第八十二話 彼の目的
そのアイフォードの言葉を聞いた瞬間、私は足下が消え去ったような浮遊感の中にいた。
今までの屋敷のことが、走馬燈のように私の脳裏によぎる。
それを感じながら、私は思わずにはいられない。
……なんて私は馬鹿なのだろうかと。
少し前まで、この屋敷にいる価値があるのかなど考えていた自分を、そう笑わずにはいられなかった。
今になって私は気づく。
もう私は以前のように、アイフォードの役に立つかどうかで判断を下せないことを。
それだけで判断するには、私は余計なことを知りすぎていた。
……この屋敷が、どれだけ居心地の良い場所かということを。
けれど、もう屋敷での日々も今日で最後だろう。
呆然とうつむく私の頬を一筋の涙が流れる。
これで私はまたあの侯爵家にもどることになるのだ。
「は、早く私にその場所を教えろ!」
そんな私の内心と対照的に弾んだ声でそうクリスが叫ぶ。
その声を聞きながら、もうかなう訳ない願いを私は胸に抱く。
どうか、何らかの奇跡が起きて私の存在をアイフォードが忘れ去ってくれるように、と。
「マーシェルがいると俺が考えている場所、それは」
そんな私の内心に気づく訳もなく、アイフォードは口を開く。
私は現実を拒否するように強く目を閉じて。
「……おそらく公爵家だ」
──次の瞬間、アイフォードが告げた言葉に、私は呆然と顔をあげた。
その時、私が声を上げなかったのは奇跡と言っていいだろう。
まるで想定もしないことに、私は声さえ上げれず呆然とたたずむ。
「なにを、言ってる?」
クリスもまた私と同じような状態にあった。
そのことを私が理解したのは、かすれきったその声を聞いた瞬間だった。
先ほどまでの勢いが信じられないほどに、クリスの声からは力が失われていた。
「し、信じられるか! 本当はこの屋敷にいる……」
ぱさっ、とクリスの言葉を遮るように何かが投げつけられたのはその時だった。
「信じられないのならそれを見て見ろ」
「……これは」
「マーシェルが失踪してから、公爵家に雇われた一人の女性使用人の資料だ。まあ、俺もこの目でみた訳じゃないから断言はしない」
そうアイフォードが一度言葉を切ると、一心不乱にクリスが書類をめくる音が聞こえる。
その書類を確認するのを待つように時間をあけた後、アイフォードは口を開いた。
「だが見れば分かるだろう? この人間がマーシェルである可能性はかなり高いと」
「……っ!」
その言葉に、クリスが声にならない言葉を漏らす。
それこそが反論の言葉のなさを何より雄弁に語っていて。
同時に私があることに気づいたのは、その時だった。
──即ち、アイフォードが私を庇ってくれていることを。




