洋裁師は語る1
『エミリー・ハンプトン』。
マーナガラム商会御用達の、とある服飾店を営む19歳。……今日は、彼女にとって勝負の日になるはずだった。
「………………。」
「……………………あの……。…アリアナ様…………?」
エミリーは、沈黙に堪えきれず口を開いた。
一通り持ち寄ったドレスを試着してもらい、見本の布も広げて見せて。
あとは本人のご希望を伺って、デザイン案を作る……それで、仕事はお仕舞い。の、はずだったのに。
それらの品を黙って見つめる女性───アリアナ・フロージ・マクホーン伯爵令嬢様は、その場に立ち尽くすのみで………。何も、リアクションをとってはくれなかったのである。
(………なんなの、この人。私は早く、貴女のドレスを仕上げなきゃなのに………!!)
じりじりと焦りが胸を焼き、エミリーは唇を噛んだ。スカートの下で震える足を、出来る限りしゃんとさせてアリアナに声を掛ける。目は見れなかった。
「…ちなみに、今季の流行色は薄紅色です」
「!………あ、ああ。そう……」
と、帰ってきたのは何とも気のないお返事である。
───こっちはお貴族様と同じ空気を吸うだけでも、緊張で肺が震えると言うのに!
「お………お好きな色ッ……!…とかは……」
進まない会話にちょっと苛立って、床に向けていた目線を上げる。と、さるご令嬢の麗しい横顔が、視界に入った。
「……!」
視線を感じ取ったらしい彼女が、こちらに緑の瞳を向けようとする。その前に、エミリーは慌てて目を伏せた。
「好きな色……は、ええと…。何色でも、好きなんだけど……」
「………………」
言い淀む彼女の答えを、黙って待つ………。が、その甲斐はなかったらしい。
「いや───……うん。やっぱり君に、全部任せるよ」
「えっ………!?!?」
エミリーは、思わず声を上げた。
──ここまでやって、「全部任せる」って??
「………………」
(つまり、私に丸投げってこと?!?!)
下を向いたまま、エミリーは顔を赤くさせた。
そんなのは困ってしまう。…だって、商会長からは「アリアナが気に入る最高のドレスを」というご要望で仕事を承っているのだから。
「~~~~~っ……!」
「そんなわけには行きません!何でも良いから何か下さい!!」。とはとても言い出せず。
エミリーは、「ほんとに良いの~?やったー!!」と喜ぶアハルティカとは対照的に、すごすごとマクホーン邸を後にしたのだった。
◇◇◇
「はあ~~~………」
──荷物を全て棚に戻し終えた後。店主の深い深いため息が響いた、小さな服飾店。
────<doll(仮)>。
それが、エミリーの店の名前。
自分の店を持ってしばらく経つのに、未だ仮名なのにはわけがある。それを語るには、彼女の生い立ちから説明する必要があるだろう。
エミリーが生まれたハンプトン家は、農家だった。
いや、ハンプトン家だけが農家だったわけではない。そこら一帯、全ての家が、代々受け継ぐ広大な土地で小麦を育てていたのだ。
ゆえに、所謂「お隣さん」に行くのでさえ、子供の足では何時間も掛かってしまう。そんな状況の中では、どんな子だって自然に1人遊びを覚えることになる。お絵描きとか、読書とか、虫取りとか……とにかく色々だ。
そして、エミリーの場合。……それは『お人形遊び』だったのである。
いつだって一緒のお人形は、ボロになるのも早かった。父が、誕生日に町で買ってきてくれた、布製のお人形。それは、直ぐに色褪せて………いや、新しく色んな汚れが着いて。
母が、お人形を洗いに出す際に、「もう捨てようか?」などと至極真面目に言うので、エミリーは毎度毎度、大泣きしてごねまくった。どんなに古ぼけても、そのお人形は───『彼女』は、自分の親友に違いなかったからである。
そしてある日、エミリーは真剣に考えた。
母が、自分の目を盗んで『彼女』を捨ててしまいやしないか……と、神経質になるのは、いい加減疲れてしまったのである。何か、それを阻止できる良い方法は無いものだろうか──?と、エミリーはその小さな頭を悩ませた。
──せめて、この穴の空いたお洋服を、なんとか直せないだろうか?……いや、いっそのこと、新しいピカピカのお洋服でも着せれば………。
思い立ち、エミリーは針と糸を手に取った。
父がコーヒーを溢し、盛大な染みを作ったテーブルクロス。「もう捨てなきゃね」と、「断捨離が趣味なのか?」とでもいうような母の言葉を思い出して、キッチンへと向かう。
そして、汚れていない下の方のクロスを慎重に見繕い、鋏でジョキジョキと裁ち切ったのだった。
新しいお洋服は、素人のエミリーにも簡単にこさえることが出来た。赤いチェック柄のワンピースだ。
もちろん、ワンピースと言ってもその作りは甘いもので、ただ布を筒状にし、腕と頭が通るよう穴を空けて縫っただけ。
──それでも、元の色が分からなくなっていたお洋服より、幾分かマシだ。
……と。そう思えたのは、なんと数日間だけであった。
(………なんか………ちょっと違う?)
違和感を覚えて、手にした『彼女』を眺める。母の料理する後ろ姿を尻目に、エミリーは不格好な形になったテーブルクロスの下で足をブランブランさせた。
(──おかしい。絶対、前よりは良くなってるはずなのに……)
「………新しいお洋服、気に入った??」
エミリーは『彼女』に話し掛けた。
───すると。
「………!」
不思議なことに、糸で笑顔を象られているはずの『彼女』の顔が、曇って見えて。
─「うーん、良いんだけどねぇ……」。
「……けど??」
─「ちょーっと『可愛さ』が足りてないって言うか??」。
「『可愛さ』……?」
─「そう。だってほら。私にはもっと、フリフリでひらひらのスカートの方が、似合うと思わない??エミリー?」。
「…………!!!!」
エミリーは、ガタン!と音を立てて椅子を倒した。
「エミリー??急にどうしたの??」
いつも通り、大人しくお人形と遊んでいたはずの娘が、突然立ち上がって大きな物音をさせたので、母は驚いたのだろう。怪訝そうに訊ねてくる。
「………お母さん!」
「な、何??」
バッ!と振り返ったその勢いに、母がおののく。
「私、新しい布が欲しい!!端切れで良いから!」
「………新しいお人形じゃなく??」
「!?!?当たり前でしょ!?──あと、お洋服の作り方を教えて!!」
「いや、小麦の育て方しか知らないわよ…」
と、母は呆れ返って言ったが、次の買い出しの時には図書館で洋裁の入門書を借りてきてくれた。
それからというもの。
エミリーは、前にも増して家に──いや、自分の部屋に──引きこもるようになっていった。
両親が心配するほどに、時には寝食も忘れて、服作りに励む。
(そうよ、そうだわ!『彼女』には、赤より黄色の方が似合うの!)
不思議なことに、エミリーの中では『彼女』の実体が、どんどんと鮮明になっていった。……そう。『お人形』の枠にはもう、『彼女』は収まらなくなっていたのである。
最初こそ人形サイズの服で練習していたが………。その内に、作り出す服は本格的に、そして実用的なものになっていった。
(──『彼女』は細身で………歳は私と同じ頃。運動が好きで、お喋りが好きで、可愛いものが好きで。お転婆だから、外へ遊びに出ては、いつもどこかに傷を作る。だから、長袖長ズボンがマストだけど、『野暮ったい』のは大っ嫌い!)
──チクチク、チクチク………。
(だったら大胆に柄を入れて……。あ、日に焼けたら可哀想よね。帽子も作って……。そうだ、なら髪型も変えよう!きっと編み込んだポニーテールが似合うはず!!)
──チクチク、あみあみ………。
─「……ねぇ……?エミリー…?」。
「!ふふっ。もちろん忘れてないわよ?ふりふりでヒラヒラのスカートでしょう?待ってて、それも作るから。しかも、とびきり可愛いのを!」
そう伝えると、『彼女』のお馴染みの笑顔がより一層輝いた気がした。
そして、あっという間に16歳の春────。
エミリーは、働いていた。……小麦畑ではなく、町の服飾店で、である。
その頃には、『彼女』もエミリーの空想上、共に16歳の少女になっていたので───思春期を迎え、新しい物好きと冒険したがりに拍車の掛かった『彼女』のため、エミリーは変わらず洋服を作り続けていた。
……花も恥じらう乙女となった『彼女』が、それを着て町に繰り出しては──「良いでしょ?私のお友達の手作りなのよ!」と鼻高々にそこいらを歩く。
その空想だけで、服を作る達成感は大いに満たされていたのだ。
自分で着るわけでもない人間大の服を、延々作り続ける娘に、両親は参ってしまったに違いない。でなければ、「一人娘が他の若者のように、町へ出たがったらどうしよう」などと言っていたのを、手のひら返しする理由がなかった。
更には、「どうせなら1人遊びで培った技術を活かせるように…」と、この店の店主に口利きまでしてくれたのである。
ただ1つ、不満があるとすれば───その店で実際やっていたのは、服作りではなかった……ということだろうか。
町と言ってもさほど人の多くない小さな町では、洋服を一から作る依頼など、そうそう入っては来なかったのである。売れるのは安い既製品で、たまに入る依頼は「大物のカーテンを縫う」とかだ。正直、家に籠っていたときよりは、服を作る時間は減っている。
…それでも、エミリーがその店で働き続けたのには訳があった。
───小さな店の、小さなショーウィンドウ。
丁度1着しか入らないような、狭いスペース。
小さな豆電球が付いただけの、スポットライト。
だが間違いなく『店の顔』と言っても良いそこに───なんとエミリーが作った服を、飾る権利が与えられていたのである。
町で知らない者がいないほど、むかーしむかしからやっている服飾店なので。「多少奇抜な服が飾られてても、大して客足変わんないから」という店主からのお言葉に甘え、エミリーは季節が変わる毎に、『彼女』の服をそこに飾らせてもらった。
本来なら誰にも見られることなど無かったはずの服が、町の片隅であっても日の目をみるようになったのだ。嬉しくない訳がなかった。
そして、汽車の駅が近くに作られ、しばらくしたある日。
ショーウィンドウに張り付いた矢鱈目たら美しい見慣れぬ女性が、ものすごい勢いで店の扉を開いたのだ。
「この服を作ったのは誰!?!?!?」───と。そう叫びながら。
▼対応しているお話はこちら 「狼商人は誓われる※」
https://ncode.syosetu.com/n0111gi/18/