愛しさとは
ホワイを城に置いてから一ヶ月が過ぎた。私室の隣の部屋は彼の部屋なので、夜に遊びに行くことが多い。
「また、勉強か。」
「陛下・・」
ホワイは勉強熱心だ。魔界の事や、仕事についても真面目に覚えようと努力している。
私はホワイのベッドに腰を掛け、机に向う彼を眺める。
最初、この部屋に来た時。泣き声が聞こえて慌てて入って来た事を思いだす。
夜になると、ホワイは急な環境の変化と、魔界の城での生活に怖くなって大泣きしていた。なので、私は彼をあやしてやるべく部屋に入ったのだった。
「最近は泣かないな。」
そうホワイに言うと、恥ずかしそうに顔を染める。
「陛下が来てくれますから、夜も怖く無いです。」
可愛い少年の言葉に、珍しく顔の筋肉が緩む。
「そうか。」
私は彼を護ると約束をした。怖い思いはさせない、何故そう思うのかは分からない。でも、強くそう思うのだ。
「アヌビスはどうだ。」
「アヌビス様は・・沢山教えてくれます。」
素直なホワイの顔には“怖い”と書かれている。
「フン、彼奴は怖いだろうが。真面目な奴だ、無理な事は言うまいよ。」
「はい、とても勉強になります。」
そう言ってホワイはニッコリと笑う。
「女の私の方がよく話すな。」
そう、夜の帳が降りれば。私の体は女になる、それも角無しの弱小な魔物になってしまう。
「そうでしょうか・・」
「昼間は怯えているように見えるが。」
「・・・。」
ホワイはペンを置いて、教科書を閉じた。そして、ベッドに近づき私の前に来た。
「怒りませんか?」
「私の心は狭くは無いつもりだが。」
ホワイは言い淀み。寝間着の裾をギュッと掴み真っ直ぐに言う。
「昼間は少し怖いです。体がチリチリとして・・。陛下がお優しいのは分かっています。でも、怖くて。」
私はホワイの頬を撫でてやる。
「素直な意見だ。昼間は魔力量が多い、人間は本能的に恐れるのだろう。」
「そうだったのですか。」
私はホワイの腕を引き寄せて胸の中に閉じ込める。細い体は少し肉が付いてきたが。まだまだ細い。白い肌はいつも、丁寧にメイドに洗われているらしく。とても滑らかだ。
「陛下は、僕を抱かないのですか?」
突然の言葉に驚いて抱き締める腕を解く。
「何故、そう思った。」
「アヌビス様が。慰め者にする為に側に置いていると、言っていました。それに、他の魔族の人も・・。」
私は少年趣味では無い。性的対象で彼を側に置いて居るわけでは無いのだが、回りはそうは見なかったらしい。
(私はブランが美しく、好きだから側に置いている。それに、何故だか触れていると落ち着く。)
だが、この気持を他の奴に理解させようとしても難しいだろう。
「好きに言わせておきなさい。私はそんな事をするために側に置いていない。」
「では、何の為ですか?」
子供の真っ直ぐな言葉に、私は言葉を必死に探す。しかし、上手い言葉は見つからない。
「私は白い色が好きだ。黒は魔族にとって、魔力を上げ、力の象徴の色だが。私は白が好きなのだ。昔、本で読んだ白い“雪”というものに憧れている。ホワイはそれに似ていると思った。」
自分の中の少年を拾った理由はそうだった。白い雪に見えた。憧れて、見てみたい雪が目の前に落ちてきた。そう思えたのだ。
「僕が白いから。此処に置いてくれるのですか。」
魔界に白は存在しない。だから、私はホワイに触れると特別な気持になる。
「・・そうだな。」
ホワイは少し考えた後。凄く嬉しそうに笑った。
「嬉しいです。僕は陛下が大好きです。」
“大好き”と言う言葉に、私は固まった。
(初めて言われた・・)
誰も私を望まない。望まれて産まれた訳では無かった。そんな、私には一度も言われた事の無い台詞だった。
「もう寝よう。」
私はホワイのベッドに潜り込み。彼も一緒の横になった。
「お休み、ブラン。」
「お休みなさい、陛下。」
小さなホワイを抱き抱え、私は眠りにつく。子供の温もりが心地良い、ホワイも一緒に眠れば安心して寝息をたてる。
(うむ、はたから見たら、慰め者にしようと見えるのか。困ったものだ。)
しかし、それでホワイに危害が無く。居場所ができれば、噓でも良いと思った。
人間と魔族の溝は深い。
百年の戦いの所為で、互いに大きな憎しみと、悲しみを産んでしまった。魔族は人間を蔑み、人間は魔族を恐れる。
(元は確か。人間が魔族を迫害した事から始まったのだったか。)
執務室で書類を読みながら、魔族と人間の友好関係が築き難いと上がってきた。
「アヌビス。人間との交易の街に視察に行くぞ。」
黒い長いマントを翻し、私は立ち上がった。
「今からですか?」
アヌビスは急な話に、今日の予定を組み直し始めた。
「夕方からの、東北地方の貴族の会食をキャンセルして・・」
アヌビスは組み替えながら、隣でホワイは教科書を開いていた。
「ホワイも来なさい。」
「僕ですか?」
「人間との交易がある場所だ。人間の意見も聞きたい。」
私はマントを脱ぎ、下に来ていた軍服姿になる。アヌビスは何とか組み替えに成功しようで、代わりに、明日はみっちりと予定を入れられた。
「陛下はもう少し、予定を立てて下さい。」
「分かっているが。ボーン街は急ぎの視察が必要だ。」
「分かっております。私も、考えていたところです。」
私はホワイを抱き上げると、ベランダに出て翼を開いた。
「飛ぶぞ。」
「はい。」
ホワイは首に抱きつき、私はそれを嬉しく思った。
(大分、懐かれたな。)
私は大空を飛ぶ。後ろをアヌビスが飛び、ホワイは空を見上げている。
「空は何処まで行ったら辿り付けますか?」
その質問に後ろからアヌビスが答えた。
「辿り着かん。混沌があるだけだ。」
「辿り着かないのか・・。」
残念そうな顔で空を眺めるホワイに、子供は無知だと思いながら。可愛らしいとも思った。
街についた。魔族と人が入り乱れ、活気が溢れている。
私とアヌビスは変身魔法で人間に化け。私はホワイと手を繋ぐ。
「はぐれるなよ。」
「はい!」
大きな街は沢山の物が売られ、人間も、魔族も多い。
(活気は相変わらずだな。)
しかし、よく見れば。子供の人間を働かせ、見ただけでろくな食事も取らせて無い事が明白だ。他にもその逆や、裏路地には魔族の人身売買所まである。
「アヌビス。領主に会いに行くぞ。」
「はい。」
ホワイは人身売買所の景色で気分が悪くなったようで、顔が青い。
「平気か?」
訊ねても頷くだけなので。私はホワイを抱き上げた。
「無理はするな。」
「・・ごめんなさい。」
「陛下、私が持ちます。」
アヌビスの言葉にホワイを預け、早足で領主の元に向かう。
此処の領主は、前王の頃より変わっていない。そして、私の派閥の魔族では無い。
大きな屋敷の前で私は変身を解き、ノックをした。すると、執事が現れ顔色を変える。
「へ、陛下!何故、此方に・・」
「視察だ。領主と話がしたい。」
執事は慌てて私とアヌビスを中に入れ、領主を出す。領主は左の角が折れた、中級の魔族だった。でっぷりと太った体に、宝石を身につけている。
「陛下。お見えになるときは、一報下さいまし。晩餐の用意もできません。」
「晩餐など結構だ。話がある、部屋に案内しろ。」
そう言うとすぐに応接間に案内された。私はソファに座り、アヌビスは後ろに立つ。
「陛下お訊ねしても?」
「何だ。」
「其方の人間は?」
「此奴は召使いの一人だ。気にするな。」
「は、はぁ。」
領主はアヌビスの隣に立つ、美しい少年を眺め。すぐに私に目を戻す。
「そして、お話とは。」
「貴様の領土権を剥奪、そして貴族の称号も返上して貰おう。」
その言葉に領主は、顔を真っ赤にして震えだした。
「な、何を言って!」
「人身売買は法律違反だ。人界も、魔界も。そして、やたらと安い物が売られている。その件に関しても、他国との裏取引だろう?証拠は今朝提出されている。」
私は足を組み、黒い手袋をはめた手でソファの肘掛けをなぞる。
「此処は大事な人間との交友を測る場所。昔のままでは困る。」
「私は百年戦争で、この土地を護ったのですぞ!」
領主はいきり立ち、怒鳴った。
「だから何だ?戦争は終った。新しい時代を築くべきだ。」
「若造が!貴様など人間との混血のくせに!私は純魔族だ!貴様などただの親殺しよ!」
領主の言葉に怒りも感じず、言われ慣れた言葉に飽きさえ覚る。
「・・下らん。戦争をして何が楽しい。私は父上のような馬鹿でも、戦闘狂でもない。純血、だったら私を殺してみせろ。」
私の瞳は紫に変わり、押さえていた魔力を出す。部屋の中は風も無いのに家具が揺れ、黒い炎の形をした魔力が部屋を火の海にする。
「あっつ!」
領主はただの魔力の幻影に悲鳴を上げ。アヌビスは守護結界で己とホワイを護る。
「熱い?ただの幻影だぞ。私は魔力を幻影にして見やすくしただけだ。」
そう言ってニヤリと笑うと、炎は燃え上がり。部屋の中が全て炎の中になった。
「ひゃゃゃゃ!」
領主は叫び悶え苦しむ。
「私を罵倒した事を後悔するといい。」
私はそう言って部屋から出る。しかし、炎はまだ燃え続け領主を包んでいる。
「陛下。あの程度で宜しいのですか。」
「構わん。彼奴は確かに戦争時、活躍した者だ。その功績に免じて首は貰うまい。」
私を馬鹿にする者は許さない。それは、肉親でもあっても変わらない。兄妹の首を取り、父親も殺した私は。初代魔王の再臨と恐れられ。“鮮血の魔王”と呼ばれている。
瞳が何時ものように黒に戻った頃。屋敷から近い公園で私は一息吐く。アヌビスとホワイは、私の為に飲み物を買いに行った。
「疲れたなぁ。」
魔力の問題では無い、精神的に疲れてしまった。
今は人間に変身しているので、街に溶け込み。子供が遊ぶ姿を眺める。
(ホワイと同じぐらいか・・)
魔族の子供だった。角が短いので、低級の子供だろう。
「陛下。」
聞き慣れた言葉に横を向くと、ホワイが心配そうに此方を見て。手には紙コップが握られている。
「滋養に良い、グランドジュースです。」
アヌビスが他に二つコップを手に持っている。
「ありがとう。」
私はホワイから受け取り飲むと、甘い香りと爽やかな風味がした。
「美味いな。」
「下町の味です。」
アヌビスは下町の生まれだ。故郷は此処、ボーンだ。
「ホワイ、アヌビスにボーンを見せて貰いなさい。アヌビス、お前も少し実家に戻れ。補佐官になってから、戻って無いだろう。」
私は貰った飲み物を飲干し、立ち上がった。
「畏まりました。」
普段なら共も付けずに、と怒るアヌビスが、簡単に承諾し。ホワイを連れていく。
(気が利く奴だ。)
私はこの地に潜伏をさせている、密偵に会いに行く。
色町。欲望を渦巻く娼館の一つに私は入った。
「あら、一見さん?」
「私は客では無い。娼館の婦人を呼んでくれ、“ノワール”が来たと伝えろ。」
私は近くの椅子に腰を下ろした。娼館の中には昼間だと言うのに、人間も魔族も出入りしている。
(好かない。)
こういう場所は嫌いだ。男と女、どっちつかずの自分は特に嫌悪を抱く。
「ブラット。」
名前を呼ばれ、顔を上げるとインキュバスがいた。
「久し振りだな。コールス。」
「部屋へ行きましょう。そんな怖い顔が店の前にいたら、客が来ないわ。」
「失礼な奴だ。」
そんな軽口をきくこの女は、諜報員コールスだ。今はボーンの情報を事細かに報告する、優秀な人だ。
娼館のある部屋に通される。高級な家具に、大きなベッドが部屋の真ん中にある。
私はソファに座り、ノワールは紅茶を出す。
「陛下。今日はどのような御用事で?」
「貴様の知らせ道理に、領主に権利の剥奪をした。そして、人身売買の根絶はやはり難しいようだな。」
「えぇ。あれは根深いわ。」
妖艶なコールスは男を惑わせる、インキュバスだ。そして、欲望を司る者は情報も多く持つ。
「他に情報はあるか。」
「他の街で、反人間運動が活発になっているらしいわ。」
「何時もの事だ。兵に任せるとしよう。」
紅茶を一口飲み、そしてミルクを入れる。白いミルクが茶色に溶けて、キャラメル色に変わる。
「人間の子供を拾ったそうね。」
「あぁ。」
「御執心だとか。」
「・・・。」
「慰め者にするなら、私が手管を教えましょうか?」
「結構だ。」
「あら、本気のようね。」
「本気?」
よく分からない言葉に彼女を睨む。彼女は可笑しそうに笑みを浮かべた。
「無自覚なのね。」
「何が言いたい。」
「陛下は人を愛した事が無いわ。そして、愛された事も無い。」
コールスは、昔は父の第十婦人だった。だから、あの頃の事を良く知っている。私の幼い頃の事も。
「必要無い。」
「そう?愛は大事よ。」
「貴様等はそれを餌にしているからな。」
「そう、生きるのに大事。愛はね。そして、陛下は少年を愛しているわ。」
「・・馬鹿らしい。」
最近、胸の中が妙に温かい。冷たく堅くなったものが、解ける。
(ブラン・・)
少年を思い出すと、胸が温かい。笑みを浮かべる姿は美しいと思う。
「それを愛と呼ぶのよ。陛下。」
「・・・話は終わりだ。」
私は立ち上がると、コールスも立ち上がり扉を開ける。
「今度は遊びにいらして。」
「断る。」
私はそう言って娼館から出て行った。
街の中は賑やかで、私はフラフラとする。表通りは普通の商いをやっている。多くの者と物が行交う。
(愛しているか・・)
夜の姿は人には見せないようにしているが。ホワイが泣くとそんな事も忘れ、駆けつけていた。ホワイが落ち着くなら、同衾もする。少年が笑みを浮かべるのなら、私は何でもできそうな気がする。
(不思議だ・・)
こんな感情は初めてだ。そして、胸が酷く熱くなる。焼けるように、絞るような痛みにも似た感覚がする。
『ブラン・・永遠に君と共にいたい』
それは、耳では無い頭に響いた。
「何だ・・今の。」
知らない声が響いた。しかし、その声は良く知っている気がする。だが、何も思い出せ無い。
「魂の記憶・・・」
昔、読んだ書物にあった。魂には記憶が必ずあると、しかし生きる上で埋もれていく。魂には過去がある、そして望みがある。人は知らずにその望みを叶えていくと、書かれていた。
「・・・」
私は街中で立ち止まり、年中曇った空を見上げた。
「お伽噺と思っていたが・・」
私は信じていなかった。お伽噺の盲信だと思っていた。
急に腰に何かが抱きついた。私は驚いて見下ろすと、ホワイが抱きついていた。
「陛下、見て下さい!」
嬉しそうに笑い、手には木の人形が握られている。
(あぁ、この笑みは“愛おしい”というものかも知れん。)
私は彼を抱き上げ、手に持った人形を見る。自分で作ったのだろうか、歪だ。巻き角や黒い短髪、顔が誰かに似ている。
「ホワイ!抱きつくな!」
アヌビスが後ろから走ってくる。
「アヌビス、実家はどうだった。」
「はい、相変わらず息災でした。」
「なら、良い。」
ホワイはアヌビスの言葉に降りようとするが、私は降ろさない。
「それで、何用だ?」
「え、はい!魔除けの人形を作りました!」
「魔除けの人形だったのか。」
私は人形を見て優しい瞳で見る。
「陛下にあげようと思いまして。」
「私に?」
「陛下は強いのでいらないと言ったのですが。聞かずに作ってしまい。」
アヌビスが駄作を作るとは、と呟く。
「下手だからいりませんか?」
ホワイは人形を握り締め、萎れた花のように悲しげだ。
(この顔には勝てない・・)
普段なら。泣こうが、叫ぼうが、何とも思わないが。どうも、ホワイの悲しむ顔には弱い。
「作ったのなら貰おう。・・しかし、今度はもう少し上手く作りなさい。」
「はい!」
一瞬で花が開く笑みに変わる。
(全く、困ったものだ)
氷が溶けていく。苦しいような、心地良いような。不思議な感覚がする。
(全てが解けたら。何かが変わるのかも知れないな。)
鮮血の魔王は、初めて愛おしさを感じた。




