十一、幻影の名は悪夢
会議室には三人の班長と特務隊長の他に、時雨と蛍も呼ばれていた。
普段とは違う状況に二人はそわそわして「なんでオレらだけ? 他の班は?」と尋ねたが、ひとまず誰も答えてはくれなかったので、諦めて鳴虎の隣に腰を下ろす。
終波武は手許にあるマイクのスイッチを入れる。ここにいない特務隊員たちも、遠隔である程度は状況を把握できるように。
「……さて。じゃあまず照厦から」
「わーッ! ボクのこと苗字で呼んじゃヤダっていつも言ってるじゃないですかァン!!」
「お黙り。早く始めな」
「……はーい。むぅー。えー……コホン、先の二件の事後調査結果を報告いたします。
案件一、発生地点は協町三丁目。廃業してますが元は音楽教室だった雑居ビルですね。報告によればそちらの時雨くんと蛍さんで対処した音念ですが〈残留奏〉を検知。音念が群がってたので駆除しました。
案件二、納琴駅前一丁目。昨日の騒念発生地ですが、……こっちはなぁんにもナシ! 後片付けがお上~手っ」
途中まで珍しくシリアスな口調で淡々と報告を述べていたワカシだったが、最後は放り投げるように普段の調子に戻った。どうやら真面目に喋れるのは三行程度が限界のようだ。
ひとまず蛍は時雨と顔を見合わせる。
残留奏というのはいわば音念の残骸だ。他の音念が寄ってくる原因になるので、普段は残さないよう気を付けている。
しかしワカシが報告に上げたのはあの妙に強い音念とやり合った任務のこと。倒した直後に天井が落ちてきて二人とも気絶したから、とてもそんな余裕はなかった。
それに、今なんて言った? 聞き間違いだろうか?
……『昨日の騒念』……?
「ただ~、雑居ビルの件でもちょーっち気になる点がお一つございまぁす。……検知された残留奏の恐鳴値が最大で100を超えておりまして」
「……は?」
「つまり本体の方は少なくとも上級音念に相当したことになります。計算上ではね。
や~、よく二人とも軽傷で済んだねぇ、チミたち。やっぱすぃ、めーこパイセンの教育の賜物かにゃあ」
ワカシは蛍たちを見やって微笑む。けれどサングラスの下のあやめ色の瞳は、冷静に蛍と時雨とを見定めているような気がした。
葬憶隊では音念を四段階に分けている。
単に〈音念〉という場合は全体を指すか、あるいは弱い個体だ。ある程度共食いを繰り返して肥大化したものは〈中級音念〉と呼ばれる。
そして班長クラスでないと対処できないほど強力なものを〈上級音念〉というのだ。それより更に大きな〈特級音念〉という階級もあるが、ほぼ理論上にしかない概念で、実際には大半が中級以下のうちに発見・駆除されている。
時雨や蛍のような平隊員だけで倒せるのはせいぜい中級音念まで、のはず。
とはいえ確かにあれは異様に強かった。蛍が思わず騒念かと思い込むくらいには。
(……それだけじゃないけど)
あのあと、両者は根本的に違うものだと鳴虎に諭された。
班長曰く、音念は階級が上がってもただ大きくなっただけで、元になる『音』は一つ。一方で騒念は喰い集められた無数の思念を本体が統括している状態で、すべての『音』が活きている。
だから単純に祓念刀で斬るだけでは消すことができない――ひとまず自動検知機能がバグることは、昨日の一件で蛍も理解した。
……。昨日のあの少女が騒念だというのも、あるいはそれ以上に信じがたいけれど。
「……」
時雨もむっつり黙り込んでしまっていた。上級音念と騒念、どちらについて悩んでいるのかはわからない。
蛍はそっと彼の手に触れた。誰にも見えないように、こっそりと机の下で。
ハッとしてこちらを見た時雨は何も言わず、視線はすぐに終波隊長へ戻しながらも、蛍の手を握り返してきた。
「本題は騒念だから、その件の追調査は一旦保留とする。次。椿吹からも何か追加報告があるそうだね?」
「はい。例の騒念に関して、気づいたことが……まずこちらをご覧ください」
椿吹班長が手元のタブレット端末を操作する。班長には全員一台ずつ支給されているが、蛍たちは臨時参加なので鳴虎に見せてもらった。
そして、――息が止まるかと思った。
ディスプレイに表示されているのは一人の少女の写真。
髪の色こそ真っ黒だが、長さや髪型、何よりそれに包まれた顔の造形は昨日の騒念とまったく同じ。それなのに――……。
「え、なんで蛍?」
時雨の、気の抜けたような声が突き刺さる。
『登録名:清川 蛍/キヨカワ ホタル 六~七歳前後/女性』
画面上には、そう記載されていた。
間違いなく蛍の写真だ。検査着姿だから、恐らくは拾われて間もないころ、支部で保護されていた時期に撮られたもの。
……気づかなかった。
自分の小さい頃の顔なんて覚えてない。普段からあまりアルバムの類を見返す習慣がないし、自室に飾っているのもせいぜいここ二、三年のものばかりだから。
ましてや自分の顔をした音念に出逢うことがあるなんて、思いもしなかった。
唐突に映し出された写真の意味を、時雨以外は全員すぐに理解できたらしい。少なくとも大人たちはみんな、蛍を一瞥して、頷いたり眉を潜めたりした。
騒念の外見についてはすでに情報共有がなされていたのだろう――幼い少女の姿だった、と。
「……事情はわかりませんが、昨日自分が遭遇した騒念は、彼女……清川蛍の幼少時と瓜二つでした。萩森班長が個人所有するアルバムも確認しましたが、間違いないと断言します」
「……、えっ? いや、ちょい待って椿吹さん、何言ってんだ?」
「時雨、……少し黙って」
なだめるように諌める鳴虎もまた、声が震えている。
冷たい静寂が降り注いだ。何人かの息を吐く音がよく聞こえるくらいに。
そして、……その中で一番呼吸を乱しているのが誰かも、よくわかった。自分自身だ。
「……情報をまとめると、だ。
件の騒念は清川蛍の幼少時に酷似した容貌であり、なおかつその清川自身に対して、有意の反応を示した。それと……人名らしき言葉を口にしたんだったかね」
「そうです。殺害を仄めかしたのなら、恐らくその名前の主が騒念の発声源でしょう」
「本来その調査は我々の職務じゃあないが」
タケは溜息を吐いて、時雨と蛍を見やった。
「……萩森、一旦その子らを外で休ませてやりなさい」
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