七、人は見かけによらぬもの
最初は二人とも匡辰の言わんとすることがわからなかったが、ややあって気づく。鞘の上部、つまり鍔のすぐ下に刻まれた製造メーカーのロゴに。
図章に組み込まれた六文字のアルファベットは、左から――T、E、R、U、I、E。ローマ字読みで『てるいえ』となる。
時雨が「これ日本語だったんか。オレてっきりフランス語とかかと思ってたわ」と呟いたが、蛍も同じく外国語だろうかと思っていたくちなので彼を笑えない。鳴虎は呆れ顔だが。
「テルイエ技研工業――祓念刀以外も、葬憶隊の装備のほとんど全部を開発・製造してる会社よ」
「照廈ワカシくんは、そのテルイエ技研を含む旧財閥テルイエグループの総帥、照廈駒吉氏の孫だ。具体的には氏の長男で複数の役員職を兼任する照廈磯彦氏の一人息子で……」
「……えーと、つまり?」
「大金持ちの社長の跡継ぎってこと」
「へー。……なんでそんな人が隊員やってんの?」
蛍も首を傾げる。世のため人のために戦う意義深い仕事ではあるが、葬憶隊は世間からのイメージがあまり良くないので、ありていに言って人気のない職業だ。
それも実働部隊の任務には危険が付きまとう。一般家庭の親でさえ子どもの入隊を許さないのだから、名だたる大企業の御曹司ともなれば、ますます家の人から止められるような気がするが。
そもそも彼の場合、普段の振る舞いや言動からして正直まったくセレブには見えないけれど。
「さあね。詳しいことはあたしたちもよく知らないの、本人も話したがらないし」
「あの顔の傷からして穏やかな事情ではなさそうだしな」
「というか前向きな理由で葬憶隊に来たのなんて匡辰くらいじゃない? あと干野ちゃんもそうか。……まあ、みんな色々あんのよ、わざわざ言わないだけでさ」
最後の言葉は時雨に向けられていたように思えた。少年は「そっか」と呟いただけで、それ以上は何も言わなかったけれど、彼の場合は逆にそれこそが雄弁な答えだろう。
蛍はなんとなく時雨の肩に手を置いた。……今日は、拒まれる感じはしない。
そのあと匡辰は帰っていった。
市内巡回のシフトが見直された結果、成人のみで構成されている椿吹班はしばらく夜勤になったらしい。日中は萩森班と照廈班が交互に巡回と支部待機を回す。
今はかつてないほどの人手不足なので、特務隊の人たちも巡回に参加するそうだ。
もしかしたら今後は他地方の葬憶隊にも応援を頼むことになるかもしれない。という鳴虎の説明に、蛍はちょっと身体を縮こませた。
人見知りのつもりはないけれど、初対面の相手というのは、少なからず蛍の沈黙に戸惑うものだ。稀に誤解されて『挨拶もできないのか』などと怒られたこともないわけではない。
鳴虎や時雨に説明してもらえば済むこととはいえ、二人の手を煩わせるのは気が引ける。それに事情を理解されたところで、次に待つのはたいてい、ありがたくもない憐れみの視線だ。
思わず肩に置きっぱなしだった手をきゅっと握り込ませたので、気付いた時雨がなだめるように上から彼のそれを重ねてきた。
「……えーと。名残惜しいだろうけど、あたしらもそろそろ出るわよ、巡回」
「ん。――じゃ、蛍は留守番よろしく」
「……」
離れていく温もりに胸がきゅうっと痛んだけれど、極力それを顔に出さないように努める。
任務を邪魔してはいけない。今の自分は、一緒には行けないのだ。
ただ見送る。何事もなく帰ってきてくれることを願って。
蛍ができるのは、たったそれだけ。
(……寂しい)
ぽつりと背後に落ちた音は、そのうち音念になったりするんだろうか。だとして、蛍たちはそれが大きくなる前に、この手で消さなくてはならない。
生まれた瞬間は、ほんのささやかな願いだったとしても。それが成長して怪物になってしまうのなら。
心を持って生まれてきた瞬間から、人は誰かを傷つけることが運命づけられているのかもしれない。
*♪*
総隊長ともなると専用の執務室がある。ワカシがノックして入室すると、終波タケは珍しくノートパソコンを開いていた。
老眼鏡か、あるいはブルーライトカット眼鏡かもしれないけれど、そういうものを装備していると一気に老け込んで見える。
タケは一瞬だけ視線を寄越して「座りなさい」と言った。許しを出さねばワカシが立ち尽くしたままであろうことを見越している。
恭しく一礼して着席すると、ワカシもまた一言断りを入れながらサングラスを外した。ちなみに今日のは薄いブラウンのオーバル型。
素顔を晒すことには抵抗があるが、それより無礼を避ける程度の弁えはあった。
「騒念の件だが。昨夜あんたが出くわしたのが最後、目撃情報は一つも上がってない。本当に逃げるのが上手い奴だね。
で――何か掴めたか?」
例の『白い少女』が出現したことは先んじて報告済みだった。ただそのときは時間が遅かったので、詳細はこれから。
「アレは清川蛍にしか興味がないようです。昨日の一件も彼女を狙った罠でした。
療養中だと伝えたので、彼女が復帰するまでは身を潜めるかもしれません」
「……そりゃあ良い流れとは言えないな。潜伏中に大人しく何もしないってことはないだろう」
「すみません。正直ボクも怖かったんで、あんまり頭が回りませんでした」
「何をカマトトぶってんだ、そろそろ一人で騒念くらい狩れるだろう」
そんな無茶な。思わず苦笑するワカシに対し、タケはにこりともしない。
もともと冗談を言う人ではないことは知っていたものの、どこまで本気なのかは計りかねたので、姿勢を正して鉄色の瞳を見つめ返す。
しばしの沈黙のあと、老人は小さな口をゆっくりと動かした――昇級試験を受けなさい。
ワカシは即答しなかった。できなかった、と言ったほうが正確か。
彼女の意図が汲めてしまった気がしたから。
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