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十八、マムシのひと咬み

 夕闇に沈む葬憶隊(ミューター)中部支部前。救急車を待機している医療チームの人員とは別に、暗色の制服に身を包んだ男が三人がいた。

 やがて暗がりを裂いたヘッドライトが、彼らの顔を照らし出す。


 真っ先に動いた椿吹(つばき)匡辰(まさとき)は、救急車から運び出された担架に駆け寄ろうとして、途中で足を止めた。搬送の邪魔をするわけにはいかない。

 それにもう一つ、明白な理由が後から歩いてきたからだ。

 二台ある救急車のうち、その担架が下ろされたのと同じ車両から降りたのは、沈んだ表情の萩森鳴虎だった。


「め……萩森!」


 彼女があまりにふらついていたので、思わず手が伸びてしまう。腕に触れた瞬間しまったと思ったけれど、鳴虎は拒む素振りもなく、ただ腫れの残る眼で匡辰を見上げた。

 指先のべったりとした感触にはっとして己の掌を見ると、赤いものがついている。制服の色が暗いのでわからなかった。


「怪我人がいると聞いたが……あれは時雨か? 君は大丈夫か!? この血は……」

「あたし、……ないわよ、怪我なんて、何もできなかったんだから……ッ」

「……、蛍は」

「あっち。……たぶん時雨よりは軽傷だと思うけど……ねえ、離して。始末書書かなきゃ」


 何があったのかと問うても、鳴虎は力なく首を振る。話す気力もないらしい。

 この細い肩を支えてやりたいという願いは、足許に降り積もったまま置き去りになる。今の己にそんな権利はないことくらい、匡辰自身が誰よりよく知っていた。



 一方、もう一台の救急車からも担架が下ろされる。蛍には意識があって、ぼんやりと虚空を見つめていた。

 搬送される彼女と一緒に下りたナギサは視線を前に送る。まだ入り口傍に佇んでいる、ひどく凸凹したシルエットの二人の男たちに向けて。


 目が合ったのに気付いた照廈(てるいえ)ワカシは、ぴくんと肩を震わせてから、恐るおそるという風情で歩み寄ってきた。


「な、ナギサさん」


 珍しく人前なのに、いつものふざけ屋の仮面が剥がれている。その理由を察したナギサは容赦なく人差し指で額を小突き「あゔちッ」なんとも情けない悲鳴が続いた。

 涙目になりながら額を押さえたワカシの隣には、ナギサの同僚にして先輩である五来(ごらい)鎮馬(しずま)の姿がある。


「やったか?」

「……逃がしました。あれは下準備なしでは無理ですね、想定の五倍以上あります」

「うげ。死人が出てねぇだけ上出来だな」

「ええ……今回は場所が良かった」


 肩を竦めるナギサに、また懲りずにワカシが寄ってくる。


「いきなりデコピンはひどいよナギちゃぁん」

「あなた風情が私の心配なんてするからです。一億年早い。……だいたい勤務時間超過でしょう、どうして帰ってないんですか」

「あぁそりゃ総隊長の指示だから叱ってやんなよ。今日はこいつも色々あったんでな」

「そーなんだよぅ。……ところでナギちゃん、ほんとに、あの、怪我とか……んごっ」


 女の細い手とはいえ、いきなり喉仏を掴まれたものだから、ワカシは素っ頓狂な声で呻くほかない。これでも大して力を入れていないだけ温情だと思うべきところだ。

 ナギサは腹の中で呆れと怒りを混ぜた低音で「しつけぇぞ」と囁く。ワカシは蛇に睨まれた小動物みたいな声で「ご、ごめんなしゃい……」と喘ぎ、五来は「おいマムシ出てんぞ」と笑った。

 マムシというのは昔の渾名だ。三十年も生きていれば色々ある。


「ハハ、まあ沼主のツラは見たことだし、俺は先に帰るぜ。おまえらは好きなだけ乳繰り合ってろよ」


 勝手なことを言い残して先輩は去っていった。そんな気はしていたが、余計な心配をしてくれたのはあちらも同じだったのだろう。


 仕方がないのでワカシと並んで支部内に入る。

 かつて見下ろすほど小さかった少年は、今は鼻あたりまで背が伸びたので、視線を合わせるのにはそれほど労さない。彼自身はまだ満足していないようだが、さすがにそろそろ打ち止めだろう。

 よって鬱陶しい視線は斜め下から、サングラス越しにナギサを仰いでいる。


「で、……昇級試験はどうでしたか」

「あッハイ、合格しましたっ。褒めて♡」

「えらいえらい……」


 力の限り棒読みでお届けしたが、ワカシは満足げにへらへら微笑んでいる。マゾヒストめ。


「えへへ、ボクす~っごく頑張ったんですよぉ。それで、……そのあと、支部長からお呼び出しがありまして」

「それは穏やかじゃなさそうですね」

「まあ。あの人に声かけられてロクなことだった試しがないです。ていっても、彼が悪いわけじゃありませんけど……。

 とにかく、久しぶりに帰ることになりそうです」

「……そう」


 ワカシはふうっと長く息を吐いた。サングラスの下に潜めた瞳と傷痕は、斜め上からはすべて丸見えだ。

 もともと彼はナギサに対しては隠すつもりがないだろうが。十二年前の科白を借りるなら。

 ――『あなただけです。これを見て、顔色を変えなかったのは』


 ただそれだけのことでのぼせ上がった世間知らずの愚かな御曹司を、ナギサも突き放さなかった。

 優しさからじゃない。善良な大人では、なかったからだ。


「……今日、騒念(クラマー)とやりあったんですよね。蛍ちゃん、何かそれらしい予兆というか、変わったようすはありましたか?」

「さあ。少し状況が複雑だったので、私は何も見てませんから」


 ちょうどそこで総隊長執務室の前に着いた。そこでふと気が付く。


「……あなたも終波(ついなみ)隊長に用があるんですか?」

「あ、別にないけど、なんか流れでくっついてきちゃった。てへ。……じゃあナギサさん、お疲れ様でした」

「……。ああ、ちょっと待って」


 帰ろうとしたワカシを呼び止める。振り向いた男の胸倉を掴み、サングラスを奪い取って、――唇に齧りついた。


「ン……っ!?」


 さすがによろめきはしないが、ただ眼を白黒させながら一方的にしゃぶり尽くされるがままでは、まだまだ青い。宙ぶらりんの両腕には拒む気配も見当たらなかった。

 喰らうようなキスから解放してやると、ワカシは傷だらけの顔を真っ赤にして、肩を上下させる。


「ッ……は……び、びっくりした……ッていうか、ダメですよ……こんなとこで……」

「誰もいないしここはカメラの死角。これは合格のご褒美。もう帰っていいですよ」


 そのまま立ち尽くしているワカシを放置して、ナギサは執務室の扉を叩いた。



 → next chapter.

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