八、灼炎の氷塊
実働部隊には等級制度がある。戦闘能力を星の数で表し、それによって職位が定められる。
正規隊員になった時点、つまり低級の音念を一人で倒せば星一ツ。
中級音念を倒せるようになれば星二ツ。
補助を受けながら上級音念を倒せたら三ツで、一人でなら星四ツ。班長位が任じられる下限はここだ。
そして超級音念を補助つきで倒せば五ツ、補助なしでの単騎討伐を達成すれば星六ツ。特務隊はこの領域。
騒念はそれらとは全く異なる分類だが、慣例的に対応できるのは星五ツからとされている。
ワカシの等級は四ツで、星の数でいえば鳴虎や匡辰と同じ。昇級すれば五ツになり、ここで生々しい話を加えると、たとえ職位が据え置きでも能力給が増額される。
実際のところワカシはもう何年も昇級試験を受けていない。こともあろうに断り続けてきたからだ。
だから今回も丁重に――と、深く息を吸ったところで。
「ナギサのことなら気にせんでいい」
「!?」
ぴしゃりと放たれた言葉にワカシはひっくり返りそうになった。
「え、あの」
「自分が昇級したら、未婚のナギサが入れ違いに異動になるからダダ捏ねてんだろう。いつまでも子どもみたいなこと言ってんじゃあないよ。だいたいこの人手が足らんときに、それもよりによって騒念がうろついてるって状況で、わざわざナギサを手放すような悪手は取らん」
「は、はぁ……ごもっともです、色々と……」
「それとあんた、なんか……ナギサより強くなったら何かあるとかって……」
「……ッにゃんでそれ知ってるんです~!? も、もうナギサさんてば……タケさんには何でも話しちゃうんだ……っ」
首のリボンタイよりも真っ赤になって慌てふためく若造を、老婆は冷めた瞳で睨め下ろしている。
彼女は一度も結婚していない。いわゆる生涯独身というやつだ。
だから少なくとも公的には、血の繋がった子もいない。
代わりに幾人もの後輩を育ててきた。そのうちの一人であるナギサは、タケを母のように慕っているのだ。ある意味では実の親以上に。
ワカシは顔をぱたぱた手で仰いで冷ましながら、なかば脱線しかけている話を元のレールに戻そうと努めた。
つまり、例の騒念について。
「そ、それよりっ。……さっき、ちょうど椿吹先輩たちに会ったので、例の名前を教えてもらったんですが」
「ああ、清川が呼びかけられたあれか」
「はい。……残念ながら思い当たっちゃったので調べてみます。恐らく時間はかかりますが」
「……あんたの心当たりじゃあ無理もないね。私も一応上に当たってみよう、無駄かもしれんが」
「いえ、……絶対に、はっきりさせますよ」
極力、感情は抑えたつもりだった。けれど現実はそう上手くいかない。
むしろ抑圧は声のトーンを必要以上に強張らせ、塩化ビニルの床に氷塊でも落としたような、寒々しい空気を生んでしまう。おかげで頬のほてりはすっかり冷めたけれど。
膝上に置いた拳が、いつの間にかかすかに震えている。握り潰したほうが楽なのは知っているが、それでは悪い感情まで掴んだままになるからと、あえて掌を開いた。
息を吐きながら一本ずつ指を伸ばす。単純な動作を意識することで、それ以外の思念を打ち消していく。
間違ってもそれが怪物にならないように。己の意思を無視して暴走させないためには、初めからその音には形を与えない。
『握るのは刀だけに。そのほかの……今あなたが持て余す感情はすべて、斬って捨てなさい』
昔与えられた言葉を反芻する。形のないものにすがるのは、神や仏に祈るのに似ている気がする。
時にそれは自らの命よりも重い覚悟となって人を戦士たらしめる。
良いことかはわからない。客観的な正しさなどもはや度外視で、義があるかどうかすら省みない危うさを孕みながら、確かに心身をこの上なく強くしてくれた。
ともすれば――恋とは、信仰の一形態なのかもしれない。愛する人が神そのものだ。
などと取り止めもない思考に没入していたのは、時間にしたらほんの数秒。不自然な間だったかもしれないが、タケは相変わらずの仏頂面のまま、とくに何も言わなかった。
ワカシが呼吸を整えるのを見届けてから、総隊長は話を再開する。
「……あんたを昇級させたいのは単純に、騒念を狩るのに万全を期すためだ。繰り返しになるが、すぐに班編成をどうこうできる余裕はうちにはない。
それともう一つ、あんたに班長としての任務を追加するよ」
「え?」
「ありがたいことに新人が入る。当然、引き受け先はあんたの班だ」
「お、おお~……それは嬉しい話ですけど、新人教育ならボクより先輩方のほうが実績ありますし、バランス的にもどうでしょう……?」
等級で言えば各隊長は星四ツで同格だが、班員はそうでもない。
萩森班の時雨と蛍はともに星二ツ、椿吹班はモモスケが星三ツでエッサイが二ツ。照厦班のコハルはまだ一ツ。そして新人、つまり見習いはゼロ。
もちろん星の数は単純に戦闘能力のみで決められたもの。通常班の使命はあくまで救助活動であるから、状況判断能力や応急手当の知識も大切だ。
……まあその点においても実績の少ない照厦班は低スコアではないかと思われるが。今のところ数値化されていないので、客観的な判断材料がないだけで。
何にせよ、新人は椿吹班あたりに入れて代わりにエッサイをこっちに引き取るのが現実的な判断ではないか、とワカシは思ったが。
「原則として昇進以外で班員の異動はさせないつもりだ。それにあんたはもっと新人教育の経験をするべき……らしい」
「……もしかしてまさかそれもナギサさんが……?」
「さあ」
タケは無意味に濁したが、どう考えても他にそんな提言をする人物はいない。
経験不足と諫められているのか、それとも期待されていると考えるべきか、……後者のほうが精神衛生上いいかな。いつもは周囲を引っ掻き回す役回りのワカシも今日は逆らしい。
ひとまず先に目を通しておくように言われ、新人に関する書類一式を受け取った。
といっても紙ではなく会議用のタブレット端末に送られるそうなので後で見ることにする。時代はペーパーレスである。
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