専属御者は語る
「鹿騎士と狼商人」の始まりを、こっそりと見守っていた人たちの話。
『フィリップ・カーター』。
男は、心優しい人間だった。
逆に言うと、『ただそれだけ』の男でもあり、かつ引っ込み思案でもあったフィリップに寄り添ってくれるのは、もっぱら実家の農園に暮らす動物たちだけであった。
(別に、独りぼっちでも良い)
そう思って生きていた男にとって、人との関係がより密接であることが求められる田舎は息苦しく、また、そこに住む村人たちがフィリップを『動物の世話をすることだけが生き甲斐の変わった男』と影で噂するのも、悲しいかな、当然のことと言えた。
それらは年齢がかさむ毎に酷くなり、遂に限界を迎えたフィリップは、両親が切り盛りする農園から旅立ち、都会へと出稼ぎに出る決意をする。
両親はフィリップの性格を熟知していたので、大層不安がったが、フィリップ自身は何も心配していなかった。
それもそのはず。自分には、子供の頃からずっと一緒の馬──この栗毛の親友がいてくれさえすれば、他には何も要らなかったのである。
他人に無関心な街の風景に、ひっそりとフィリップは紛れ込んだ。不思議と良く馴染む気さえする。
ここでは、フィリップが「どんな服を着ていたか」とか、「どんな趣味があるのか」なんてことを、逐一気にする人間は1人もいなかったし、生きていくための仕組みを回すのに必要な、最低限の金さえあれば、誰も彼を咎めなかったのである。
馬1頭と、人1人。貯金や家族もなかったけれど、その日を暮らすのに大きな苦労などはなかった。ここに住む人間は皆がみんな、『足』を必要としていたから。
「──さあ。今日も頑張ろう。少なくとも1日の飯代分位はな」
綺麗にブラッシングしてもらって、今朝もご機嫌な親友に、フィリップは話しかけたのだった。
───コンコン。
街中の至るところに設置されている水桶で、親友に水分補給をさせていると、突然馬車の扉を叩く音がした。
サッ、と振り返る。
まだ幼さの名残がある美しい顔をした男が、馬車の隣に佇んでいた。
「……11番通り──銀行の向かいにあるカフェまで行きたいんだが、良いかな?」
どうやらお客さんらしい。
「ああ…と、…申し訳ないですが、今はこいつの…」
───ブルルッ!
「休憩時間なんです」──と。
そう続けようとした時、発せられた大きな嘶きに、フィリップは驚いた。
『彼』はとても大人しくて賢い馬だから、仕事中こんな風に首を大きく振って声を上げたりしない。
──「良いぜ、乗せてやろう。俺は平気だから」。
そう言っている気がした。
「……ちょうど、休憩時間が終わったところです」
「そりゃ良かった。じゃあ、よろしく頼むよ」
そのお客はひらり、と優雅に馬車へ乗り込んだ。
御者台からちょうど降りていたので、扉はフィリップが閉める。
その時近くで見えたお客の顔は、少し青白く見えた。……あまり寝ていないのかもしれない。
今いるのは、カレッジが解放している図書館前。
(じゃあ、この人は学生なんだろうか。……いや。それにしては、随分と仕立てがよいスーツを着込んでいる……)
そこまで考えて、フィリップは己を恥じた。
他人から認識されることすら億劫なくせに、自分はこんな風に他人を詮索するだなんて。
それはなんだか、ひどく矛盾した野次馬根性だと思った。
見ていたことを誤魔化すように、フィリップは訊ねる。
「お急ぎですか?」
「…?」
その質問に、客は怪訝そうにする。
(ああ。──墓穴を掘ったか?)
フィリップは、胸がざわざわした。
(慣れないことはするものじゃないな、くそ)
と、内心で赤面したフィリップ。しかし、対するお客は面白そうに片眉を引き上げ笑った。
「実は、銀行に大事な話をしにいく用事があってね。カフェは時間潰しなんだ。
まあ、そのカフェで軽食でも摂れる位、時間に余裕が出来れば言うことなしだけど」
「別に、そこまで急ぎじゃないよ。普通に向かってもらって構わない」──そう言って、彼は座席の奥へと引っ込んだ。
(──……なるほど。その年齢にそぐわない服は、この人にとっての勝負服というわけか)
きっと、これから相手取るやり手の銀行員に舐められないよう、自身の不足をカバーする役割もあるのだろう。
────フィリップは、御者台に腰を落ち着けた。
◇◇◇
「──お客さん。着きましたよ」
声をかけると、客が飛び起きる気配がした。
「そんな──まさか、俺寝てたのか…?」
余程疲れていたのだろう。馬車が走り出して数分で、このお客は眠りに落ちていた、と思う。
「あんた、やるな!
俺、昔馬車で事故ったことがあって、それ以来全然車内では寝てなかったんだぜ?」
「えっ、と。そうですか。無事お休みいただけたようなら、良かったです」
「時間は……、」
降車する方と反対の窓から、客が時計塔を探す。
「…………予想より15分も早い」
先程から、えらく感心してくれているご様子だが、何も特別なことはしていない。
馬車を引いてくれるのは親友だ。『彼』の行きたい道、歩きやすい場所を選んでただ進めばそうなる。
「……腹拵えはできそうですか」
「──充分!」
嬉しそうに、客は言った。
すとん、と降車し、彼は賃金を払う。その頃には、仕事としてひとつの区切りが付いたため、フィリップの興味も失せていて。目も合わせずに、お客から硬貨を受け取ろうとしていた。
───カサ。
「………?」
手の平に、紙幣とは違う感触。
目の前まで持ってくると、それは名刺だった。
(──マーナガラム商会、商会長……?)
『ヴォルフ・マーナガラム』………。
「!聞いたことある……!」
「そりゃどうも」
と、客が笑った。
思わず彼の顔に焦点を当てると、そこには乗せた時とはまるで雰囲気の違う男が立っていた。
自信にあふれ、「己の進む道に間違いなどない」と信じきっている男。内から輝きが溢れ出るんじゃないか、と言うほどに際立っている。
彼が、最近話題となっている、商会を弱冠18歳で立ち上げたという若社長か。
(──……何が『自身の不足をカバーする』だ)
…全然違う。ヴォルフにはこの素晴らしく高級なスーツでなければ、見合わないのだ。
フィリップは、自身の認識を、そっと訂正した。
「なあ」
「、はイっ?」
声が緊張で裏返る……。
(やめてくれ。住む世界が違う人とは、もっと話したくない!)
その本音を知ってか知らずか、ヴォルフはニッ、と少年のように笑って見せた。
「──今、商会専属の御者を募集中なんだ。
もし、あんたがマーナガラムの雇用契約書へサインしに、名刺の場所まで来てくれるってんなら、俺は絶対にあんたを雇うよ」
「……?!?!な、なんで……!?」
ヴォルフは肩を竦め、片眉を引き上げて笑った。
「馬のことは分からないが………『人』のことには多少目が利く方でね」
一瞬、ヴォルフは親友を見遣る。親友も、彼を見ていた。
「──あんた、この馬より酷いナリしてる」
「!」
「…この銀行の融資を受ければ、もっと商会はでかくなる。そうしたら、食いっぱぐれる心配はまずないだろう。それだけの給料は出す」
「融資を受けられない場合」は、ヴォルフの中で存在していないらしい。
「……きっと、この相棒も、あんたが自分に釣り合うようになることを望んでるだろうぜ。な?」
その問い掛けに、親友は耳をぱたん、と動かす。
──「連絡待ってる」。
そう手短に言い残して、ヴォルフは歩き去ってしまった。
「『酷いナリ』……だって」
確かに『彼』のことは自分が、耳の先から尻尾の先まで毎朝ピカピカにしている。肉体労働で最高のパフォーマンスを引き出すには、日々のメンテナンスが不可欠だからだ。……でもそんなのは自分が誰にも言わずに勝手にやっていることで、他人に気付かれたことなど無かったのに。
ちぐはぐな自分と『彼』の風体。
ヴォルフは、最初から違和感の理由が分かっていて、自分に声を掛けて来たんだろうか。
「……なあ、どう思う?」
親友に語りかけるも、返事は返ってこない。……珍しい。
フィリップは考える。
(…久々に、他人から興味を向けられた)
今までは、それがどうにも自分を固くさせたけど。
……ヴォルフからに、関しては…。
(──なぜだか誇らしいような………そんな気持ちに、させられた)
「…どうしようか………」
それにも親友は応えてくれなくて、フィリップは「無視しないでくれよ…」と、泣き言を言ったのだった。
──その1週間後。
フィリップは、以前より少しは身なりを整えた状態で、マーナガラム商会ミズガルダ本社に訪れていた。
慣れない場所で、どぎまぎしてしまう自分に。
「よお、待ってたぞ」と、雇用主は笑った。
◇◇◇
──カランコロン。
とある飲食店の前。扉が開いたことを知らせるその音が鳴る度に、「待ち人が退店してきたのではないか」と思い、目線を上げる。
だが、その姿は見えなかったので、フィリップはもう一度、手元の地図に意識を戻した。
アスガルズの王都。そしてその周辺の地図である。
ヴォルフが、更なる商会の発展を目指して「貴族の妻を娶る」と言い出した時、大体の社員はそれに賛成した。ほとんどの者が彼の決定を尊重したし、その成功を疑うことなどなかったのだ。
しかし、中には根強く反対している者もいる……。
そもそも『貴族』を良く思っていない層が、一定数いるのだ。
そんな彼らをも納得させるような相手を、なんと「アスガルズまで探しに行く」と言った時は大変驚いた。
が、それでもフィリップの意思は揺らがなかったのである。
自分は、マーナガラム商会専属御者。中でも商会長を乗せることに関しては、他の御者に譲れるはずもなかった。…それは、親友も同じはず。
アスガルズ王国でする初めての仕事。
<Rope's Kitchen>に隠れているであろう『契約相手候補』の元へ、ヴォルフを送り……お相手様が商会に相応しい人間であれば、そのお方を乗せてお見合い会場へ。
なんとも荷が重たい仕事である……もしかすると、未来のマーナガラム夫人を乗せるかもしれないのだ。……それも、『貴族』の。
緊張が、親友に伝わったかもしれない。ピクピク、と耳を忙しなく動かしている。ヴォルフはまだだろうか。
──カランコロン。
その時。ちょうどヴォルフが、姿を現した。すぐ後ろから付いてくる女性──は……?
些か、フィリップが想像していた『伯爵令嬢』とは、違っていた。
さっぱりとしたショートカットの髪に、緑の透き通ったピカピカの瞳。パンツスタイルで、日に焼けている。
「──この馬車は、君の商会の?」
声、も。なんだか違っていた。すごく、落ち着きのある声だと思う。そして、柔らかい。
「そう。
フィリップ。予定通り、マクホーン邸へ」
「─はい」
ぶるっ!
親友も、ヴォルフに応えた。すると、お相手様が─アリアナ・フロージ・マクホーン伯爵令嬢様が─目をきらめかせる。
「わあ…、素晴らしい馬だ。『彼』の名前は?」
「えっ」
フィリップは驚いた。
どうして、この人はそのようなことを気にするのだろう。
(ただの御者…と、その馬。なの、に……)
「…あ、エ……『エクレウス』、でございます」
戸惑いがちに、フィリップは告げる。
──星。その中でもぼんやりして、いるのかいないのか分からない位の輝き。でも、深い真っ暗闇でこそ、その存在を主張し、形を成す。
『彼』がその名の通り小さかった──『こうま』の時から、自分達は共に人生を歩んできた。当時は、誰も見ていない時間帯を狙って2人で星を眺めるのが、大切な日課だったのである。
………するとお相手様の顔が、ひどく優しく綻んだ。
「ああ…──すごく、良い名前ですね」
由来となった、腹部に散る白斑。…それが、強い日の光に照らされ一瞬煌めく。
「!、は、はい──いえ、そんな。ありがとう、ございます」
どうしてだか、アリアナが大事な親友を──エクレウスを──優しく撫でながらそうやって笑ってくれるだけで………ぐんぐん目元が熱くなってきて…フィリップは混乱した。
──「理解された」……──。
…そう思ったからだ。
普通に考えればあり得ない。だが、明確にそう感じた。
…それは、ある意味恐ろしいことだと思う。だって、出会ってまだ3分も経っていない。
動揺するフィリップに、何故かヴォルフが得意気に笑って見せた。
まるで「どうだ?」って、見せびらかすみたいに。
フィリップは、思わず笑った。
(──ええ。やはり、あなたの慧眼は素晴らしい)
▼対応しているお話はこちら 「鹿騎士は接客する」
https://ncode.syosetu.com/n0111gi/2/