令嬢は、今日も勘違いしている
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目も眩むような、きらびやかな景色が広がる。
ここは王立学院の大ホール。
毎年末に行われる生徒会主催のパーティーの真っ最中。
いつもの制服ではなく、華やかな礼服に身を包んだ、初々しい紳士淑女達が、溢れんばかりの熱気をはなっている。
「…よかった。あんなに楽しそうに…」
「大成功かな。よかったな、フィリス嬢」
「ええ、アガサの努力の賜物ですわ」
会場の一角、一組の男女が休憩用のソファで談笑している。
彼女の燃えるような赤毛は上品に纏められ、本日のドレスコードである白いドレスによく映えている。
隣にいる男性は光沢のある上質な礼服に身を包んでいて、彼の金髪と相まってさながら王子様のようだ。
2人の視線は賑わいの中心にいる令嬢、アガサ・シートンに向けられていた。
フィリス、と呼ばれた令嬢は扇で口元を隠すと、その琥珀の瞳を彼女の本日のパートナーであるシリル・アンダーウッドへ移し、微笑みかけた。
「よろしいんですの?」
「何が?」
目線はそのまま、シリルはフィリスからの問いかけを軽く受け流す。
フィリスは小さく深呼吸すると、いっそう声を潜めて囁いた。
「……シリル様の想いを伝えるなら、今しかありませんわよ?」
2人の間には少しの静寂。
お互いに何も発せずに、扇越しに顔を見合わせている。
ややしばらく後に沈黙を破ったシリルは、笑顔を浮かべていた。
「…なるほど、それもそうか。では少し失礼する」
「ご武運を」
颯爽と中央へ向かうシリルの背中を見送りつつ、口元の扇をすす、と引き上げる。
彼はこれからアガサに愛の告白をするだろう。
しかし、フィリスはこの恋がハッピーエンドにならないことを知っている。
アガサには、心に決めた想い人がいるからだ。
シリルもわかっているはずなのに、優しい笑顔で決戦に挑んでいった。
フィリスは恋に破れた彼を励ます方法をずっと考えているが、何も思い付かない。
どうしたら支える事ができるだろう――――――
フィリスは扇の下で、眉根を寄せている。
◇
初夏の頃、学院の庭園で何度となく繰り返された光景――――
「君を守れるのは僕しかいない…愛しているよアガサ…」
「初めて話す女性を呼び捨てにするような方は、アガサ嬢は好みません。お引き取りを」
アガサに愛を囁く子爵令息を、眼前でバッサリと切り捨てたのはフィリスだ。
当の本人、アガサはというと、フィリスの後ろに小動物のようにひっそりと隠れている。その顔は真っ青で、額には冷や汗が滲んでいる。
2人はポカンとする子爵令息を後に残して、庭園のガゼボに駆け込んだ。
「ごめんなさいフィリス、またあんなことを言わせてしまった…」
「あら、変な男に大切なアガサを任せられるもんですか!……気にしないで、私がしたくてやったことなんだから」
げんなりと項垂れるアガサの肩を、フィリスが優しく叩く。
フィリス・ゴアとアガサ・シートンは共に18歳。
2人とも伯爵家に産まれ、王都のタウンハウスは隣同士、幼年学校の席も隣同士の幼なじみは、いつも仲良く過ごしている。
アガサの周囲が騒がしくなってきたのは3年ほど前、学院に入学した頃だ。
引っ込み思案な性質と、絹のような艶のある金髪にアイスブルーの瞳、華奢で繊細そうなアガサの姿に庇護欲を刺激された男子生徒が、先程のように度々言い寄って来るようになった。
見知らぬ男性から寄せられる一方的な恋慕の中には、身勝手なものもあり、断ると激昂する者も少なくない。
おかげでアガサは見知らぬ男性から声をかけられると、ロックをかけられたように硬直し、言い返すことが出来なくなってしまったのだ。
そういった感情をぶつけてくる彼らから、アガサを庇ってきたのがフィリスだった。
「私、変わらなきゃ」
力のこもった声で、アガサが吐き出した。
フィリスが守ってくれることに感謝する一方で、このままではいけないという気持ちが彼女の中で日に日に大きくなっていた。
「いつまでも『子ネズミ令嬢』では、結婚どころか、社交界を渡っていけないもの!」
『子ネズミ令嬢』とは、アガサを揶揄する言葉で、いつもフィリスの後ろに隠れている事への当て付けとしてぶつけられた言葉だ。
拳を握りしめ、熱意溢れる表情で語るアガサに、フィリスは目を丸くした。
「すごい、やる気ね!急にどうしたの?」
「……初めてお話ししたいと思えた人がいるの」
アガサはふと、遠くに視線を移す。
その先には、庭にうずくまり、石を手にとってはルーペで観察し、メモをとって…と、何やら調査のようなことをしている男子学生がいた。彼の傍らには、分厚い本が無造作に置かれている。
「コリン・レッドフォード様?同級生の?」
「彼の描いた鉱物の絵が、とっっっても素敵なの!彼のノートの中身が見えたことがあって…」
「なるほどね、彼も鉱物好きなのかしら?」
「そうみたい!読んでいるのも鉱物とかの専門書が多くて、一度お話ししてみたくなったの」
アガサは昔から鉱物が好きだったが、これまで同じような趣味を持つ者がおらず、寂しく思っていた。
たまたま見えてしまったノートに、石英の緻密なイラストがあったことから、彼に興味を持つようになった。
楽しげな様子で話をする彼女の瞳はキラキラと眩しくて、頬は薔薇色に染まっている。
アガサは彼に恋をしたのだろう。
気弱な彼女が、こんなに積極的になるなんて…。
フィリスは友人の変化に驚きつつも、とても嬉しく感じていた。
「すごいわアガサ!上手くいくといいわね!」
「私、今なら変われると思うの。ネズミどころか、虎にだってなれそうな気がするわ!」
「楽しそうに、なんの話かな?お嬢様方」
「私、虎になるのです!シリル様」
「……本当に、なんの話かな?」
大盛り上がりの2人の背後に、1人の金髪の青年が現れた。
彼はフィリスの横に腰掛けると、その優しげな濃紺の瞳を2人へと向けた。
彼の名前はシリル・アンダーウッド侯爵令息。
2人の同級生で、フィリスの隣の席の彼とはなにかと話をする機会が多くなり、自然と仲良くなっていた。
アガサに起きている問題についても話してあり、度々力を貸してくれる。いつでも紳士的で冷静な、頼れる友人だ。
「アガサの愛の力は偉大だという話ですわ!」
「その話には何の異論もないが、全く以て繋がりが見えない」
突然『虎になる』と言われたシリルは、状況が解らずに困惑していた。
そんな彼を見ていたフィリスは、妙案を思い付く。
「そうだわ!シリル様にも協力していただきますわ!」
◇
「これが、協力?」
シリルに全てを話した2人は、フィリスの先導で学院のサロンのティールームにやって来た。
テーブルの上には温かい紅茶と、軽くつまめるクッキーやカラフルな砂糖菓子が並んでいる。
シリルとアガサ、そしてフィリスの3人がそれを囲み、一見お茶会を開いているようだ。
ニヤリ、とほくそ笑むフィリスは、自信たっぷりだ。
「えぇ!まずは男性との会話に慣れてもらいます」
「いいアイデアだわフィリス!私やるわよ!」
「私にとっては役得だが…君達は既に私に慣れているのでは?」
「ハッ…」
彼の言葉に、フィリスとアガサが同時に気付きの声をあげ、固まった。
シリルはその間、砂糖菓子をヒョイと口へ放りいれ、残っていた紅茶を一息に飲み干した。
「いや、着眼点はいいと思う。私に案があるのだけど、どうだろうか」
◇
「『お茶会』は順調のようだな」
「えぇ、シリル様のお陰です。アガサも少しずつですが、初対面の男性とも会話出来ているようですわ」
数日後、昼下がりの学院の庭園でお茶会が開催されていた。
対外的には『お茶会』という体裁をとっているが、その実態は『アガサが男性と話せるように』というフィリス達の思惑が隠されている。
シリルにより厳選された男性達と、クラスメイトの女性数名という少人数で行われたこの『お茶会』は、非常に和やかな雰囲気で、アガサも穏やかに過ごせているのが見てとれる。
少し離れたテーブルからその様子を眺めていたフィリスも、何とかなりそうだと安堵の息をついた。
「…怪しいやつは通さないようにしているが、何かあれば遠慮なく言ってくれ」
「そこはもう、シリル様を信じてお任せしておりますから、安心です。ありがとうございます!」
フィリスはニッコリと満面の笑みで、向かいに座るシリルへ笑いかける。
珍しくポカンと口を半開きにするシリルに気付かずに、フィリスは話を続けた。
「ところで、シリル様はよろしいんですの?」
「…私が何か?」
「その…『お茶会』に参加されないのかと…」
「今、こうして君とお茶を飲んでいるじゃないか」
「いえ、そうではなく…」
フィリスはこのところ、シリルについて1つの仮説を立てていた。
おそらく彼は、アガサの事が好きなのだろう。
一緒にいるのが多いことも、侯爵令息である彼にこれまで浮いた話がないのもそれで頷ける。
今回の事だって、アガサの望みを叶えようと、自分の気持ちを押し殺して協力してくれているのだ。なんという男気。
(今、アガサのところに行かないのも、自分ばかりが仲良くなるのはフェアじゃない、とか?なんという紳士!)
自ら導き出した憶測に感激したフィリスだが、彼の想いを全面的に支持することは出来ない。
フィリスが支えたいと思っているのは、アガサの気持ちなのだから。
でも…その気持ちを応援するだけなら…
「…では、おおっぴらにはできませんが、シリル様をこっそりと応援させて頂きますわ」
「応援?……君が?」
突然の応援宣言にきょとんとしたシリルだったが、満足げなフィリスを見て、嬉しそうに微笑んだ。
「それは何とも…頼もしいな。万人の味方を得たような気持ちだよ」
喜びあふれる、幸せそうな笑顔を向けられたフィリスは、ギュッと心臓を鷲掴みにされたように固まってしまう。
(美形の笑顔は本当に、心臓に悪いわ)
◇
「私、彼とお話ししてみたい」
何度目かの『お茶会』の後、アガサが決意を見せた。
男性相手でも落ち着いて会話が出来るまでになった彼女は、自信に満ちていた。
件のコリンに手紙を書いて、彼が調査をしていた庭園の一角に呼び出したのだ。
フィリスは心配した。
いくら慣れてきたとはいえ、真正面から向かって行って大丈夫なのか。もっと時間が必要なのではないか。
こっそりと、植え込みの陰から様子を窺っていた。
「大丈夫かしら…」
「ひとまず見守ろうじゃないか、落ち着いて」
当たり前のように、フィリスの隣にはシリルがいる。
植え込みの狭い隙間に入り込んでいるので、とても密着している。
これが落ち着いてなどいられるか。
フィリスはなるべく考えないようにしているが、耳元で囁くように聞こえるいい声に、集中が途切れる。
「あの、シリル様?少し離れ…」
「シッ、来たぞ」
突然の人の気配に、2人は慌ててそちらに意識を向けた。
現れたのは、コリン・レッドフォードその人だった。
濃紺の瞳にメガネを掛け、亜麻色の髪は短めに刈っている。
美男子ではないが、優しげで清潔感のある好青年だ。
コリンは手紙の主がアガサだと知って、驚いて目を見開いている。
「君が、あの手紙を?」
「ええ…あの、…。私、前からあなたとお話ししてみたくて」
「まさか!君みたいな娘が僕と?……冗談でしょう?」
様子がおかしい。
動揺したコリンは顔を背けたまま、彼女の方を見ようともしない。
まるで、硬直したアガサのように――――
「いえ!あの、私…」
「ごめん、用があるので失礼するよ」
アガサの制止の声を遮るように、コリンは踵を返して来た道を戻って行く。
後に残されたアガサは、呆然とそれを見送る事しか出来ないでいた。
◇
「大丈夫?アガサ」
「彼は狼狽えていたようだが…」
「私、礼を欠いてしまった……私にいろいろ言って来る方達と同じことを…」
コリンが去った後、その場で反省会が開かれている。
アガサは項垂れて、配慮が足りなかったと後悔の嵐だ。
よく知らない人間から言い寄られる不安は、自分がよく知っていたはずなのに、と。
「そんなに自分を責めるな、アガサ嬢」
「そうね…。じゃあ、アガサを知ってもらうところから始めましょ」
しおしおとしょげて俯いていたアガサは、ケロッとしたフィリスの声に頭を上げた。
その驚いたような顔に、フィリスは事も無げな様子だ。
「ん?おかしいことは何もないわ。本気で彼と話したいのなら、いつまでも悔やんでいないで、次の手に移りましょう」
「次の手…」
「それとも、もうやめる?虎には程遠いわよ」
「……そうね、諦めないわ、私」
仲良く闘志を燃やす2人を、シリルは優しい表情で眺めていた。
◇
「コリン様、おはようございます」
「え!?あ、アガサ嬢……」
「はい、昨日は失礼いたしました」
「い、いや、僕こそ失礼した。おはよう…」
同じクラスなのだから、まずは挨拶から始めようではないか、というもっともなフィリスの案により、『挨拶大作戦』が決行された。
始めは訝しげだったコリンも、日を追うにつれて普通に挨拶を交わすようになる。
更に時が過ぎると軽い世間話を、その次は友人を交えて談笑をするようになっていく。
アガサが呼び出しの一件を謝罪すると、彼も驚きと緊張のあまり、失礼な態度だった事を詫び、そのまま謝罪合戦となった。
アガサは博識で穏やかな彼に一層想いを寄せ、コリンも自分を理解してくれるアガサの存在が大切だと気付き始めていた。
秋も深まって来ると、2人で庭に出て、好きな庭石を探して回るようになっていた。度々肩を寄せて話をしては、お互いにキラキラした笑顔を見せている。
「アガサ嬢とコリン殿、なかなかうまくいっているようだ」
シリルは相変わらず側にいる。
親密そうな2人を見て微笑むシリルを横目に、フィリスは最近耳にした噂について思案していた。
『シリル・アンダーウッド侯爵令息に想い人がいるらしい』
という噂が、最近頻繁にあちこちで囁かれている。
アガサの事を諦め、他の女性に目を向けたのかと思っていたが、その気配は全く感じられない。
以前と変わらず、こうしてフィリスの所にやって来て、コリンとアガサの仲睦まじい様子を眺めるのは、もはや日課だった。
彼の応援をする側としては、噂の真偽は確認しておきたいところだ。
「あの、シリル様、…噂のことですが…」
「あぁ、『想い人』のことか。前々からの事なのに、今になって噂が立っているようだ」
前々から…やはりアガサの事か。
彼の言葉を聞いて、フィリスの推測が確信に変わった。
(諦められないのだわ……。そこまでアガサの事を…)
ズキ、と胸の奥が軋む。
少し前から起きるようになったこれが何なのか、フィリスにはわからないが、感情を大きく揺さぶられるのは確かだ。
「その人は…いつも一生懸命な人だよ。面倒見がよくて友達想い、優しくて。そして……とても美しい、女神のような人だな」
「そう、ですか……やはり…」
「誰なのかは、まだ言わない」
少しおどけて、ウキウキと楽しげな表情のシリルに、自分の動揺を知られるわけにはいかない。
目線を逸らし俯くフィリスの元に、噂の人物がやって来た。
「おや、アガサ嬢、コリン殿は?」
「先生に呼ばれて、研究棟へ。2人ともなんのお話ですか?」
「……ええと、あの」
「私の『想い人』の噂話のことをね」
本人に言っちゃうの!?
フィリスは内心アワアワしていたが、シリルは涼しい顔でしれっといい放つ。
「あぁ…、溺愛がひどくて、シリル様が誰も近付けないように威嚇し続けているという、あの?」
「……うんまぁ…そうだが…」
「えぇ、その方をチラリと見ただけで、射殺すような視線で睨まれるので、『嫉妬に狂った悪魔』として評判ですわよ」
「私はそんな言われ方を…?」
「その方の前ではカッコつけて堂々としているわりに、ハッキリと想いを伝えられないヘタレだ、と言う方もいらっしゃいますわ」
「それはごく一部の意見だろう……?」
少しだけ含みを持たせたようなアガサとシリルのやりとりの横で、フィリスは1人、したり顔で頷いている。
彼女の脳内で、すべての点が線で繋がっていた。
シリルはアガサに他の男性が近づかないよう、護衛の意味でここにいるのだろう。
(コリン様はアガサが見初めた男性だし…きっと大目に見ているのね)
謎が一つ解けたようで、フィリスは満足げだ。
「年末のパーティーも、コリン様と約束する事が出来ましたの!これも支えてくれたお二人のお陰です。ありがとうございます」
改まった様子で、アガサが一礼する。
パーティーというのは、最終学年の生徒達が参加する、年末に開催される生徒会主催の慰労会のようなものだ。
貴族と言えども自由恋愛が認められるこの国では、こうしたパーティーでパートナーとなり、秘めた想いを伝えるケースも多く見られる。
アガサも、その場でコリンへ想いを伝えるため、パートナーにと彼に申し込んだのだ。
「よかった…きっと上手くいく。祈ってるわ」
「ありがとう!最後まで気を抜かずに、今度こそ子ネズミ脱却よ!」
明るく、イキイキとした表情のアガサに、自然とフィリスの顔にも笑みが漏れる。
2人のやり取りを聞いていたシリルが口を開いた。
「時にフィリス嬢、君のパートナーはどうするんだ?」
「パートナーは特に決めておりません…。1人で参加しようかと思っていましたわ」
誰からも誘われていないし、フィリスから誘う気もない。
パートナーが必須のパーティーではないので、何も考えていなかったのだ。
「ならば、私がパートナーに立候補してもいいかな?」
「シリル様が!?」
「君と一緒に、アガサ嬢を見届ける権利をもらえないだろうか?」
見届ける、ということは、アガサ達が結ばれるのをこの眼で確かめようということだろうか。
胸に手を当て、フィリスの顔を窺い見るシリルは、何かを誓うような、決意の眼差しを浮かべている。
「……シリル様がよろしければ、是非」
「…ありがとう!君が側に居てくれると、嬉しい」
シリルは目を細めて優しげに笑う。
彼の恋が破れようとしているのに、そんな顔で喜ぶなんて。
(シリル様の落ち込む顔は見たくないわ…)
彼の傷心が浅く済みますように、フィリスは祈らずには居られない。
◇
そして現在。
シリルを見送った後、フィリスは1人、バルコニーに出た。
冬の夜空は炭で塗ったように黒く、小さな星が懸命にまたたいてそれを照らしている。
寒さで引き締まった空気は意外に心地よく、会場の熱気にあてられたフィリスの頬をスルリと撫でていく。
なんだか会場に居たくなくて、さ迷うようにここに来たフィリスは、凛としたシリルの背中を思い出していた。
彼は2人の姿を見ただろうか、想いは伝えられたのだろうか。
今、どんな気持ちでいるだろう。
「探したぞ、フィリス嬢」
呼び掛けに振り向くと、そこにはシリルが立っていた。
走ってきたのか、髪が少し乱れて、息が荒い。
「シリル様……?」
彼が帰ってくる前に、居た場所へ戻ろうと考えていたフィリスは、彼のあまりに早い帰還に目を丸くした。
のんびりしすぎたわと、慌てる彼女の元にシリルがゆっくりと近付く。
「途中でアガサ嬢とコリン殿を見かけたが、うまくいったようだな」
「それはよかったですわ。ですが…、シリル様の想い人への告白は…?」
「これからだが?」
何となく会話が噛み合わない気がして、フィリスは首を傾げる。
シリルはポケットから焦茶の小さな箱を取り出し、蓋を開けた。
「これを取りにクロークに行ってた。君にこれを渡したい」
中身は耳飾りだ。
小振りだが品が良く、繊細な金細工が施された土台に彼の目の色を模した深い青色の石が輝いている。
愛する者を一人占めしたいという気持ちを込めて渡す贈り物としては最適な品だ。
シリルは真剣な面持ちで、フィリスへと小箱を差し出した。
「これは…、……頂けません…」
俯くフィリスに、シリルの顔がぐっと歪んだ。
自分の独占欲の塊のような耳飾りを撥ね付けられることは、これまで懸命に抑えてきた想いを拒絶されたのと同意―――――――
「だって、これではまるで、私がシリル様の想い人のようですわ!」
―――ではないらしい。
想いを拒絶されたのではなく、単に伝わっていないようだ。
先程とは違う方向性のショックに、シリルは膝から崩れ落ち、項垂れる。
「………言葉の刃でこれほどのダメージを受けるとは…」
「シリル様…」
フィリスが気付かぬ内に、シリルはなんらかの精神的ダメージを負ったようだ。
おそらく想い人に関することだろう。フィリスは彼を励まそうと口を開いた。
「大丈夫!シリル様は勉学も運動も、剣技だってとても優秀ではないですか!お優しくて気配りの出来る、とてもステキな方です。自信を持ってくださいませ!」
シリルは突如始まった称賛に顔を上げる。
そこには、顔を赤らめて一生懸命に彼を誉める、想い人の姿があった。
彼女のあまりの愛らしさにシリルの口がパカ、と開くと、そのままボンヤリと見とれている。
フィリスは恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じながらも、誉める言葉は止められない。
「それに、……お顔も凛々しくていらっしゃるから、その…、とてもステキです」
『ぐふっ』と何かに潰されたような声が聞こえた。
フィリスが声の方を見ると、すっかりいつも通りのシリルがすました顔でそこに立っている。
「君は、どう思う?」
「え?」
「君は、私の事は好き?」
「ええ、もちろん!大好きですわ!」
フィリスが破顔した。
唐突な問いの答えが、思いの外簡単に口に出てしまった事に驚いたが、嘘ではない。
シリルはその笑顔が直視出来ずに顔を背けるが、残像が膝に来たようで、フラリとその体を手すりにもたれさせた。
「うう……ならいいか。まだ時間はある……」
「さぁ、シリル様!その方の所へ…」
この期に及んで、誰の所へ行けと言うのか。
話の伝わらなさに肩の力が抜けたシリルが、残念そうにため息をつく。
「どうにも今日は日が悪いようだ。別に今日にこだわらなくてもいい…」
「はぁ……」
「しかし、煩わせていた憂いはなくなったから、明日から攻めに転じる事にしよう。そうだ、今度から『フィリス』と呼んでも?」
「は、はい」
独り言のように呟くシリルに圧倒されたフィリスは、言われるがまま返事をしてしまう。
よくわからないが、シリルが復調したようで一安心だ。
『シリルを励ます』という重大任務を終えて、満足げなフィリスの顔に、影が覆い被さる。
「明日から覚悟していてくれ、フィリス」
「ぴゃッ」
フィリスのほんの鼻先に、シリルの顔が寄る。
少しでも動けば触れてしまうような親密な距離に、フィリスが奇声をあげる。
その慌てぶりを見て、声をあげて楽しそうに笑う彼に、フィリスは目を奪われる。
(……もし、あれが本当なら――――――)
我ながらすごい言葉が出たものだ。
自分がシリルの想い人みたい、などと、例え話にしてもおこがましい。
しかし一瞬だけ、脳裏に浮かんだ妄想に、どうしようもなくときめいて、惹かれる自分が居た。
(――――――本当なら、とても幸せなことだわ)
◇
その翌日から、砂糖を煮詰めて蜂蜜をかけたようなシリルの溺愛が始まるなど、このときのフィリスは思ってもいなかった。
シリルの猛攻が実を結び、フィリスの婚約者の座を勝ち取るのは、もう少し先のお話――――――――
お付き合いありがとうございました!
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