七、三方集う
翌朝、葬憶隊中部支部内の会議室には、三人の男女の姿があった。
一人は萩森班の萩森鳴虎。言わずとしれた蛍と時雨の上官にして、二人の保護者である。
班長の証は膝までの白色の胴衣。上着の下からスカートのように垂れたそれは、今は椅子の背凭れの隙間からはみ出ていた。
彼女の向かいには背の高い男性が腰掛けている。短く切りそろえた黒髪に、スクエア型の銀縁眼鏡をかけた、如何にも神経質そうな人物だ。
肩には青色のペリースを身につけている。鳴虎にとっては同期でもある椿吹班班長、椿吹匡辰。
そして奥の席から二人を眺めているのは、やはり制服の上に墨色のストールをまとい、白髪の毛先を薄紫に染めた老婦人であった。
「なんか一人足りないけど。どこで油売ってんのかしら、あいつ」
ドアから一番近くの空席を眺めて呟く鳴虎に、老女は静かな声音で返す。
「奴には別の用を言いつけてある。今回は事後報告で構わんだろう。
――さて椿吹、あんたの報告を聞こうか」
「はい。昨日、〈音念〉と思われる何者かと遭遇し、結論としては取り逃がしました。申し訳ございません」
「反省は後におし。まず状況を確認したい。負傷者が出たそうだね?」
「はい、うちの上鷲と萩森班の清川です」
「蛍はたまたま現場近くにいて、椿吹班より先に現着、応戦したみたいです。怪我も打ち身だけで大したことはなさそうなので、すぐ復帰できるかと。
上鷲くんは全治一ヶ月だそうです。肋にヒビが……」
鳴虎の補足に年長者は頷いた。それから椿吹に向かい「生きてりゃ上等だ」と、どこか宥めるような口調で告げる。
そのあと椿吹は対峙した相手についての説明を始めた。鳴虎にとってはおおむね蛍から聞いたのと同じだ。
白髪金眼という特異な容姿、それも幼い少女の外見であったこと。意思疎通が可能なほどの高い言語能力。
さらには意図的な身体の変形――いずれも一般的な音念とは異なる特徴ばかりだ。
たしかに音念の中には人語を解するものもいるが、大抵は元になった人物の声を再現するだけで、支離滅裂だったり同じ言葉を繰り返す程度に留まる。
そして特定の感情に強く縛られているので、たとえ少し流暢に話せたところでまともに会話が成立しない。
外見についても近いことが言える。彼らの形状は不安定なため姿形がころころ変化することはよくあるが、音念自身の意思で変形・制御したと思われる事例は極めて稀だ。
「自我どころか自律思考しているとしか思えない言動でした。それに取り逃がしたのは『撒かれた』からです……つまり、地形を利用して自分の目を欺く知能は、確実にあります」
「そこが引っかかるのよね。そもそも音念が逃げたりする?」
「……確かに。それと、これに反応したようにも見えた」
そう言って椿吹が示したのは自身の肩掛け。
「班長とやり合うのは不利、って判断したってこと?」
「そう見えた。
……妙なことはまだあります。全員の祓念刀が同時に検知不能に陥り、波長計測ができませんでした。それで広域追跡もできず撒かれた次第です」
「それって」
鳴虎は信じられない思いで彼を見、それから老婦人を見た。彼女は目を伏せてしばし考え込んでいたが、静かな声で「音念じゃあない」と呟く。
「全員が整備不良ってこともないだろう。となれば考えられるのは、そいつは〈騒念〉だ」
「っで……でも、それにしては被害が小さすぎじゃ……!」
「相当賢いんだろう。無意味には暴れない。姿と同じように、自身の音量や波長を制御できるのかもしれん。
そもそも椿吹を見て逃げるくらいだ、葬憶隊のことも知ってる……生き延びるために調べている、ってところかね」
「……かなり厄介ですね。そんなものを野放しにしてしまった……本当に、申し訳ございません」
「バカ言うんじゃない、あんた一人で深追いしてたら今ごろ棺桶の中だよ。とにかくこの件はうちの預かりだね」
そう言って立ち上がり、紫の白髪とストールを揺らしながら、彼女――終波武は会議の一時終了を宣言した。
葬憶隊中央支部の実働部隊には三つの班がある。そして、それら通常班とは別に、上級以上の音念の追跡殲滅に特化した部隊が存在する。
所属する全員が班長以上の実力を有する、戦闘専門の特務隊――彼女はその長であり、全実働部隊を統括する総隊長を兼ねている。
さらにこの三人の関係は、それだけに留まらず。
「――終波先生」
「止しな、そんな呼び方。私はもうあんたらの教官じゃあないよ」
「いえいえ。あたしたちにとってはずっと『先生』です。……ああじゃなくて、騒念の件ですけど。蛍が妙なことを言われたっていって、今朝から時雨が資料庫にあたってるので、分かり次第ご連絡します」
「ハァ、今度のはつくづく妙なことだらけだね。具体的には何だって?」
「それが……誰かに間違えられたみたいだった、と。『つぐみ』と呼ばれたそうです。ちなみに先生、お心当たりあります?」
「いや。椿吹は?」
「いえ……自分も、そういう名前の人物は覚えがありません」
椿吹の言葉に頷くと、タケはカツカツと力強い靴音を鳴らして会議室を出て行った。
彼女はあれでもう六十を過ぎているそうだが、少しも衰えを感じさせない風格で、未だ特務隊長の座を退く気配はない。もっとも当人は「もう歳なんだから引退したい」と時折ボヤいてはいるのだが。
鳴虎たちはかつて彼女に剣術指南を受けていたので、今でも先生と呼び慕っている。
ともかく、まだ不明点は多すぎるものの、件の少女は単なる音念ではないという結論が出た。
そうなれば一般部隊の出番はない。自分たちも必要に応じて戦闘をするが、あくまで人命救助が第一の使命。
戻って子どもたちにも伝えないと。――と鳴虎が扉に手を掛けた、そのとき。
「……鳴虎」
「ッ……?」
同僚にして元相棒、兼……から、ふいに下の名前で呼び止められたので、びっくんと心臓と肩が跳ねた。
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