第九十三話 取り返しのつかない失敗 (アイフォード視点)
何度も殺されそうになって、刺客を送られた日のうちの一つ。
他の日はもう頭にないものさえあるのに、その日を俺は鮮明に覚えていた。
……なぜなら、その日は俺を庇って一人の護衛が命を落とした日だったのだから。
その護衛とのつきあいは長くはなかった。
今はもうその顔も曖昧な程度、たった数日。
──アイフォード様は、侯爵家の誇りですから。
ただ、彼の顔をくしゃくしゃにした表情だけは、頭に染み着いたように残っていた。
その護衛は、変な護衛だった。
俺を利用することしか考えない人間の送った護衛のはずなのに、俺を無邪気に慕う男だった。
俺は年下の少年で、その当時は刺客一人を対処する程度の腕しかなく……そして汚らわしい妾の子供で。
なのに、その護衛は何の躊躇もなく、俺に付き従うと誓った。
だから、だろうか。
……その護衛が、俺を庇う形で命を落とすことになったのは。
その護衛が死んでも、俺は泣かなかった。
泣いたとしても、それは弱みをさらすことにしかならないと知っていたから。
だから、俺はそれでも必死に歯を食いしばって踏ん張っていた。
そんな俺に父はつまらなそうに顔を逸らし、クリスは忌々しげににらみ、コルクスは痛ましげに目を逸らした。
けれど、マーシェルだけは俺が耐えることを許さなかった。
「……ここなら泣いていいんだよ」
そういいながら、いつもの場所で俺を抱きしめたマーシェルの柔らかい体。
それは未だ俺の記憶に残っている。
どうしようもなく温かく、そして優しい抱擁。
……それに、俺は耐えられなかった。
思えば、俺が赤子のように泣きわめいたのはあれが初めてだった。
母が死んだときでさえ、俺は必死に涙をこらえていた。
だからだろうか、俺は今までのことを感情のままに言葉を口にした。
継承争いなんて、本当はしたくなかったこと。
しかし、勝ち上がるしか命を守る方法がなかったこと。
本当ならこんな場所いたくもなかったこと。
その全てをマーシェルは、俺を抱きしめながら聞いてくれた。
その時に、俺は改めて決意をしたことを覚えている。
……何とか、この戦いを乗り越えて侯爵家の当主になってやると。
権力も、名声もなにもいらない。
ただ、マーシェルの隣だけは、俺にとって他の何にも代えられぬ程大切なものだった。
そんな物をクリス程度に渡してなるものか。
しかし、そう思う俺は気づいてもいなかった。
そう思うなら、なおさらこんな姿をマーシェルにさらすべきではなかったと。
あの心優しいマーシェルがどんな気持ちで俺の叫びを聞いていたか、それを俺は知るべきだっと。
……しかし、その後悔はもう何の意味もなさない。




