諜報員の心得
「相手の動きをよく見ろ。」
「はい。」
ここは関東軍の訓練所。田中は今剣の稽古をつけてる最中だ。しかし相手は部下ではない。
「きゃっ!!」
「大丈夫か?」
田中は転倒しかけた少女を支える。
「怪我はないか?鈴花。」
彼女はかつて芳子の邸宅で召使いをしていた少女だ。
「はい。だけど田中中佐、なぜ剣の稽古なのにドレスなのですか?すらっくすのが動きやすいと思うのですが。」
「そうだな、鈴花の言う事も一律ある。だけど諜報員だとまた話は違ってくる。」
諜報は田中と芳子が以前就いていた任務だ。素性を隠し敵の懐に入り込み目的を達成する。以前紫禁城から婉容を脱出させた時のように。いかに与えられた役になりきり敵の目を欺けるかが鍵なのだ。
「敵は観客、俺達は役者ってところだな。」
「お芝居と一緒ですね。」
「ああ、鈴花の役は貴婦人になりすます女暗殺者ってところだ。」
つまり今鈴花が着ているドレスは衣装というわけだ。
「田中中佐、お疲れ様です。」
田中が鈴花に諜報員の心得を話していると1人の軍人が通りかかる。
「お疲れ。」
田中の部下の1人であろう。
「田中中佐も訓練ですか?」
「まあ、そんなところだな。」
「女連れてくるなんて何の練習してたのですか?」
部下は鈴花に気付く。
「お嬢さん、そのような服装は訓練所には相応しくありませんよ。」
鈴花は部下の首元に両腕を回す。
「諜報員としてのあり方を教わっていたところですわ。」
「私を誘っているのですか?面白い。」
「おい。」
田中が部下を鈴花から切り離そうとする。
「彼女も俺の大事な同胞だ。あまりからかうな。」
「これは失礼致しました。」
部下は去っていく。
「鈴花、一体何のつもりだ?」
「田中中佐言ったじゃないですか。諜報員は与えられた役を演じ敵の目を欺く事だと。だから私は男を手玉にとる魔性の女諜報員を演じました。大島にもこうやって取り入れば良いのですね?」
「上出来だ。大島はお前の両親の仇で間違いない。俺が保証する。」
田中が鈴花の住む屋敷にやって来たのは1週間前のことだ。突然2人きりになりたいと言われ鈴花の部屋に案内した。
「あの時は何を考えてるのかと思いました。」
「俺も言葉足らずだったな。」
田中は鈴花の部屋に入ると資料を見せる。7年前の関東軍の名簿帳だ。軍人達の名前と所属が記されている。田中や芳子の名前もそこにあった。
「大島、大島。」
鈴花は大島の名前を探す。
「あった。」
大島武之。彼の所属覧には視察部隊と書かれていた。
「やつらは地方の農村に行って利用価値のある土地を見つけてくるのが仕事だ。」
この名簿が証拠となるのだ。
名簿は今は田中が持っている。何かあった時のために切り札にするつもりだ。
「だがそれだけでは不十分だ。」
「村人って証言が必要って事ですか?それなら村長に。」
「村人ではない。」




