二、新人きたる
蛍の『時雨べったり』は今に始まったことではない、とはいえ。さすがに今の光景は鳴虎としても胸が痛む。
自分も少なからず怪我をして、充分な休息を必要としているのに、一日じゅう時雨の傍を離れないのだから。
「あんたもちゃんと休まなきゃダメよ」
肩を擦りながら、なるべくやんわりたしなめると、彼女は困ったような顔をする。気持ちはわからないでもないから、鳴虎もそれ以上は言わない。
時雨さえ目を醒ましてくれたらこんな悩みはなくなるのに。弟分は穏やかな顔でぐーすか眠っていて、腹立たしさと悲しさが同時に込み上げてくる。
……自分たちがもっと早く駆けつけられていたら。
いや、それより十年前に、もっとしっかり時雨の心の傷に寄り添っておくべきだった。表面上の明るさに惑わされてはいけなかったのだ。
ましてやその役目を、ほんの六歳かそこらだった女の子に任せるべきじゃあなかった……。
「……あーっと。例の騒念についてもう一回話を聞きたいんだけど……。
上鷲くん、ちょっと横でうるさくしていい?」
「もちろん構いませんよ。むしろ僕も気になるので……」
「まぁそうよね。じゃあ蛍、用意して」
少女はこくりと頷き、筆談に備えて端末を取り出す。
当初はことが大きすぎるからと、混乱を防ぐために情報の共有範囲を制限していたけれど、今はもうそんな段階ではない。
実働部隊員がこんなふうに次々と負傷することなんて稀だから、騒念の出現はすでに支部内に知れ渡っている。
それに上鷲くんも復帰したら『ハナビ』と再度遭遇する可能性がある。そうなれば、今のそれが『現在の蛍と同じ容姿』である事実は伏せようがない。
しいていえば、いち隊員――つまり蛍が事態の中心にいることは、不必要に広めたくないけれど。
わざわざ彼女を悪く思っている人間はそういないとは思うが、人の流言というのはしばしば悪意の有無に関係なく歪むものだから。
「さて。時系列に沿っておさらいすると……まず『擬人型』と『散開型』がほぼ同時に出現。どっちも上級音念で、擬人型は『流動型』に形態変化したわね」
「……序盤からすごいですね」
「そうね。ナギサ先輩がいなかったらもっと対処に時間掛かったと思うわ……散開型や流動型って厄介だし」
霧状や液体状になった音念は斬りにくい。萩森班の場合、隊員は二人ともまだ上級音念を任せられない二ツ星だから、鳴虎一人で両方を相手取るのはなかなか骨が折れる。
さて、状況の再確認に戻るが、問題はそのあと。鳴虎たちが合流するまでの空白の時間、二人はどうやって騒念と対峙したのか。
時雨が目を醒ますまでは蛍しか証言できない。
彼女の主観でしかわからない以上、客観性や正確さには欠ける可能性がある。鳴虎はそれを考慮したうえで報告書にまとめなくてはならない。
「どうもわからないんだけど、騒念と会話ができたっていうの……時雨と、じゃなくて?」
『私が言ってることがわかるみたいだった。時雨ちゃんのことも「しぐれちゃん」って呼んだの、そうじゃないと説明つかない』
「……テレパシーでも使ったってこと? なんかもうめちゃくちゃね……」
蛍の言い分を否定したいわけではないけれど、いくらなんでも非科学的すぎる。
隣の上鷲くんも苦笑いだ。
『時雨ちゃん、それですごく怒った。音念だらけになった』
「……そりゃあね。あんたの顔した騒念なんて、この子にとっちゃ最悪よ……」
言いながら時雨を見る。眠り続けるその顔の、ガーゼの横にはみ出した打撲のあとが痛々しい。
これは鳴虎の想像だけれど、たぶん時雨は思っていたのではないだろうか――いつか蛍が声を出せるようになったら、まず最初に口にするのは自分の名前であってほしい、と。
騒念はそんな淡い夢想を踏みにじった。
蛍曰く『ハナビ』と名乗ったアレは、あまりにも彼女に似すぎていた。だからこれから先、蛍が話すところを想像しようとしたら、どうしたってあの怪物の姿がよぎってしまう。
きっと時雨はそれが許せなくて、我を忘れたのだろう。
『それだけじゃない。ハナビは私に「うるさい」って言った』
「えぇ?」
なんじゃそりゃ、と首を傾げたところで、ノックの音がした。
「失礼します」と礼儀正しい挨拶を挟んで、ゆっくり開いた扉の向こうには、前後に並んだ人影が二つ。
手前はいわゆるラビットリボンをトレードマークとする照廈班の隊員、干野狐晴ちゃんだ。
かわいらしい顔立ちをしているが、鳴虎がいるのに気づくなり眉間に標高一万メートル級のシワを寄せるところは、まったくかわいくない。
「あら、オバ……いえ萩森班長もいらしたんですね。ちょうどよかった」
「絶対そう思ってないでしょ。ていうか今あんたオバサンって言いかけなかった?」
「え~? そうですかぁ~??」
まぁ白々しいムッカつく。
とは思いつつ、ぐっと堪える。こっちは大人なのだから余裕をもって対応せねばならぬ。
「で、何しに来たの? 上鷲くんに用があるんでしょ」
「ええ……あ、空蝉くんはまだ眠ったままなんですか……まあ仕方ないですね。さ、ショーちゃん、前に出て」
干野ちゃんが脇に退くと、彼女のうしろに控えていた人物の姿が露わになった。まだ中学生くらいの男の子だ。
暗色の制服姿をみるに、恐らく例の新人だろう。
少年は緊張しているのか動かなかった。干野ちゃんに背中を押されてやっと、嫌々という雰囲気を滲ませながら二歩くらい手前に進んだが。
「……」
「自己紹介なさい」
「つーかこいつら誰?」
「こい……あぁえーと、こちらのオ……お姉さんは萩森鳴虎班長で、お隣は萩森班の清川蛍さん、空蝉時雨くん。それと」
「椿吹班の上鷲エッサイといいます、よろしくお願いします。君の名前は?」
お世辞にも態度がよいとは言えない新人を前にしても、普段と変わらない慈悲深い微笑を湛えた上鷲くんは、髪型も相まって仏に見える。
親御さんは彼をどんなふうに育てたんだろう、いろんな意味で見習いたいわ……と鳴虎は思った。
一方、新人くんは思いきり視線をよそに向けながら
「……半裂椒大」
と名前だけ放って終わりだった。親はこいつをどんなふうに育てたんだ、顔を見てやりたい……と鳴虎は思った。
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