表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/113

十七、見えざる脅威

 確証はない。けれど他に有効な手があるわけでもない。

 自分の祓念刀は崩れた箱の下敷きになっている。離れた場所に転がっている時雨のそれを拾う暇はないし、そもそも使い手ごとに調整(カスタマイズ)されているから、他者(ひと)の武器は思うように扱えない。


 だから蛍は振り向いた姿勢のまま、口だけを開いた。


『うあぁぁぁぁぁ! わぁぁぁぁぁぁッ!!』


 ハナビを睨みながら、思いきり咽頭を震わせる。まったく声など聞こえないけれど、直線上に佇む怪物だけはびくりと反応して、輪郭をぐじゃぐじゃと(ひず)ませた。

 散らばった断片は、すぐに本体には戻らないであたりを浮遊している。湯気のごとくゆらゆらと。

 まるで少女自身が溶けて蒸発しているかのように。


『……、なんでもいい。ぜったい、ゆるさない……ゆるさないッ……!』


 時雨から手を離して立ち上がる。心臓がばくばく鳴っているけれど、それは恐怖や緊張からくるものじゃない。

 怒りだ。純粋な、ただ一心の、燃え上がる炎の色で、あのおぞましい白を打ち消してやる。


 できるかどうかは知らない。理屈だってわからない。今の自分が冷静ではないこともわかっている。

 ただ、やるだけだ。他でもない時雨のために。

 大好きな人を、守るために。


『しぐれちゃんにちかづくな!』

「……くぅッ」

『なんでこんなことするの!? あなたはなんなの!? なんで――』

「ぅう、ぅぅぅ……ぅぅううるさぁぁぁぁぃぃぃぃぃぃいいいいッ!!」


 ハナビが絶叫した。それは衝撃波となって蛍を吹き飛ばす。

 何メートルもめちゃくちゃに転がった挙句、何か鋭いもので腕を切った気がするが、痛みを感じる余裕はなかった。

 鮮烈な憤怒によって溢れかえる興奮(アドレナリン)の泉に浸った脳は、そんなことお構いなしに次の命令を叫ぶ。


 身を起こせ。そして喚け。

 あの化け物を滅ぼす(とき)の声を上げろ!


『……ああぁぁぁ! かッ……、げほッ、けふ』

「きゃぁッ……、ああもう、こうなるから嫌だったのに!」


 叫びすぎか、怪我のせいか、はたまたあたりに舞い散る埃のせいか。喉が痛んで思うように()()()(むせ)てしまった。

 そのぶんハナビの反応もさっきよりはずっと平気そうだ。

 こちらは涙で焼けた目尻が痛むのに。悔しいくらいに涼しい顔で、少女は人間ぶって擦り切れたスカートの裾を払う仕草をしながら、それでも震えの残った強がりを言う。


 そう、なぜか蛍にはわかったのだ。それが虚勢であることが。

 あるいはこの怪物は、いくら見た目を取り繕っても、結局本物の人間ではないから。それらしく振舞ったって、涙を流したりはできないのだと。


「まだ大丈夫……まだ、あんたは私を殺せない……今なら殺せる。殺すしかない。

 何なのって、それはこっちの科白よ。私が聞きたい。何なのよ……あんたさえいなきゃ、私はもっと自由に()()()()()のに」


 振り上げた腕が、もう一度大鎌を模る。


 叫ぼうと開いた喉がひゅうひゅうと鳴る。乾ききって疲れ果てたそこは、恐らくきっと、普通の人が『声が嗄れた』と称するような状態なのだろう。

 忘れかけていた痛みがゆっくり蘇ってきて、次第に息を吸うのすら負担となって内臓に重くのしかかる。膝と手をついたまま、鼻梁のわきを生暖かいものが伝い落ちるのを感じながら、どうすることもできずにハナビを睨む。


「ごめんね? でも、恨むなら、()()()()()()()人たちよ……」


 問いかける暇もなく。


 死神の一手(デスサイス)は……目の前で止まった。文字どおり睫毛の数ミリ先で。

 そして薄氷のように砕け散った。


 ――ぎゃぎゃがががががががッ!

 数瞬置いて返るこだまが、耳をつんざく。


「ああぁあぁああああ!?」


 悲鳴を上げるハナビが見えた。いや、そう言ってもいいものか。

 なぜなら少女の身体はめちゃくちゃに刻まれて、もう顔の一部しか残っていない。仮面のようなそれが闇の中にぽつりと浮かび、その下を這うように疾駆(はし)る、細い銀光。

 音念に混じ入りながら暗色の制服が翻った。それを彩るは、艶やかな梅鼠色のロングヘア。


 沼主(ぬます)凪沙(ナギサ)の猛攻に、騒念(クラマー)はたちまちのうちに砕けていく。


「あぎゃッ……なんで、こん、んなァ、早……ッ、……いや、だ……嫌だ……死……しにた、く……ないぃぃ……ッ」

「黙れ」


 ナギサの祓念刀は長い。剣というより鞭のようで、それは細くしなやかに宙を裂き、しなりがつくほど振動が上乗せされているかのようだった。

 凄まじい高速で振り抜くたび、ビュッ! と鮮烈な斬叫が轟く。斬り裂かれた霊体がバラバラに散っていく。


 呆然としている蛍に駆け寄ってくる人影がある。その形を見定めるより先に抱き締められた。

 懐かしい匂いと温もりに、急に緊張が抜け落ちる。今度こそ完全に全身の痛みを把握して、蛍は声なく呻いた。


「蛍! ああ……でも良かった、無事で……、待って時雨は!? あ……、やだ、そんな……」


 鳴虎は狼狽しながらも端末を取り出して救急車を呼ぶ。それを横目に、蛍は首だけなんとか巡らせて、もう一度ナギサを見た。


 ハナビはめちゃくちゃに崩れてしまったか、原型を留めていないどころか、もうどこに彼女が()()のかすらわからない状態だった。けれどナギサは攻勢を緩めてはいない。

 掻き斬るたびに歪む空間がその証だ。それを見て愕然とする。


 わかってしまった。あの『白い少女』ではなかったのだと。

 あれはせいぜいハナビのごく一部、いわば人の眼を騙すための擬態。本体はこの空間に広がっている暗がりの、陰だと思っていた部分、そのすべて。

 ……二人を攫うのに使われた、あの腕だらけの霧よりも何倍も大きい。


 これを全部消さなければ滅ばないというのなら。いくらなんでも、そんな芸当はナギサにだって。


 憂慮を嘲るような破裂音が響く。ナギサが姿勢を崩した、その一瞬の隙に、部屋じゅうすべての闇が一点に収束した。

 それは波が引くように一気に後退していく。むろんナギサもすかさず追って、その淵に刃を叩き込んだけれど、その周囲の半径二メートル程度を抉っただけ。


「チッ……」


 そうしてハナビは多量の残留奏(ディレイ)だけを残して、消えていった。



 →

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ