた背中の向こうで、急に椿吹(つばき)班コンビが動く気配があった。なんだかわざとらしいなと思いつつ、出ていくのを止める理由はないので、放っておく。

 むしろ助かる。独りの時間が欲しかった。

 今は誰かと居るのがしんどい。これまでのように振る舞えない時雨に、みんなして『おかしい、変だ』という顔をするから。


 このままではダメだということくらいわかっている。

 でも、どうしたらいい。陽気を纏いたくても、何か喋ろうとしても、脳みそが凍りついたみたいに言葉が出てこないのだ。


(ある意味、恰好わりぃってとこは本音だな)


 無理やり身を起こす。胸の刺し傷の他には全身の打撲だそうだが、幸い骨はイッてないらしいので、支えがあれば歩くことはできる。

 時雨はふらつく足で窓へ向かった。開け放つと晩秋の冷たい風が吹き込んできて、それを顔面に浴びながら、地面を見下ろす。


 昔、同じことをよくやった。高いところに身を置いて、もしふと転げ落ちてしまったらどうなるのだろうと考えながら、無為に時を過ごすのを。

 といってもここは二階だ。この程度の高さでは、よほど上手く頭でも打たなければ死ねないだろう。

 でも、時雨の目的はそれではなかった。


 死にたいわけじゃあない。

 生きるための理由が欲しい。


 両親がいるであろう彼岸に向けて、自分はまだそちらには行けないという、言い訳が。


「――時雨」

「っ、……マサ兄」


 引き止めるように肩を掴まれ、振り向くと匡辰がいた。そういえば話があるとか言っていたか。

 けれど彼の隣や背後には、当の鳴虎の姿が見当たらない。「めー姐は」と尋ねると、匡辰は窓に手をかけながら「少し事情があって蛍のところに置いてきた」と答えた。


 促されて寝台へ戻る。寝る気はしなかったから、布団の上で胡座をかいた。


「で、話って何?」

「二つある。一つは君に聞きたいことで、もう一つは蛍に関する報告だ」

「蛍? ……昨日なんか検査するっつってたけど、それ?」

「そうだ。でも、その前にまず君自身への用から済ませるぞ。鳴虎が聞き取った調書の内容を再確認する」


 再報告なら長丁場の案件では珍しくない。とくに昨日の報告なんて、時雨が目を醒ましてからあまり時間が経っていなかったこともあり、自分でも何を話したのか曖昧なくらいだ。

 一日経って少しは頭もすっきりしただろう、何か追加で思い出せるかもしれない。


 それに蛍が何と証言したのかはまだ聞いていない。今日はそれと照らし合わせて、食い違いがないか確かめるというので、時雨は思わず背筋を強張らせた。

 正直に言えば、聞くのが少し怖かったのだ。

 もし聞き役が鳴虎だったなら、目敏く時雨の緊張に気がついて、大丈夫かと訊いてきたかもしれない。匡辰はたとえ気づいても何も言ってはこないから、それに少しだけ救われる。


 確認は淡々と進んだ。不必要な尋ね返しはなく、かなり事務的な質疑応答の繰り返し。

 時雨もなるべく冷静でいたいけれど、……話がハナビの言動に触れると、そうもいかなくなる。


「……どう思った?」


 初めて匡辰が定型的でない問いかけをした。何が、とぼやく時雨に、レンズの下から鬱金色の瞳が瞬きを返す。


「騒念に名前を呼ばれたそうだな。蛍の報告では、彼女に倣って『時雨ちゃん』と。それについて疑問には思わなかったか?」

「……あんときゃ頭に血がのぼってて、それどこじゃなかったんだよ。今はそりゃ妙だっつーことくらいわかる……どーいう理屈かは知らんけど」

「そうか」

「何が言いてぇのマサ兄」

「いや。単純に君がどういう予測を立てたか知りたかっただけだ」


 予測か。

 時雨はうんざりした気分を堪えて、当日のようすを思い返す。主にハナビの言動や仕草を。


『そう、その子「しぐれちゃん」っていうのね』


「……なんかあいつ、誰かと喋ってるみたいだった。もしかしたらあの場にもう一体いたとか……でも蛍が何も言ってねーなら違うか。あいつ耳いいし」



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