第四十三話 楽しい新生活 (ウルガ視点)
それから、マーシェルが戻ってきたのは十数分後だった。
侯爵家夫人だった頃からは考えられない、質素な使用人の服に身を包んだ姿で。
その姿に、私は笑いを堪えるのに必死だった。
本当に落ちぶれたものだと、そう思って。
「本当にどうしてこんな女を怖がっていたのかしら」
そんな言葉が口から漏れたのは、そのときだった。
いないにも関わらず、異様に高まっていくマーシェルの存在感。
それが私には、疎ましくてたまらなかった。
けれど、今ならわかる。
そんなこと気にする必要はなかったのだと。
現在のマーシェルは、こうして惨めに恨んでいる相手にすがりついて生きていくことしかできないのだから。
その事実に、私は愉悦を感じる。
情けないマーシェルをこうしてこき使えることが、私には楽しくてしかたがなかった。
けれど、これだけで今まで散々こけにされてきたことを許すつもりは私にはなかった。
私は満面の笑みで、先ほど老婆の使用人が用意していた紅茶をマーシェルへとぶちまける。
「あら、手が滑ってしまったわ」
「……っ!」
その言葉に、ようやくマーシェルが愕然と表情を変える。
そんな彼女をあざ笑いながら、私は口を開く。
「ねえ、どうして私が貴女の着替えをおとなしく許してあげたと思う?」
カップに残った最後の一滴までもその頭にかけてあげながら、私は告げる。
「そっちの方が、汚し甲斐があるからに決まっているでしょう?」
「……そんな、ために」
そう呟いたマーシェルの顔には、隠しきれない衝撃が浮かんでいた。
ここまでされるとは思わなかった、そう言いたげな表情が。
「ウルガ様、程々にしておいてくださいね」
今まで黙っていたネルヴァが口を開いたのは、そのときだった。
「言ったでしょう。ここでは絶対にアイフォードの怒りを買うわけにはいかないのですから」
その説教じみた言葉に、私は思わず顔をしかめる。
ここにくる前から、ネルヴァはやたら小言が多くなっていた。
それには私に少しうんざりしていて……。
「だから、こいつだけにしておいてくださいね?」
──しかし、次の瞬間そう言ってネルヴァが投げたものを見て、私は再度笑みを深くすることになった。
「……これは」
「雑巾だよ。拭けるものを投げてやったんだ、文句はないな?」
にやにやとしたネルヴァの表情、それに私は思い出す。
ネルヴァもまた、マーシェルに散々押さえつけられていたことを。
「ああ、本当に楽しい生活になりそうだわ」
そう、うつむいたマーシェルに話しかける私の口元には、堪えきれない笑みが浮かんでいた。
さあ、これから一体どうやって過ごそうか。
そう考える私は、嗜虐的な表情を隠す気もなかった。
……けれど、その時の私は気づいていなかった。
そうして感情を露わにする私と対照的に、マーシェルの方は淡々と機会を狙っていたことを。
うつむいたマーシェルの頭の下──そこにある決意に彩られた表情を、私は知る由もなかった。




