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2月9日 勝ちたい?

 登校日一日分の時間が空いて、再び三年生が消えた校舎で稽古の日々が再開する。

 三日も立てば身に染みて感じるけど、三年間のブランクってやつは本当に大きい。

 筋肉痛なんて我慢すればいいからまだいい方で、それ以上に腕も脚も鉛のように重い。

 身体が成長したおかげか、気持ち軽く感じていた竹刀も、稽古終盤にはずっしりと鉄の棒でも持たされているような気分になる。

 すると自然に、相手の喉元へ向けているべき切っ先が下がるものだから、スパパーンと姉から文句のつけようのない一本を打ち込まれるわけである。


 打ち込まれる瞬間、身体は反応できるけど、身を守るために腕を上げることができない。

 今日はここが限界だと、私も姉も同時に悟った。


「せめて四分間は全力で動けるようにならないとねぇ」

「四分……そっか、高校って四分か」


 いつもの通り、面を外した瞬間にぐったりしてしまった私は、実刑宣告とも言えるその言葉にすっかり意気消沈してしまう。

 中学のころは三分だった試合時間は、高校基準になれば四分に増える。

 集中力の戦いである試合において、一分間の差は大きい。

 その一方で、明らかな時間潰し行為はすぐに反則を取られてしまう。

 身体の酸素が足りなくなっていく中で集中力を保つのも実力のうち。

 唯一ひと息つけるのは、一本を取って(または取られて)、開始線で仕切り直すまでの僅かな時間だ。

 一本取ったら勝敗が決する柔道と違って、剣道は三本勝負の二本先取制。

 ルールとしては、対戦格闘ゲームのそれに近い。一本取られたからと言って諦めないこと。

 または、一本取ったからと言って気を抜かないこと。


 一対一で延長戦にもつれ込んで逆転、なんて試合は珍しいことじゃない。

 それくらい、一瞬の集中力の欠如が勝敗に左右する。


「ま、一週間そこらでやれることなんて限られてるし、勘を取り戻せたら十分でしょ。別に、勝とうってんじゃないんだよね」

「うん、まあ……」

「彼女、今が伸び盛りだから、勝とうって思ったらかなーり大変だと思うよ」


 彼女というのは、言わずもがな穂波ちゃんのことだ。

 夏からこっち、長期休暇たびにコーチとして練習を見ている姉には、穂波ちゃんの今の実力は手に取るように分かることだろう。

 そして、私との実力の差も。


「……待って、微妙に引っかかる言い方じゃないの」

「え、お姉ちゃん何か変なこと言った?」


 変なことは言ってないけど、その口ぶりじゃまるで――


「頑張ったら勝てる目もあるってこと?」


 私の問いに、姉はきょとんとしてから大したことないかのように答える。


「そうじゃなかったら、世の中〝ジャイアントキリング〟なんて言葉は生まれないもの」

「そういう、広いスケールでの話をしてるんじゃなくって」

「勝ちたい?」


 茶化すでもなく、さらりとした口調で姉は問う。

 きっと彼女にとっては「どっちでもいい」のだろう。

 私がどうしたいか。

 それに合わせて、できるだけのことをしてくれるだけ。

 私は少しだけ迷う――と言うよりも、覚悟を決める時間を取ってから、かすかに頷く。


「どうせやるなら」


 その言葉に、姉は爽やかな笑顔を浮かべた。


「よーし。じゃあ、今日はここまでにしよう」

「え」


 なんだか肩透かしを食らった気分で、思わず飛び起きる。

 流れ的には、もう一本稽古をするところでしょうが。

 姉もそんな私の気持ちを汲んだうえで、不思議そうに首をかしげる。


「そろそろ今日の勉強始めなきゃでしょ。頑張れ受験生。文武両道だ」


 確かに時間的にもそうだけどさ。

 モヤモヤした気持ちで片づけを始めていると、しばらく道場から姿を消していたアヤセが帰って来る。

 その手には、水筒と紙コップが握られていた。


「おーい、温かいもん持って来たけど……ってやっぱここ寒いな。暖房ってついてないんでしたっけ」

「道場にそんな設備はないのだよ……トホホ。汗が冷える前に着替えて、お茶貰おう」

「うん」


 手早く防具をまとめた私は、姉より先に更衣室へと向かった。

 道場の更衣室じゃなくって、体育館に併設された共有更衣室のほう。

 そっちだと水場がついているので、熱いシャワーを浴びて身体を綺麗にすることができる。


 そうしてサッパリしたところで、道場に戻ってアヤセが準備してくれたお茶を貰う。

 姉は道場の方の更衣室で着替えたのか、とっくに身支度を整えて、のほほんとした顔でアヤセと一緒にお茶を啜っていた。


「シャワー浴びなくていいの?」

「濡れタオルで汗さえ拭けば、あとはエイトフォーがなんとかしてくれるって」

「仮にも十代の乙女がそんなこと」


 とはいえ、姉は私ほど汗だくにならないし――というか、ほとんど汗をかかせられないって言うのが非常に悔しいところだけど――そこまで気にならないのだろう。


「星は綺麗好きだもんなぁ」

「ちゃんと汗を流さないと気持ち悪いだけ」


 すっかり縁側のおばあちゃんモードのアヤセから、お茶を注いだコップを貰う。

 軽く火傷しそうなくらい熱いお茶が、シャワーを浴びてなお冷え切った身体に、内側から沁み渡る。


「てか、生徒会室に戻ってから飲んだらいいんじゃないの」


 こんな暖房が無い部屋より、あっちの方が温かいし。

 すると姉が、いやいやいやと、激しく否定する。


「稽古が終わってさ、こうやって道場の床でダラダラしながら飲むのが良いんじゃない。昔よくやったでしょ?」

「昔って……小学校の頃の話でしょ」


 あの頃通っていた道場では、稽古終わりにみんなで車座になって、おやつを食べるのが定番になっていた。

 スーパーとかで安売りしてるお菓子アソートだけど、たっぷり運動した後ってこともあってか、やたら美味しく感じられた。


「寒いとこで熱い物を飲むっていうの、なんか脳がバグって気持ちよくなってくるな。初詣で飲む甘酒がやたら旨かったり」

「それ、眠くなってるだけでしょ。寝るな、死ぬぞ」

「死にましぇん!」

「そのネタが分かる女子高生、どれだけいるんだろうね」


 そんな、何でもない会話。

 動いて疲れてぼんやりした頭だと、これくらいゆるいのがちょうどいい。


「生徒会室戻ってお昼食べたら午後はお勉強タイムだ。アヤセちゃんは今日もタイムキーパーよろしく」

「ういっす。時の神と呼んでください」

「なにそれ」

「私の指す時間は絶対だ。一秒たりともまけてやらん……という気持ちで、指定時間のコンマ〇〇秒で止められるように毎回チャレンジしてる」


 まだストップウォッチで遊んでんのか。

 飽きないね。

 それくらい暇だっていうなら申し訳ないけど。

 約束通り、全部終わったら何かお礼を考えよう。

 言葉に出してはいないけど、ちゃんと感謝はしているんだよ。


 いつも言ってたら言葉が軽くなっちゃいそうな気がするからっていうのは言い訳でしかないけど、卒業式がきたら真っ先にお礼を言おうって私の中で決めている。

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