第九十五話 理解不能 (アイフォード視点)
ただ呆然とその光景を見ながら、俺は気づいていた。
これはもう手遅れなのだと。
「頭の痛い問題を同時に解決してくれた君には、本当に感謝しかないよ。とはいえ、分かっていると思うが、交渉を違えることはないように」
「はい」
……そしてその俺の判断は正解だった。
マーシェルにぞっとするほど冷たい目を向けながら、父は告げる。
「アイフォードをこの家から出す代わりに、侯爵家に尽くし続けろ」
マーシェルが俺を助けるために差し出したもの。
その重さを知った、俺はなにもいうことさえできない。
思いばかりが膨れあがり、言葉として認識することもできない。
「はい! 私ごときの人生で、アイフォードを助けられるなら!」
──なのに、父と向かい合うマーシェルの顔に浮かんでいたのは、満面の笑顔だった。
俺が、ようやく自分のしたことの愚かさを理解したのはその時だった。
マーシェルがどれだけ自分の価値を、存在を重く受け止めていないか、俺は知っていた。
だから、これは想像できた未来なのだ。
……俺のためならと、マーシェルが自身を投げ出すことなんてことも。
けれど、その時の俺にはその事実を受け入れることができなかった。
「俺、は。そん、なこと」
自分さえ聞き取ることの難しい言葉が俺の口から漏れる。
俺が望んだのはこんなことではなかった。
ようやく、俺は見つけられたところなのだ。
命を懸けてでも手に入れたい、守りたい人を。
……なのに、俺はどうしてその人を犠牲にして助かろうとしてる?
そのことがその時の俺には受け入れられなかった。
俺は呆然とその場から歩き出す。
せめて、自分の部屋まで戻ろうと。
……しかし、それさえ無理だった。
その道中、俺は限界を迎え壁にもたれ掛かり、その場に座り込んだ。
自分の震える手を見ながら、俺はまとまらない思考を無意味に空回す。
なんでこうなった。
どうして、マーシェルが犠牲になる?
……俺はなにを間違えた?
「あれ? アイフォード?」
そんな俺の永遠に続くかと思われた思考を停止させたのは、背後から響いた声だった。
俺はその声に反応し、呆然と振り返る。
そこにいたのは、怪訝そうに俺を見つめるマーシェルだった。




