鹿騎士は愛を贈る
2月14日。今日は世界的に「愛の日」と定義付けられており、大切な人へ積極的に愛を伝える日とされている。
────はっ、はぁっ……!
と、アリアナが息せき切って扉を開いたのは、アスガルズの王都で有名なお菓子屋さんだ。何とか閉店時間前に入ることが出来て、アリアナはホッとする。本当は事前に購入しておければ良かったのだけど………結局当日の仕事帰りになってしまった。それ以外、都合のつく日が無かったのである。
「……失礼。慌ただしくしてしまって……」
そうアリアナが謝罪すると、ショーケースの奥にいた女性店員が、にこっと笑った。
「いえいえ、ご来店いただきありがとうございます。本日は、どういったものをお買い求めでしょうか??」
「ええと……恋人への贈り物なんですが…」
「まあ!お誕生日ですか?」
「いえ、今日は愛の日なので、それで……」
「え?───ああ!なるほど…。
…ではチョコレートはいかがですか?向こうではそれがポピュラーだと聞いています」
「そうなんですか、ではチョコレートを……コーヒーかお酒に合いそうなものがあれば」
「かしこまりました」
そう言って、女性は裏に下がる。おそらく冷蔵室に行っていたのだろう。手に幾つか商品を持って帰ってきた。
「こちらはミルクチョコレートとブラックチョコレートの詰め合わせです。大体どの種類のコーヒーとも相性良くお楽しみ頂けます。もう一方は、ブランデー入りのチョコレートです」
「ブランデー入り?」
「中にお酒の蕩けるようなムースが入っていて、その香りと口溶けは抜群ですよ」
「へえ……!」
「愛の日用ということですと、詰め合わせの方にはハート型チョコも入っていますから、お誂え向きかと………」
「!ああ、じゃあそちらの方を」
「かしこまりました」
終始にこにことしていた感じの良い店員は、会計が終わるやいなや、見事に箱を包装していく。
最後に「サービスです」と言って、赤いリボンでラッピングしてくれた。それだけで、一気に特別感が増して見えるので不思議だ。
「わあ…っ、ありがとう……!」
驚きつつ礼を言うと、店員がにっこり笑う。
「いえ。良い1日を」
アリアナは「また絶対買いに来ます」と言って、店の外へと出た。
◇◇◇
「───!あれは……」
声を上げて、アリアナが立ち止まる。
チョコレートを調達し、家の前まで来た時だった。……道の向かい側から近付いてくるのは、馴染みのある馬車だ。
御者がこちらに気付き、被っていた帽子を軽く持ち上げて挨拶してくれる。「ぶるるっ」と、馬の方も小さな嘶きで応えてくれた。
「今晩は、アリアナさん」
「こんばんは、フィリップさん」
停車した馬車に、アリアナが駆け寄る。
「──中にはヴォルフが??」
「ええ。お戻りですよ」
それを聞き、アリアナは洋菓子店の可愛らしい手提げを、サッと後ろに隠した。
(馬車から降りてきたら、渡してビックリさせてやろう)
そう思い、わくわくしながら車窓の側に立つ。家に入るまでは待てなかった。
今日は一刻も早く、恋人に「好きだ」と伝えたい───。そんな気分だったのだ。
すると、ヴォルフが窓から顔を覗かせる。
「よお、リア。どうしたんだ?今日は帰りが少し遅かったみたいだな」
「ああ。ちょっと用事があってね!」
「へえ?そうか。まあ、会えてちょうど良かった。お前に渡したい物があったんだよ」
「えっ??私もなんだが───、」
言われ、アリアナは少し焦ってしまった。
なんといっても今日は愛の日なのだ。ヴォルフには悪いが、彼の用件よりも先に、自分のお菓子を渡させて欲しい……。出端をくじかれるのは避けたかった。
「ちょっと待ってろ」と言って、ヴォルフが馬車奥に引っ込む………そしてすぐに、扉は開けられた。気が逸ったアリアナは、降りてきたヴォルフにほぼほぼフライングする形で、手提げを差し出す。
「「はい」」
2人同時に突き出した手。
「「……え??」」
そして一緒に目を丸くさせた。
「……なんで、君が花束を??」
「……お前こそ。その店知ってるぞ。中身、お菓子だろ」
「「???」」
2人揃って首を傾げていると、フィリップの控えめな笑い声がして、次に馬車がゆっくりと駆け出す音がした。
「「………」」
遠ざかっていく馬車を2人で見つめた後。
アリアナとヴォルフは顔を見合わせた。
「ぷっ……」と先に吹き出したのはアリアナである。
「……どうやら、愛の日の過ごし方について、行き違いがあったみたいだね??
ミズガルダでは、『女性が男性にお菓子を贈る』とアハルティカから聞いていたんだけど??」
そう訊ねると、ヴォルフが肩を竦ませた。
「俺も。レイバンから聞いた情報じゃ、アスガルズだと『男が女に花束を贈る』って話だったんだがな??」
「ふふ」とアリアナは笑った。相手が母国ではなく、こちらの国の習慣に合わせて愛を伝えようとしてくれたことが、ひどく幸せだったのだ。ヴォルフを見ると、彼も口許を緩ませていた。アリアナは目を細める。
「───ありがとう、ヴォルフ。だいすきだよ」
「ああ。こちらこそありがとう。愛してるぞ、リア」
お互いのプレゼントを交換し、肩を並べたアリアナとヴォルフは、相手の背に手を添えた。
ゆったりと身を寄せあって、幸せな2人の家へと歩みを進める。
「んん~…、いい香りだ!…すごく綺麗な薔薇だね。花瓶はどこにしまったんだっけかな??」
「確か、階段下の倉庫に余ってるのがあっただろ」
「!取ってくる!」
「ああ。俺はコーヒーを淹れとくよ。一緒に食べようぜ、お菓子」
そう言ったヴォルフに背を見守られながら、アリアナは勢いよく玄関へと駆けた。
薔薇の本数は決められなかったので、皆さんのご想像におまかせします。ハッピーバレンタインデー!