12月12日 兆し
今日から放課後勉強会は、放課後音楽会に姿を変えた。
校舎隅の空き教室に、十人足らずの生徒たちが集まって、二時間程度の合奏を行う。
こういう時、持ち運びしやすい楽器の面々は羨ましいね。
私は、重いブラックバードを背中に担いだうえに、天野さんから借りた小型のアンプも抱えるハメになるのでなかなかの重労働だ。
他に大型の楽器と言えば、音楽室の倉庫から借りて来た心炉用の電子ピアノくらい。
当日のホールでは備え付けのグランドピアノが使えるようなので、本当に音合わせのためだけに用立てたような形だ。
アヤセのドラムセットは、流石に毎日運んでセットしては大変なので、学校での練習ではオミットすることに。
代わりにスティックを打ち鳴らして、テンポ取りに励んでもらっている。
実のところ、ジャズの裏打ちの感覚がまだ身体に沁みついていないので、分かりやすく拍子を取ってくれるのはありがたかった。
「今のところ最初から。トランペット、もっと主張して」
「は、はい」
スタジオと違って制限時間という縛りが無いおかげか、須和さんの指導も数小節ごとに小刻みに刻んでは、細かい指摘と改善を要求するようになった。
もちろん、だいたい二時間くらいという制限はあるのだけれど、足が出ても誰に起こられるわけでも、追加料金が発生するわけでもないというのは、大きな心のゆとりになっていた。
「最後に一回だけ。これはミスがあっても止めずにいく」
「いいの?」
「本番に、絶対に失敗しないという保証はない。ミスを取り繕うことも、恐れないことも、練習しておく必要がある」
何ともなしに尋ねたのだけど、須和さんは実に真面目な返事をしてくれた。
ミスすることに慣れておくというのは、どこか逆説的だけど、大事なことなのかもしれない。
いつか天野さんが言っていた「ミスしても、アレンジだぜって顔しておく」というのも、実際に経験しておかないとできないことだと思う。
引き間違えた瞬間瞬間、残りの演奏が縮こまる……というのは、やはり避けたいところだろう。
もちろん間違えないのが一番なんだけど。
アヤセのスティックのリズムで、頭から演奏を始める。
ドラムが無い演奏は、出汁の弱いラーメンみたいだなと思った。
必然的に、ダブルスープの片割れであるベースが頑張るはめになって、私にとってのいい練習にはなっているけど。
曲が半ばくらいに来た時、異変は起きた。
みんな、自分の演奏に夢中だったから最初は気づかなかったけど、曲が進むにつれて違和感に気づく。
周りの音を聞くことを教えてもらったのは、この間の合同練習の時だっけ。
それがあったからこそ、有るはずの音が無いことに、メンバー一同が気づくことができた。
示し合わせたように音が止んでいく。
私もフェードアウトしていくように、弦をはじく手がゆっくりになって、止まる。
止めずに行く――そう言われた以上、最後までやるべきだったのだろうけど。
最初に消えた音――演奏を止めたのが、須和さんだったのだから、そうも言っていられなかった。
「……どうかした?」
「いや……」
声をかけると、彼女は短くそう言って、自分の口元を指でなぞった。
様子がおかしい。
彼女は、穴が開くほどに虚空を見つめて、どこか狼狽えているように見えた。
「今日はここまで」
やがてそう宣言して、彼女は手早く荷物をまとめて、ひとり帰ってしまった。
置いてけぼりになった私たちは、訳も分からず、不完全燃焼のまま、仕方なく機材を片付けて回った。
「なんだったんだろうな」
教室に戻って、いつもの面子で勉強道具を広げる。
授業後にすぐ練習。
そして残りの時間は、下校完了時刻まで勉強。仮にも受験生として、自分達で定めたスケジュールだった。
だが、練習があんな終わり方になったんじゃ勉強の方に集中できるわけもなく、それぞれ問題集を数問解いては、ため息を溢すのを繰り返す。
「今日は私、聞き専だったわけだけど、別に演奏は悪くなかったぜ。もちろん、直すべきところは沢山あるんだろうけど」
「流石に須和さんも、下手くそだから匙を投げるとか、そういう次元の話をする人ではないでしょう」
「たしカニ。まあ、一瞬過ったけどな。怒って職員室に帰った先生を呼びに行って、みんなで謝るイベント的なヤツ」
「いや、小学生相手じゃないんだから」
いくらなんでも、そりゃないよ。
でも、そう思って仕方がないくらいには不自然だった。
少なくとも、いつもの須和さんじゃないみたいっていうのは確かなことだ。
「体調悪かったのかなぁ。あの教室、寒かったもんね」
「空き教室だからオイル暖房も来てなかったしな」
ユリは、ぶるっと身体を震わせて、家から着て来たコートを肩に羽織った。
演奏している私たちは、多少なり身体を動かして温まるけど、ほとんど見学みたいだった彼女とアヤセはさぞ寒い思いをしたことだろう。
仕方がないとはいえ、明日からはもう少し防寒対策を考えた方が良さそうだ。
「ユリとアヤセは、外から見てて、スワンちゃんのこと何か変だと思わなかった?」
「うーん、別にかなぁ」
「私もスワンちゃんのことは、そんなに見て無かったからな。練習なんだから、できるヤツ見てたってしゃーないしな」
それもそうだ。
できてる人にアドバイスをしたって仕方がない。
須和さんにだって、アドバイスできることはあるのだろうけど、それよりもっと助言を必要としている人がこのチームには沢山いるんだから。
本人が居ない以上、答えの出ないことに頭を悩ませていると、スマホが鈍く震えた。
待ち受け画面を見ると、銀条さんからメッセージが届いていた。
――明日の昼休み、生徒会室に来られませんか?
「どうした?」
アヤセが覗き込んでくるので、私は画面を見せつけてやる。
「生徒会から呼び出し。明日だけど」
「来週のクリパの話ですか?」
「さあ……よく分かんない」
――クリパの相談ならアヤセたちも呼ぼうか?
そう返してあげると、すぐに既読通知がつく。
だけど返事には少し間があって、問題集を二問ほど進めた後に、またスマホが震えた。
――星先輩だけでお願いします。
なんなんだ、ほんと。
結局、何の話なのかも分からないし。
言われた通り、行ってみるしかないのだろう。
何か、面倒な話じゃないと良いんだけど……。