第八十五話 彼の誓い
「……っ!」
真っ正面からアイフォードの怒気を受けたクリスが言葉を失う。
そんなクリスへと、アイフォードはゆっくりと口を開く。
「なあ、本当に才覚だけで実家の後ろ盾すらない小娘が、どうやったら侯爵家を盛りたてられるかお前に分かるか?」
「なにを言ってる?」
「マーシェルがお前のために犠牲にしたものの話だよ」
「……は?」
呆然としたクリスの声を聞きながら、私は目にドレスの裾を押し当てる。
……しかし、もうそんなことであふれる涙を抑えることはできなかった。
ずっと私は自分の犠牲など、誰も知らないでいいと思っていた。
これはあくまで私が勝手にやるわがままで、故に人に知らせる類のものではないと。
「お前だってそろそろ分かっているだろうが! マーシェルは命を懸けて、実家から縁を切られてでも侯爵家のことを優先して、全てをなげうってお前に尽くしていたことを!」
「それ、は」
そのアイフォードの言葉に、クリスはそう言葉を失う。
「そして、その全てが実家から逃してくれたお前への恩返しのためだと、お前は知っていたか?」
「恩、返し?」
そのはずなのに、なぜか私のことをずっと見守ってくれていたかのように、アイフォードは私の行動を知っていた。
そして、そのことがなぜか私はうれしくてたまらなかった。
次々とあふれ出す涙を拭いながら、私は必死で唇をかみしめ、声を押し殺す。
「ああ、そうだよ。それだけの理由でマーシェルはお前に無二の献身を捧げた。分かるか? ──お前が踏みにじり、唾を吐いたのはそんな献身なんだよ!」
「ち、ちが……。私は知らなくて……」
「関係あるかよ」
「っ!」
その瞬間、小さな鈍い音が響き、クリスが苦悶の声を漏らす。
殴ったようにも聞こえる音だが、私は反射的に理解する。
アイフォードは暴力を振るった訳ではなく、クリスを強引に引き寄せたのだと。
「お前が、あの自己犠牲でしか人へ尽くせない不器用な人間を利用し、傷つけた事実は変わんねぇんだからな」
「私は……」
「ようやく一割は理解できたか? 自分がなにをしたか。それをふまえてよく聞け」
その言葉に、私は涙に濡れた顔をあげる。
私のいる隠し通路の中は静まりかえっていて、だからかアイフォードの言葉はやけに鮮明に聞こえた。
「これは誓いだ。お前が次、またマーシェルに手を出そうとするならば、俺が息の根を止めてやる」
 




