十、双翼のアホウドリ
味噌汁と白飯。
やや粗めの千切りキャベツに仕切られて同居する、残り物であろう衣がヘタったエビフライと、対照的に焼きたてらしい艶の生姜焼き。
ほうれん草の胡麻和え。それと、白菜の漬物。
食卓に並んだ皿のひとつひとつが眼に沁みるようで、匡辰は無意識のうちに眼鏡を外して目頭を拭っていた。
鳴虎はそれを不思議そうに眺めながら、自分のぶんのご飯をよそう。
「大丈夫? ドライアイ?」
「いや……なんでもない。いただきます」
「あたしもいただきます。……で、確認の成果は如何でしたかしら、椿吹班長?」
パリパリという小気味いい咀嚼音が続いた。己と交際する前は漬物を食べる習慣もなかったのに、今では浅漬けとはいえ自分で仕込んでいるという。
その、本来なら尊ぶべき素直さが、今の匡辰にとっては据わりが悪い。
もやつきを振り払うようにエビフライを噛みちぎった。ぷつん、と繊維の弾ける独特の食感が、かすかな慰めになるように祈りながら。
「結論から言うと、……ややこしい事態になった」
「は?」
「僕の思い違いであればよかったんだが。ともかく、食べ終わったらすぐに支部に戻ろう。そろそろ彼も戻っているだろうし、何よりまず終波先生に伝えないと」
「ちょっと待って、全然話が見えない。とりあえず調査は進展したと思っていいわけ?」
「……ある意味では。少なくとも今後の方針には大いに影響する」
まったく意味がわからない、という顔を向けられているが、当然だろう。匡辰としても今の自分の言動が説明になっていないことはわかる。
だが、詳細をまだ口外するわけにはいかなかった。
自分勝手な理由だが――きっと今、すべて伝えてしまったら、せっかくの食事の味がわからなくなりそうだから。
「……あんたってさ」
味噌汁を啜りながら、鳴虎がぼやく。
「理系っぽい外見のくせに説明下手っていうか、肝心なことに限って、ちゃんと言わない癖があるっていうか。直したほうがいいわよ、今後のために」
「……、それはまた偏見に満ちたアドバイスだな。肝に銘じておく」
なるべく平然としたふうを装って答えるが、内心で耳と胸とが痛かった。
わかったからだ。言外に、別れた時の状況を責められていると。
あのとき、匡辰は別れを決意した理由を語らなかった。式の日取りまで決めておいて、土壇場で急に逃げ出した男の情けない心情を、彼女に知られるわけにはいかなかったから。
理由もわからず突然突き放されて、鳴虎はどれくらい傷つき悩んだろう。だから何を言われても当然の仕打ちと思って受け止めるしかない。
――むしろ、もっと罵ってくれていい。それで傷が癒えるなら。
鳴虎はそれ以上は何も言わず、むっつりした顔でもくもくと食べていた。きっと匡辰の自嘲には気づいていなかっただろう。
*♪*
気まずい昼食を終えた鳴虎たちは葬憶隊中部支部に取って返す。途中の車内でも、ろくな会話がないまま時間が過ぎた。
しいて言えば匡辰から「蛍……はともかく、時雨も今日は支部にいるんだな?」と尋ねられたので頷きはしたが、それだけだ。ただ、嫌な予感を募らせるには充分な問いだった。
匡辰は『子どもたちが幼いころの写真』を確認するためにわざわざ薫衣荘を訪ねた。そのあとで彼らの所在を確かめるなんて、彼の班と蛍が遭遇したという〈騒念〉と時雨たちに何らかの関係があると言っているようなもの。
少なくとも彼自身はそう思っている。
そのくせ二人の保護者である鳴虎には黙りだから、腹が立つ。
「ねえちょっと、いい加減に――っぷ」
車から降りたところで我慢の限界だった。せめて会議の前には知っておきたい。
ところが問い詰めようとした瞬間、彼が急に足を止めたので鳴虎は広い背中にぶつかった。
鼻っ柱が地味に痛い。それと、……一瞬感じた匡辰の匂いにそわっとしてしまい、その感覚を忘れるために頭をぶんぶんと振る。
「っと……大丈夫か?」
「あんたのせいでしょ。も~、なんなのよ……」
言い合いつつ、衝突事故の原因を探るべくひょいを顔を出して前方を伺う。すると妙な風体の男がノタノタと歩いてくるのが見えた。
まず目につくのはサングラス――それも一昔前の中国マフィアのような黒丸メガネ。その下の顔には、遠目からわかるほど大きく無残な火傷の痕がある。
髪はいわゆるツーブロックで、チョンマゲ状に結われた金髪が、歩行に合わせて頭頂部でぴょこぴょこ揺れていた。
つまりどこからどう見ても胡散臭いチンピラである……が、首から下は葬憶隊の制服を着込んでいる。しかも襟元には真っ赤なリボンタイ。
外見だけで情報量過多なその不審人物は、鳴虎と匡辰に向かって、満面の笑みで手を振った。
「ハァ~イお二人さん、今日も仲良しこよしですねェ゛♡」
どっから出してんだと言いたくなるような鼻声から、ドスの効いた濁声へと急転落する、無駄に見事なグラデーショントーンである。微妙なしなの作り方がオカマっぽくもある。
鳴虎と匡辰はほぼ同時に額を押さえた。
「はぁ……言っとくけど、今あんたのそのテンションに付き合いたい気分じゃないから。ていうか午前中はどこ行ってたの? ワカシ」
「え~ん、めーこパイセンてばつれない~。えーとですネェ、最近そちらのお子さんたちが関わった、二件の音念発生地の事後調査を少々……ま、ゆーなれば後始末係でぇす★」
「後始末? ……二件ということは、騒念が出た駅前の事件だけじゃないのか」
「はぁい。ま、細かいことは後ほど……そ・れ・よ・りっ、ボクチンの見間違いじゃあなければ今お二人、同伴出勤してましたよねぇ~ッ? てことはヨリ戻したんすね? あらやだ~オメデトウございますぅ⤴」
「……違う。いや、確かに都合上同じ車で来たが、そういうことじゃない」
「……、そーよ。バカ言ってないでとっとと行くわよ」
この、おふざけが服を着て歩いているような男こそ、中部支部が擁する通常実働三部隊の班長の最後の一人。最年少ながら特務隊入りの噂もあった逸材である。
見てくれ以上に言動がこの有様なので、にわかには信じがたいけれども。
が。――通常は一人一振りしか支給されない祓念刀を、ワカシは腰の両側に提げている。現在唯一の二刀流は、決して遊びや冗談で名乗れるものではない。
……いや、存在そのものが冗談みたいなモンでは? と鳴虎などはつねづね思うのだが。
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