第八十四話 犠牲を知るもの
「……え?」
今まで必死に堪えていた声が出たのはその瞬間だった。
聞こえるか分からないような微かな声とはいえ、今まで私が必死に堪えてきたはずのもの。
けれどもう、私は自分の感情を抑えることができなかった。
そんな自分に気づきながら、私はようやく気づく。
理由なんて分からない。
それでもアイフォードは、私を本気で助けようとしてくれていることを。
「……どう、してだ?」
私の内心を代弁するように、そうクリスが告げたのはその時だった。
そう、クリスが何でもするというならば、私がいるメリットなどアイフォードにはないはずだった。
今の侯爵家は力があるとはいえない。
しかし、アイフォードなら侯爵家の権威を最大限利用できるだろう。
それを考えれば、私の存在など比較にする価値もない。
「誰がそんな勝手な提案呑むかよ」
けれど、アイフォードはそのクリスの言葉に一瞬足りとも揺らぐことはなかった。
「ようやく今になってマーシェルの価値に気づいたか? ようやく苦労を知ってあいつがなにをしていたのか理解できたか?」
「そ、そうだ! ようやく分かったんだ! どれだけマーシェルが大きな存在だったか!」
それはかつて、私が望んでいた言葉。
けれど、まるで私の心は動かない。
「遅すぎるんだよ。今更なに言おうが、無駄に決まっているだろうが」
……そんな私の内心を代弁するようにアイフォードがそう告げたのはその時だった。
想像もしなかった言葉に私は思わず目を見開く。
けれど、アイフォードはそこで止まることはなかった。
「お前のためにどれだけマーシェルが身を切ってきたか、本当に分かっているのか?」
「当たり前だ! だから……」
「だったら、気づけよ。もう誰もお前の味方なんてしないことによ」
「っ!」
「お前は勘違いしてるだけで、想像さえできてないんだよ」
そう告げるアイフォードの口調は淡々としていた。
しかし、そこに隠しきれない怒りがこもっているのに私は気づいていた。
「あいつが……マーシェルが一体どれだけのものを犠牲にお前に尽くしていたのか」
──どきり、と私の胸が痛いくらい高鳴ったのはその瞬間だった。
「なにを言ってる?」
「侯爵家を盛り上げるために。いや、お前を助けるために、マーシェルが犠牲にしたものの話だよ……!」
その瞬間、今日初めてアイフォードが叫ぶ。
それを聴きながら私は思う。
これこそが、私の心がずっと望んでいたこと……私を理解した言葉なのだと。
びりびりと壁が震えるような怒気の中、私の目から涙が一筋こぼれた。




