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2月18日 武道館で会いましょう

 昨日、穂波ちゃんから呼び出しを受けた私だったが、場所に指定されていたのは学校の道場だった。

 また一戦交えようというのだろうかって多少は警戒もしたけど、道着はおろか、特に何も持って来なくていいという話だった。


 指定された時間も、部活の終わり際だったし。

 未だに、部活中の道場に顔を出すのは引け目を感じる。

 今や完全に部外者なわけだし。

 だけど約束してしまったし、今日は姉がコーチにで向いているはずだしで、半分は保護者面の気持ちで足を踏み入れる。


 練習はとっくに終盤。今日は、審判を立てて実際の試合形式の稽古をしているようだ。

 二面あるコートのそれぞれで、部員同士の本気のぶつかり合い。

 その片面に、ちょうど穂波ちゃんの姿があった。


「わっ」


 驚きが小さなうめきになってこぼれた。

 穂波ちゃんの相手をしていたのが、部員じゃなくって姉だったからだ。

 しかも、どこかピリついたこの空気。

 大会モードのガチのやつだ。


 既に激しい攻防を繰り広げた後なのか、穂波ちゃんは大きく肩で息をしている。

 実力者同士の戦いの場合、膠着した静寂の後、なんとなく「次の一手で決まる」と分かる場合がある。

 大会の決勝戦みたいな、誰もが一言も声を発せずに試合の結果を見守っている場合なんか特に。

 その時の感覚に近いものが目の前に広がっていた。


 気発。

 ため込んだ気合を一度に吐き出すように。

 または、膨らませた風船を一思いに割るように。

 勝負は一瞬。

 互いの面に竹刀が吸い込まれて、スパンと小気味のいい音が響く。

 ほとんど同時のようだったが、集中して見ていたら分かる僅かな、そして勝負の世界にとっては明白な差があった。


「面あり!」


 審判の声が響く。

 軍配は、穂波ちゃんに上がっていた。

 感心したようなため息が、コート外で見守る部員たちの間で広がる。

 ほとんど同じタイミングで制限時間がいっぱいになり、審判が勝敗を言い渡す。

 結果は「引き分け」だった。

 どうやら姉が先取したのに対して、穂波ちゃんが取り返したところだったらしい。

 大会のメンバー決定戦でもなければ、練習での試合は延長まで行わない。

 結果は引き分けとして、互いにコートから引き下がった。


 そして稽古がおわり――着替えも終えた穂波ちゃんが、つやつやした笑顔で私のもとへやってきた。


「はじめて、負けませんでした」

「そうなんだ。文句のつけようがない、見事な一本だったよ」

「ありがとうございます」


 彼女は嬉しそうに目を細める。


「お腹空いたので、一緒にラーメン食べに行きませんか?」

「それはいいけど……」


 私は、何となく姉の方を見る。

 同じく着替え終えて出て来たところだった彼女は、ひらひらと私のことを追い払うように手を振った。


「いっといで~。今日は星のこと貸してくれって、頼まれてたし」

「なら良いけど」


 一緒に行きたいとか言うわけじゃなく、何も言わずに置いてって、後で駄々をこねられるのが面倒だっただけなんだけど。

 そういうことなら遠慮なく行ってこよう。


 向かったのは学校からほど近くにある、南高生御用達のラーメン屋だ。

 特筆するほど美味しいわけではないけど、学生料金があって、たいていの女子高生なら学食と変わらない値段でお腹いっぱいになれる。

 穂波ちゃんみたいに燃費の悪い身体をしている子は特に御用達だろう。


「学生ラーメンで」

「私は学生ラーメンの餃子セットと炒飯でお願いします」


 カウンターに並んで、それぞれメニューも見ずに注文する。


「〝と〟っていうのがすごいね」

「部活の後ならぺろりです。あと、今日頑張ったご褒美で」


 ずいぶん前に、たまたま居合わせて一緒に食べたことがあったな。

 その時の彼女は確か、学生ラーメンの炒飯餃子セット。

 違いは、炒飯が一人前の量かどうかってところだ。


 ほどなくして出て来たメニューを、互いにほとんど無言で貪る。

 会話が無いって言うよりも、穂波ちゃんがラーメンに炒飯に餃子にと口が忙しいので、雑談をする余裕がないだけなのだけど。


 けれど、私がラーメン一杯を食べ終える間にあっちもほとんど平らげてしまっているのだから、ただ感心するばかりである。

 最後の餃子を食べ終えた穂波ちゃんは、〆の儀式と言わんばかりに残ったスープを飲み干して、「けぷ」と可愛らしいげっぷを吐いた。


「あっ……ごめんなさい」

「いいよ。お腹いっぱいになった?」

「はい」


 にこぉーっとゆっくり口角をあげて、彼女は満足げに頷く。

 ほんとに幸せそうだ。これだけ美味しそうに食べてくれるのなら、いくらだって奢ってあげたくなる。

 残念ながら、今はバイトもしてなければ、そこまで羽振りは良くないのが申し訳ないけれど。


「そう言えば、相談がありまして」


 ふと穂波ちゃんが口にする。

 それが、今日呼んだ理由なのかなと思い、私は静かに話を聞く体勢になる。


「二年時の選択、文系か理系か迷っているんです」


 どんな相談が飛んでくるのかと身構えてしまっていたけど、ものすごく高校生らしい内容だった。

 いっそのこと、なんだかホッコリしてしまう。


「大学の行きたい学部とか決まってるの?」

「経済学部に行きたいんですが、ウチの学校だと理系から回ったほうがいろいろ有利だって聞きまして」

「なるほど」


 経済学部は本来文系の分野だけど、上位の大学を目指すほど数学の配点が高くなるので、理系から目指すとう考え方もある――と聞いたことはある。

 知り合いに実際そういう人がいないから断言はできないのだけど、少なくとも理系の方が求められる普段の勉強量は多くなるので、確実に力はつくだろう。


「部活も一緒に頑張るなら、間違いなく文系の方がいいとは思うけど」

「寮暮らしで通学時間がほとんどない分、勉強も頑張れるかなって。あと歌尾さんが理系にいくようなので、それも理由のひとつで」


 そこまで言って、穂波ちゃんは躊躇うように視線を下ろす。

 空っぽの丼ぶりの中で、薄い油の膜がテラテラと光っていた。


「友達と同じクラスになりたいから選択を決めるって、変でしょうか?」

「そんなことは無いんじゃない」


 それに関しては、ほとんどふたつ返事で否定する。


「私だって、ユリやアヤセと同じクラスになりたくて文系を選んだし」

「あ……そうだったんですね」


 穂波ちゃんは、顔を上げて私を見ると、安心したように息を吐く。


「安心しました。私、迷わず理系にします」

「良いと思うよ。まあ……不安にさせたら悪いけど、必ず同じクラスになれるわけではないけどね」

「可能性ゼロよりはいいです。それに文系四クラスよりは、理系三クラスの方が、確率高そうですし」

「それはその通り」


 現に、私は三年で見事にふたりと別のクラスになってしまったし。

 あの時は本当に、この世の終わりかと思った。

 今でこそ心炉がいて良かったと思うけど、当時は今ほど仲はよくなかったし。


「私、最後に星先輩と試合ができて良かったです」

「そうだね。こっちが胸を借りる想いだったけど」

「でも、私やっぱり、先輩と一緒に試合出たかったです」


 彼女は、どこか寂しそうに笑う。


「流石に、先輩と同じレベルの大学には行けないと思いますし……」


 それこそ、可能性はゼロではないと思うけど……ニュアンス的に、それを今ここで言うのは違うだろうなと思った。

 なんか、嫌味っぽく聞こえてしまう気もするし。

 もちろん、彼女はそんな風に思ったりはしないだろうけど。


「だから、大学でも剣道続けてください」

「それはなに。学生大会で会いましょうってこと?」

「いえ。来年か再来年に、都道府県対抗大会で県代表として出ましょう」


 穂波ちゃんは、ものすごく期待に満ちた顔で拳をぐっと握りしめた。


「都道府県対抗って、あの高校・大学・一般・あと達人級でチーム組んで出るやつ……?」


 うろ覚えの知識で尋ねると、彼女が力強く頷く。

 また、とんでもない目標を掲げるもんだ。

 どうやら彼女の向上心は、インターハイを目指すくらいじゃ満足できないらしい。

 全くもって本当の剣道馬鹿だ。


「それは、相当に稽古を積まないと無理そうだね。私の方が」

「可能性はゼロじゃないですよ」


 私が言い留めた言葉を、彼女はさらりと口にする。

 不意打ちを食らったみたいで、思わず吹き出して笑ってしまった。


「そうだね。大学生って暇らしいし、頑張ってみる価値はあるかも」

「はい。あ、でも、私が大学に行ってから学生大会で会うのもありです」


 付け加えるようにそう言って、彼女は真っすぐに澄んだ瞳で私を見つめた。


「次こそは、〝私と〟試合をして欲しいです。今よりもっと強くなった私と」


 見透かされたような、でも怒っては居ない様子で語る彼女に、私はそっと頷き返す。


「わかったよ。約束」

「はい、約束です」


 その場でふたり指切りを交す。

 これまでいろんな人といろんな約束をしてきたけれど、この約束だけは、私の中で明確に景色が思い描けた。

 穂波ちゃんと一緒に、公式戦で竹刀を振う。

 敵か味方かはまだ分からないけど、煌々と輝く武道館の照明に目が眩みそうだった。

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