狼商人は傘を差す
───ザー……ザー………。
「………はあ、」
真っ黒の雨雲と、そこから降り注ぐ水滴。
それを眺めながら、ヴォルフは駅前のロータリーで1人、ため息をついた。
この1週間、ヴォルフはアスガルズ王国の北側で出張だったのだが…………どうやらそこよりも一足先に、王都は梅雨入りを迎えていたようである。
(どうするかな……)
身軽さを好むヴォルフは、もちろん雨に備えた折り畳み傘など持ち歩いてはいないのだけれども、問題はそこではなかった。
………雨だと、馬車待ちの列が混むのである。
「………」
案の定、ロータリーには雨避けの届かなくなるギリギリまで行列が出来ていて。
ヴォルフは内心で舌打ちした。───いや、自然現象にあれこれ言ったところで、どうにもならないのは分かっているのだけど。
(……傘買って歩いた方が早いか)
割り切って、売店に向かおうとしたその時。
「───ヴォルフ!」
呼ばれた名に振り向く。
ぱしゃぱしゃと近付いてくる水音……その発信源は、日も落ちた上に雨、という視界の悪い中、黄色く光ってその存在を教えてくれた。
鮮やかな色のレインコート………そのフードの中に見えたのは、7日ぶりである愛しい人の顔だ。
「リア!?」
「ああヴォルフ、間に合って良かったよ!」
そう言って、アリアナが屋根の下に入り、ニッコリ笑った。フードを下ろすと、いつもよりボリュームは無いのに何だかふわふわして見える髪の毛が目に入る。
ヴォルフは愛らしいそれを撫で付け、コートでは防ぎきれなかったらしい頬の雨粒を、ぐいと拭ってやった。
「……お前、仕事帰りだろう。わざわざ迎えに来てくれたのか?」
「ふふ、だって今朝傘立てを見たら、君のが置きっぱなしだったからね。放ってはおけないだろう」
そう言って、手にした傘を掲げながらアリアナが笑う。彼女の退勤時間と自分の駅到着時間はまあまあタイトだ。…ここまで走ってくることを前提に、彼女は今日、傘じゃなくレインコートを選んだのだろう。
(…………)
閉じられたままの自分の傘。
──「ありがとう」。受け取りながらそう言おうとしたヴォルフより先に、アリアナが口を開く。
「あっ!…さては君、馬車に乗ろうとしてたな?歩いても家まで20分と少しなのに!」
「横着するな!」とでも言いたげなアリアナに、ヴォルフは肩を竦ませて笑った。
「しょうがないだろ………1秒でも早く、家に帰りたかったんだ。
───でも今、『0』になった」
「…?…なあ君、私の話聞いてたのか?」
と、アリアナが困ったように首を傾げる。そしてフードを被り直してから、ニッと笑って言った。
「これから歩いて一緒に帰るんだよ!───私と!」
ぎゅっ!と繋がれた手は水に濡れて冷たい。けれど熱が溶け合ってすぐに温かくなった。
引っ張られる腕に着いていきながら、ヴォルフは慌てて彼女から手渡された傘を差す。
手繋ぎの距離だと、傘からこぼれ落ちた雨がアリアナの頭辺りにあたってしまうのだが、彼女は気にもとめていないようだった。
雨の中、鼻唄でも歌い出しそうな程ご機嫌に、言葉を操る。
「君の出張中に、中央広場の紫陽花が咲いたんだ。今見頃だぞ?ついでに見に行こう、ヴォルフ!」
そう言って、アリアナがこちらを見上げて笑った。
「ああ、そうしよう。
……あと、迎えに来てくれて本当にありがとう。リア」
ヴォルフの言葉に、アリアナが「どういたしまして!」と微笑んだ。
皆さんは梅雨って好きですか?
私は災害に発展しない限りだいすき!