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十二、夏虫の憂い

 時雨の顔を見るのが怖かった。彼が、蛍を今どんな眼で見ているのかを、確かめたくない。

 きっと蛍は今、彼よりひどい表情をしているから。


 幼い頃の姿とはいえ、自分の顔をした音念(ノイズ)……いや、騒念(クラマー)が存在する……?

 今もこの街のどこかを彷徨っている。もしかしたら、また人を襲っているかもしれない。


 気味が悪いどころの騒ぎではなかった。叫ぶこともできないから見かけ上は黙り込んでいるだけで、頭の中はぐちゃぐちゃだ。

 なんで? どうして? 声が出せるなら縋りついて喚きたい。()()に、頼むから今すぐ消えて無くなってくれと。

 けれど現実は逆で、動揺はむしろ新たな音念を生む原因になる。彼らに餌を与えるのと同じ。


 でも考えずにはいられない。

 もしあれにまた遭遇したら今度は殺されるかもしれない、と。自分の顔をした怪物に。


『母ちゃんが、母ちゃんを殺してた。どっちが音念かわからなかった』


 つい昨日彼に聞かされた言葉が、耳の中でこだましている。


「――蛍」


 ふいに鳴虎に抱き締められた。それで初めて、蛍は自分が震えていることに気がついた。

 人肌の温もりと柔らかい胸や腕の感触に、ゆるゆると強張りが溶かされていく。蛍に母親の記憶はないけれども、きっとこんな感じなんじゃないか、とぼんやり思った。


「大丈夫。うちの特務隊は優秀だから。きっちり駆除してくれるからね」

「……」

「時雨もいい? 冷静に。もともとこの件は彼らの預かりだから、あんたたちが必要以上に怖がったりする必要はない」

「……、特務だけで倒せんの? 騒念って、そいつの保有音数分の祓念刀が要んだろ」

「それが少人数でもできるから討伐専門部隊なの。それにもし増援が必要になっても、まず呼ばれるのは班長(あたしら)。……あんたの出る幕はないわよ」


 やや突き放すようにも聞こえる言い方は、時雨を関わらせまいという鳴虎の心遣いだろう。

 実際、自分たち平隊員の出番など、ないに越したことはない。あくまで本分は人命救助で、強力な音念を討伐するための専門的な訓練は受けていない――ましてや騒念が相手なんて。


 けれども、鳴虎に対する時雨の返答は短いとは言えない沈黙と「……ちょっと素振りしてくる」という憮然とした声だった。


 蛍は鳴虎の肩口に埋めていた顔を上げる。時雨はすでにこちらに背を向けて、訓練室へと歩き去っていくところだった。

 咄嗟に『しぐれちゃん、まって』と言いかけたけれど、もちろん届くはずもない。

 ひどい皮肉だと思った。元が同じ外見で、騒念はあんなに流暢に喋っていたのに、人間である蛍は相棒を呼び止める一言すらも発声できない。


 鳴虎の腕をとんとん叩いて抱擁から逃れ、もつれそうな脚で追いかけた。

 泣いているように見えるその肩に触れた瞬間、ビリッと彼の緊張が伝わったように感じてしまい、はっと息を呑む。


 時雨は振り返らずに「悪い、……独りになりてぇんだ。一時間くらいでいいから」と、ボヤくように返した。


「……。蛍、おいで。

 時雨、いつでも連絡とれるようにしておいてね。とりあえず支部からは出ないように……」

「わかった。……言っとくけどオレ、大丈夫だかんな。アタマ冷やしてーだけだから」

「……そ。ならいいわ」


 本当に? 不安だったけれど、蛍の足は動かない。

 時雨に拒絶されているように感じるのなんて初めてだった。長い付き合いだから喧嘩ならたくさんしてきたけれど、そういうのとは違う。


 ぐるぐるしながら鳴虎のもとに戻ると、またぎゅっと抱き締められた。

 もう先ほどのような恐怖に呑み込まれている状態とは違う、自分なら大丈夫だと伝えようとして、気が付いた。……鳴虎も青ざめていることに。

 それでも自分の感情を見せまいと、宥めるように蛍の髪を撫でながら、鳴虎は言った。


「時雨の親の話は、前にしたよね。あいつからも少しは聞いてるんじゃない?」


 蛍は頷く。


「今は少しそっとしておいてあげよう。……身内の顔した騒念なんて、あたしだって、考えただけでぞっとするもの……」


 もう一度時雨を見る。小さくなっていく背中に、ぼんやり影がかかっているように見えたのは、廊下の照明が少し弱くなっているせいだろうか。


 時雨にとっては、これは『二度目』なのだ。それにようやく思い至って、蛍は喉が絞め上げられるような心地がした。

 母親の顔をした音念のせいで、目の前で両親を喪った。それがどれくらいつらいことなのか、実の親の顔すらも知らない蛍には、想像もつかないけれど。

 一つだけ、確かなことがある。


 ――あの騒念と時雨を出逢わせてはいけない。何より蛍自身が、あいつに殺されるわけにはいかない。


(時雨ちゃん……)


 なんとか時雨を安心させてあげたい。何も心配いらないよと言えたらいいのに。

 恐怖に震え、鳴虎にすがり、特務隊がどうにかしてくれるのをただ待つだけの己の無力さが、どうしようもなく歯がゆかった。




 *♪*




 萩森班が出ていったあと、会議室ではしばし気まずい沈黙が続いた。それを破ったのは案の定チンピラ……もといワカシである。


「あ~ぁ。めーこパイセン怒ってるでしょーね、きっと」

「……そう、だよな……。本当は、彼女には先に伝えておこうと思っていたんだが、タイミングを逃した……」

「や、ソレもまぁそーですけど、メインそこじゃなくて。そもそも蛍ちゃんたち同席させる必要あったのかな、ってハナシ。だってヤでしょ~騒念の顔が自分にクリソツです、って」


 匡辰(まさとき)自身、彼の言い分も間違いではないと思う。

 今ごろ蛍がどんなにショックを受けているか。時雨の来歴も知っている身としては、彼も同じかそれ以上に動揺してしまう可能性があることも、容易に想像できた。

 そして彼らの保護者たる鳴虎が、二人のために一緒に胸を痛めるであろうことも。


 不安、恐怖、疑念、そういった悪い感情は音念を生みやすい。なるべく平穏に過ごせたほうがいいに決まっている。

 ……とはいえ。


「いずれ僕らの胸だけに仕舞ってはおけなくなる。どうせいつか知って傷つくなら、早い段階で知らせておいたほうがいいだろう」

「私も同感だね。萩森が納得するかはわからんが」


 事実を知るタイミングとして一番まずいのは任務戦闘中だ。下手をすれば命に関わる。

 それより平時のうちに伝えておき、周囲から適切なフォローを受けられたほうが、結果的に傷も浅く済むだろう。……それは鳴虎もわかってくれる、と思う。



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