第八十九話 解き放ったのは (アイフォード視点)
そう告げた俺の脳裏に蘇ったのは、かつて侯爵家を追い出された日の事だった。
あの時、俺の前で頭を下げ謝罪したコルクスの姿を俺は鮮明に覚えている。
──お守りできなくて、本当に申し訳ありません。
そう、俺に謝罪したその姿を。
「……屑親父に何度も反抗して俺を庇った上での言葉だぞ」
「はは。本当にあの人らしいな。自分がどれだけ庇っていても、そのことにすら気づかない」
「本当だよ。あの屑親父のそばに居ただけで多くの人が助かっていたのにな」
コルクス、前侯爵家当主の弟であり、何の躊躇もなく兄に当主の身分を渡した人間。
その存在をどれだけ、あの屑当主がおそれていたか、本人は知る由もないだろう。
本気であの人は兄を信じ、尽くしてきたのだから。
……そのあり方が前当主である親父には、さらなるプレッシャーとなっていたが。
といっても、その親父の姿は俺にとって愉快とさえ感じるほどだったが。
──いくら能力があろうが、純血足り得ない貴様が当主になれると思うなよ。
かつて面と向かって親父が俺に告げた言葉を思い出しながら、俺は思う。
この先侯爵家が滅びるのも、当然の報いなんだろうと。
「……あの屑当主のことをコルクス様に言うべきだと思うか?」
そうアルバスが問いかけてきたのは、そんな時だった。
その言葉に、俺はしばし無言で考える。
しかし、すぐに首を横に振った。
「いや、いいだろう。もう死んだ人間のことだ煩わせる必要はないだろうさ」
「……そうか。いや、そうだな。あの方は無駄に自身を責める方だからな」
その言葉に俺は今度は首を縦に振る。
そう、このことはあの人に告げる意味などありはしないだろう。
そのことを知れば、あの人は間違いなく自身を責めるだろうから。
どれだけ俺たちが救われていたとしても。
「まあ、俺が侯爵家に恩を感じていることに関しての勘違いだけは、訂正したいところではあったがな」
そう呟いたアルバスの目には、小さく憎悪が浮かんでいた。
それを見て、俺は無言で顔を逸らす。
アルバスのその感情も当然のことであると俺は理解していた。
何せ、アルバスは前侯爵家当主に……諜報員として働くことを強いられてきた人間なのだから。
やり手と称された先代侯爵家当主、その裏でやっていたのは様々な汚職や非合法な手段だった。
俺とアルバスが友人関係を築いたのも、同じ被害者だったという立場だったからだ。
そんな侯爵家の唯一のストッパーこそが、コルクスの存在だった。
あのまま親父が侯爵家を支配していたら、侯爵家は汚職にまみれた領地となっていただろう。
それを防ぎ、全ての悪事を虱潰しに潰していった人間こそ、コルクスだった。
兄のことを信じたコルクスは最後までその本性を知ることはなかった。
ただ、その悪事が続くことだけは絶対に許さなかった。
どれだけ前侯爵家が止めようが無視し、悪事を徹底的に弾圧を行ったのだ。
そのコルクスの存在のおかげで、俺は侯爵家で生き抜くことができ、アルバスは裏社会から解放された。
故に、俺たちは誰よりも厳しく、そして優しいが故に鈍感なあの執事に恩を抱き、様々な人間が慕うのだ。
その影響力が故に前侯爵家当主も、どれだけ目障りで恐ろしい存在でも、コルクスを追い出すことができなかった。
──そして、クリスはそんなかけがえのない人材を、侯爵家から解き放ったのだ。




