2月1日 新しい日常
週に一度の登校日は、なんてことはなく粛々と過ぎて行った。
登校日とは言っても半分自由登校みたいなもので、例えば私立の入試日程が被っていたりした場合は公欠が認められる。
とはいえ大半の生徒は共通テスト利用なので、あまり関係のないことなのだけど。
ユリは登校してきているらしい。
アヤセから朝イチにメッセージがあった。
だからと言ってわざわざ会いに行くようなことはしないで、ホームルームが終わって自習時間に入るのを待つ。
ここで避けられるなら、今は少し距離を置く時なんだと言い聞かせて――結果、彼女はアヤセと一緒に生徒会室へと来てくれた。
「天気は良いけど寒いね~」
能天気な笑顔は変わらず。
何事も無かったかのような日常の風景がそこにはあった。
その実、本当に何もなかったんだって、私自身が錯覚してしまうほどだ。
あの土曜日のことは夢か何かで、本当は勢いに任せた告白も、その返事も、勘違いなんじゃないかって。
逆に心配になってしまうくらいだったけど、アヤセが妙に気を遣ってユリと話をしてくれていたので、夢ってことはないんだろうなと理解できた。
私も、自然に会話に参加できたような気がする。
勉強の話から、息抜きの軽い雑談まで。
ただびっくりするくらい淡白で、心ここにあらずって感じで、何を話したのかはイマイチ覚えていなかった。
日常がこれほど色あせるなんて、一年前の私なら思いもよらなかっただろう。
「今日も頑張ったね~。暗くなる前に帰ろっか」
放課後になって、ユリはてきぱきと荷物を片付けると、ビシっと敬礼をしてみんなに振り返る。
「じゃ、また来週ね!」
そうして、足早に部屋を出て行ってしまった。
「あー、私、一緒に行ってくるわ」
アヤセも慌てて荷物をまとめてその後を追う。
背中に向かって「よろしくね」と不安げな声をかけると、彼女はニッと笑顔を浮かべて手を振り返した。
「よく耐えましたね」
ふたりきりになって、心炉がぽつりとつぶやく。
声をかけられたわけじゃないけど、ふたりしかいないのだから、私に当てた言葉であることは明白だ。
「耐えたわけじゃないんだけどな」
ひたすらの〝無〟があっただけ。
昔のひとが、苦行で悟りを開こうとしたのも、今なら身に染みて分かるような気がした。
「私たちも帰りますか」
「そうだね。生徒会が来るだろうし――」
言いかけたところで扉が開く。
やや慌てた様子飛び込んできたのは、宍戸さんと穂波ちゃんだった。
「良かった……まだ、いらっしゃいましたね」
宍戸さんは、私の顔を見るなりほっと一息つく。
いったいなんなんだ。
安心されるような心当たりはないんだけど。
わけもわからず心炉と顔を見合わせると、彼女も眉をひそめながらも静かに頷き返す。
「用事があるようでしたら、私は先に帰りますね」
「ありがとうございます。あの、ちょっとだけお借りします」
「ちょっと言わずにどうぞ」
口を挟む余地もなく、面と向かって行われた人身売買のもと、私を置いて心炉は帰ってしまった。
一緒に帰る約束をしていたわけじゃないけど、今の心境的にはちょっぴり寂しい。
「えっと……なんだろう。生徒会の話?」
「いえ。その、個人的な話で」
宍戸さんが躊躇いがちに答えると、扉のところで心炉を見送っていた宍戸さんが、とことこと隣にやってくる。
「あの、聞いてあげてください」
「うん、聞くけど」
見上げてくる穂波ちゃんは、まるで私が逃げないように繋ぎ止めるために立っているかのようだった。
そう感じるのは、距離が近い圧によるものかもしれないけれど。
宍戸さんは、一度大きく深呼吸をする。
それからぐっと口元に力を入れて私と向き合った。
「バレンタインに、ユリ先輩にチョコを渡します。そこで歌尾……もういちど、ちゃんと告白しようと思います」
「……そう」
今度は私が息を吐く番だったけど、思ったよりショックを受けていない自分がいた。
宍戸さんの言葉が、すごく他人事みたいに聞こえてきて、これも無の境地によるものなのかと自分で呆れるくらいだった。
「星先輩には、ちゃんと言っておきたくって」
「もしかして、昨日言いかけてたのってこのこと?」
「そうです」
一度行ってしまえば腹が決まったのだろう。
彼女はすっかり強気の笑顔で、力強く頷いてみせた。
私は返事をする代わりに、傍らの穂波ちゃんのことを見下ろす。
彼女は、少しだけ遠慮したような笑顔を浮かべた。
「ごめんなさい……その、歌尾さんから相談を受けて、一緒に聞いちゃいました」
「うん、それは良いよ」
私だって、アヤセにユリのこと相談する時にいろいろ話したりしたし。
むしろ、宍戸さんにとって相談できる相手がいて、それが穂波ちゃんだったってことに安心すらしている。
「私に許可を取る必要なんてないのに」
「いえ、その、先輩はずっとフェアでいてくれようとしたので。歌尾もそうしたいなって」
「そっか、ありがとう。頑張ってね」
「頑張ってねって……」
宍戸さんは、困惑した様子で私を見つめる。
「先輩、何か変じゃないですか……?」
「変って言うか、私にはもう関係のなくなったことだから」
「関係ないって――」
「私、もうフラれたから」
「え?」
宍戸さんが目を見開く。
そして多分、穂波ちゃんも。
宍戸さんは、そのまま狼狽えた様子で視線を泳がせる。
「嘘ですよ、そんなの」
「そんなしょうもない嘘ついてどうするの」
「そんな……じゃあ、歌尾は……」
狼狽えた、と言うよりは怯えたというほうが正しいのかもしれない。
途端に胸元を押さえながら身をかがめた姿は、まるでクリスマス以前の彼女を見ているかの耀だった。
私は事実を伝えただけなのに、宍戸さんが何に戸惑っているのか、さっぱり理解ができない。
穂波ちゃんが慌てて彼女の傍に寄って、心配そうに背中をさすった。
「ごめんなさい、星先輩。話はひとまず終わりなので……後は私が」
「そう……?」
そう言われて、私は半ば追い出されるみたいに部屋を後にすることになった。
心配だけど、私がヘタに口を挟むことではないような気がする。
そして私自身も、他人の恋路を心配していられるほどの余裕は、まだまだないようだった――という客観的な気持ちで今日を締めくくる。




