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脅し、脅され、女子高生。  作者: ようひ
2 いびつな日常
15/17

01 後輩

 

 平日になった。


「あぁ……」


 平日になったのである。


「だりぃ……」


 平日になったというのに、この有様だ。


「動きたくねェ……」


 床をごろごろと転がる。

 つくづく、無気力になっていっている。

 社会人をドロップアウトした今、平日との付き合い方がわからなくなっていた。

 朝早く起きて、身支度を整えて、会社に行く——そんな当たり前を、今ではすっかり忘れてしまっていた。


「柳川さん。さっさと起きてください」


 くいくいとオレの手を引いてくるのは春野だ。

 彼女はずっとマスクを付けていたが、最近は外すようになった。

 それが心を開いている証拠かどうかはわからないが。


「いつまでも寝てたら、悪い大人になってしまいますよ?」


 あまりにもきれいすぎる春野の顔は、困ったような表情を浮かべている。

 オレは若干ドキリしながら苦笑する。


「身体が言うことを聞かないんだ」

「朝からダメな大人ですね」

「悪かったな」


 てきぱきと動く春野によって、部屋はすでに片付いていた。

 その上、テーブルには卵焼きと味噌汁が置かれていた。

 匂いからして美味そうだ。


「一緒に食べましょうよ」

「先に食っててくれ」

「ダメです。ご飯は一緒に食べなければいけません」

「はい……」


 よっと声を出して起き上がる。

 オレたちは声を揃えて「いただきます」と言った。


 春野の料理は、やっぱり美味い。

 卵焼きは絶妙に半熟だし、味噌汁はダシが効いている。

 文句のひとつもない、最高の朝食だ。


「めっちゃウメェ……」

「ふふ。そうでしょうね」


 春野はもうマスクで顔を隠すことなく、オレと同じように飯を食べている。

 つややかな唇が、味噌汁をすすっている。自分でも自信のある出来栄えのようだ。

 それを見ていると、春野と目があった。

 春野がにっこりと笑う。柔らかな笑みだった。

 オレはすぐさま視線を外した。顔が熱くなるのを感じた。


(何をドキドキしてるんだ、オレは……)


 春野が素顔を出してくれたのはいいが、目の前にあるとドキドキしてしまう。

 女子高生だろうと、美人は美人で。

 男であるオレは少なからず、春野をいい女だと思ってしまっているのだ。


 オレはその気持を紛らわせるように飯を頬張った。


「うまかったよ、ごちそうさま」

「はい。朝ごはんはちゃんと食べなきゃダメですよ?」

「いつも抜いてたからなぁ」

「これからは毎日一緒に食べますからね」


 食器を流し台に持っていくと、春野が洗い物をしてくれた。

 てきぱきと効率的に皿を洗っていく。

 その横に立つと、なんだか家族のように思えた。


「まるで家族みたいだな」


 あっ、と口を閉じたが、遅かった。

 じっと春野がこちらを見ていた。


「べっ、別になんとなくそう思っただけで」

「急がなくていいとは言いましたけど」


 春野が洗っている箸をオレに向けてきた。

 話が噛み合ってない。どうやら今のは聞こえなかったらしい。


「時間は限られてるんですからね。大事に使いましょうよ」

「お前……昨日とはえらく別人だな」

「昨日のわたしは昨日のわたし。今のわたしは、今のわたしです」

「時間は限られている、ねぇ」


 考えてみる。

 無職のオレが次にやるべきことは、仕事を見つけること。

 そのために行くべきなのは、ハローワークだろう。


 そして次の仕事が見つかるその間には、なんと「失業手当」なるものが出るらしい。

 その存在を知ったのは、小林の届けてくれた荷物の中にあったメモだった。


 そろそろ次の仕事を見つける時か。


「そうだな。時間を大事にしないとな」


 すぐに仕事を探す必要はないが、もらえる金はもらっておこう。

 こちらは養う人間がひとり増えたのだから、文句は言わせない。


「じゃあ、行ってくるわ」


 服を着替え、玄関で靴を履く。


「はい、行ってらっしゃい」


 春野はまだ洗い物を続けていた。

 外に出ようとするオレに、目も向けなかった。


「お、おい……携帯と財布は?」


 その衝撃の反応に、思わずオレは訊いた。


「何言ってるんですか? さっきポケットに入れてたじゃないですか?」

「じゃなくて……その、持ってなくていいのかよ。逃げるかもしれねぇぞ」


 オレを散々脅した手口だ。

 逃げないように財布やら携帯を人質に取るやり方。


 しかし春野はふわりと目元を緩ませていた。

 笑顔に近い表情だった。


「もう必要ありません。わたしは柳川さんを信じることにしましたから」

「信じるって……逃げてもいいのかよ」

「いいですよ。柳川さんが“それで良ければ”」


 オレは絶句した。

 どうやら春野は、今までと脅し方を変えたらしい。

 これからは簡単に逃げることはできる。


 だがオレの良心はどうだろう?

 あんな約束をしたのだから、逃げられるはずもない。


 物理的な脅しから精神的な脅しに。春野はより高度な脅しをかけていたのだ。


「……なんつー女子高生だ」

「がんばってくださいね。柳川さん」


 春野に見送られ、オレは逃げるように家を後にした。




 §



 やってきたハローワーク。

 だがオレは、自分が甘すぎることを知った。


「自己都合による退職のため、3ヶ月後からの支給となります」

「え?」


 失業手当は会社都合であれば給付金がもらえる。

 それぐらいはわかっていたのだが……問題はこの『会社都合』という文言。

 どうやらオレは『自分の都合で会社を辞めた』ことになっているらしい。


「そうですか……」


 まぁたしかに、クビと言われてすんなりと受け入れたのもそうだし、だいいち上司を殴ってそのままってほうがおかしい。普通なら警察行きだ。

 そういう意味で、この『自己退社』というのは、会社なりの「重すぎず軽すぎない罰」なのだろう。

 オレの罪に対する罰は、クビだけではないようだ。


「今日は求職活動はなさいますか?」

「……いえ、また来ます」



 §



「はぁ〜……うまくいかねぇもんだなァ……」


 公園の喫煙所で煙草を吸う。

 このまますぐに帰れば、春野にバカにされるだろう。

「早くないですか?」とか「仕事見つかったんですか?」とか。

 オレは無職だが、男だ。プライドが許さない。


「焦っても良いことねぇか。金もまだあるしな」


 吸った煙草を灰皿に落とす。

 金欠になればこの煙草もやめることになるだろう。

 それまでに仕事が見つかればいいのだが。


「さて、どうすっか」


 公園を出て時間を潰そうとすると、パン屋が目に入った。

 道路までパンの香ばしい匂いが漂っている。

 オレはパッとひらめいた。


『うわぁ、おいしそう! ありがとうございます、柳川さん!』


 オレの脳内JKが喜ぶ姿が見えた。

 家を出られない女子高生のためにも、土産は必要か。


『いらっしゃいませー』


 オレはパン屋に入った。

 明るい店内、パンが輝いている。

 トレイとトングを持ち、ざっと回ってみる。


「あいつ、何が好きなんだろう?」


 とりあえず、オレの好きなソーセージドッグとメロンパンを乗せる。

 さて、春野が喜びそうなものはなんだろうか——。


 どんっ。


「おっ」

「きゃっ」


 夢中になるあまり、人にぶつかってしまった。


「すいません。大丈夫ですか……って」

「あーっ!?」


 ぶつかった人を見て、驚いた。

 その背の低い女性も驚いたようにオレを見上げていた。


「パイセンじゃないっすか! お久しぶりっす!!」


 女性はオレに飛びついてきた。


「いや〜こんなところで出会うなんて、なんたる奇遇!」

「ちょっ、パン持ってんだよ! 離れろ、城戸!」


 城戸は「すんませんっ!」と笑った。

 オレはため息をついた。

 まさかこんなところで——元会社の後輩に出会うなんて。


「ってかパイセン、なんでここにいるんすか!」

「いちゃあ悪いか?」

「無職のクセに、いいご身分っすねぇ!」

「全国の無職に謝れ!」

「すいませんっした、パイセン以外の無職のみなさま……」

「あいかわらず腹の立つ奴だな、お前」


 ぺろっと舌を出す城戸。

 城戸は、色々と問題のあるの後輩だった。

 こいつが入社してきてから、オレは先輩として一緒に業務をこなしてきた。


「ってか、なんでそんなパン買ってんすか。誰かにあげるんすか?」

「別にいいだろ、オレが食うんだよ」

「ぷぎゃー! ひとりで食べるパンはウマいっすかぁ!?」

「ピーピーうるせぇな!!」


 城戸はオレのことをまるで先輩として接してこない。

 それどころか、おもちゃのように遊んでいるのだ。

 仕事だろうがプライベートだろうが、この舐めた態度は同じだった。


「ま、パイセンがどうしようが、あたしには関係ないっすけどね〜」

「オレだってそうだよ。お前はもう後輩じゃないんだしな」

「あはっ、そうでした! じゃあパイセンはパイセンじゃないっすね!」


 ニカっと笑う城戸。

 その笑顔に、オレはどこか安心した。

 先輩がいきなりクビになったというのに、こいつはあいかわらず元気そうだ。

 3年目にもなって社会に慣れたのだろう。


 でもぉ、と城戸。


「どうして急に仕事やめたんすか?」


 そうか、こいつは知らないのだ。

 こいつは我が物顔で定時退社するような奴。あの残業時間に起きた事件を見てない。

 てっきり公になっていると思ったが、辞めた理由は伝えられてないらしい。


「べつに……知らなきゃいいよ」

「女っすね?」

「決めつけんな」

「あっ、その反射的な言い方! 確定っす!」

「ちげぇって言ってんだろ!」

「嘘だぁ〜、絶対女だ〜!」

「うるせぇっての!!」


 城戸のわめき声に、店員同士が「仲のいいカップルですね〜」と話すのが聞こえた。

 オレからすれば、子どもをあやす親の気分だ。

 実際、城戸は大人のクセに子どもっぽいところがある。


「じゃ、黙るっす。パンおごってくれたら!」

「強欲すぎるだろ」

「チョココロネとツイストドーナツとベーコンピザ、女子はやっぱりクロワッサンっすね」

「まだ買うと決まってねぇよ!」

「おんな……」


 こいつに出会った時点で運の尽きだ。

 オレはしぶしぶ、要求された物を買った。

 出費にして2500円。パンは意外と高い。


「ありがとうございましたァ〜。パンうまうまっす」


 店を出るやいなや、城戸はパンを食べていた。

 もにゅもにゅと小さな頬が膨らんでいる。


「そりゃよかったな」

「そういえば、こうやってパイセンに買ってもらってましたね」

「まったく遠慮してなかったけどな」


 オレも買ったパンを食べた。

 焼きたてのチーズパンは、芳醇な匂いがした。


「でも、さみしいっすね」

「なにがだよ」

「こうやっておごってもらうことも、もうなくなるんすから」


 ぽつりと言った城戸の一言が、ちくりと胸に刺さった。

 思い返せば、城戸は手のかかる後輩だった。


 でも同時に、可愛い後輩だった。

 憎めないし、愛嬌のある奴だったのだ。


 こんなナリでも、仕事はしっかりとこなすし、言われたことはしっかりする。

 城戸がめきめきと成長していくのを、陰で喜んだものだ。


「もう戻らないんすね」

「……戻らねぇよ」


 城戸はオレを見た。

 ニヤケ顔ではない、まっすぐな目だった。


「パイセンと一緒に仕事ができて、楽しかったっす」


 オレは思った。

 いい後輩を持ったな、と。


「オレもだよ。面倒な後輩だったけどな、楽しかった」

「面倒は余計っすよ」


 にへへ、と城戸は歯を出して笑った。

 城戸とオレはパンを食べ終えた。


「というか、お前さ」

「なんすか?」


 ふと、気になったことを聞く。


「どうしてこんな時間にここにいるんだ?」


 今は平日。時刻は午前11時。

 会社員は会社で仕事をしている時間だ。


「あ〜、ほら! あれっすよ!」


 城戸は慌てていた。


「会社のみなさんに差し入れを買っていこうと!」

「お前から差し入れをもらったことなんて、一度もなかったぞ?」

「うッ!!」

「……まさか、今までもこうしてサボってたのか?」

「あは、バレちゃったっす!」


 確かに会社員時代、何度か城戸の姿がなかったことがあった。

 こいつはこれまでもこうして会社を抜け出していたのか。


「そうか」


 しかし、怒りはやってこなかった。

 辞めたから、怒る理由もない。


「あれ? 怒らないんすか? いつも怒鳴ってたのに」


 城戸も意外そうにオレを見上げる。


「退職してなかったらデコピンぐらいはしてたな」

「うわ〜なつかし、あれ体罰でしたよね?」

「優しくしただろ」

「バチ!って鳴ってたじゃないすっか! めっちゃ痛かったっすよ!」

「悪かったって」


 そうして分かれ道に差し掛かった。


「じゃあ、またな」


 オレがそう声を上げた時。

 城戸は「パイセン」と神妙な顔つきで言った。


「やっぱり、デコピンしてください」

「あ? なんでだよ?」


 城戸はすでに前髪を手で上げていた。

 だって、と続ける城戸。


「今度、いつしてもらえるか、わからないっすから」


 そう言う城戸に、オレは苦笑した。

 オレたちは、ともに戦ってきた仲間だ。

 仕事を辞めても、オレは先輩で、こいつは後輩で。

 その関係性はこれからも、途切れることはない。


「わかったよ」


 オレは城戸の額を指で弾いた。


「頑張れよ、城戸」


 バチコン、といい音がした。

 あぎゃ、と城戸が鳴いた。


「いったぁ!! なっ、なんかいつもより痛すぎませんか!?」

「わりぃ、気持ちがこもっちまった」

「う、嬉しいけど……やっぱり痛いっす……」

「ごめんな」


 城戸は眉をしかめつつも、にへへと笑った。



 §



「クロワッサンですか?」


 春野にパンをやる。

 これで仕事をシてきた感を出すわけだ。


「要らなければいいが」

「食べます」


 がぶりつく春野。

 わかりやすく、頬がゆるんだ。


「おいしいです」

「そうか、よかったよ」

「柳川さんにしては、いいセンスですよ」

「褒め言葉として受け取ろう」


 城戸、ちゃんと役に立ったぞ。

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