5、前日談ばかりは手の施しようがない
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クラウス・フォン・ダイヤモンドが前世の記憶を取り戻す、五年前の事。
第143期帝国立学園卒業記念パーティーの会場。先程まで賑やかだったそこは、今は静寂に満ちた場へと化していた。
思い出を語り合い、別れを惜しみ合っていた卒業生や生徒達は大広間の端の方へ寄っており、例外無く息を呑んで一点を見つめている。そこに位置するのは、それぞれ目立つ容姿をした、三人の人物。
事の発端は数分だけ、時間を遡る。
「エリザベート・フォン・ラピスラズリ公爵令嬢、貴様に婚約破棄を申し渡す!!」
大広間の中央に立ち、大音声で婚約破棄を告げたのは、ジュエリー帝国皇太子のカールハインツ・フォン・ダイヤモンド。豪奢な金髪と、見るものの目を奪う紫の瞳を持つ、物語から抜け出てきたような美貌の持ち主である。
王子らしい純白の地に金糸の繍いとりが成された礼服の袖は、淡い桃色のドレスを身につけた少女を抱き締めている。ミカエラ・フォン・キャッツアイ男爵令嬢。紅茶色の髪と、紺碧の瞳を持つ、愛くるしい容姿をしている。
対して、二人に向き合う形で立つ、先程のカールハインツの台詞の二人称にあたる少女は、愛らしいというよりも美しいという表現の見合う容姿をしていた。
空気に溶けてしまいそうな、薄い色の銀髪。
彼女の実家に代々受け継がれる、桃色の虹彩。
異常とも言えるほど真っ白できめ細やかな肌。
まるで作り物のよう。彼女を見た誰もがこの感想を持つ。それ程、エリザベートの容姿は現実離れしていた。
皇太子の言葉に返そうと、彫刻家が魂を込めて彫り上げたような、珊瑚色の唇が動く。
「殿下のお気持ち、理解いたしました」
長い髪に遮られ、その表情はわからない。
「それほどに、ミカエラ様の事を、愛してらっしゃいますのね」
きゅ、と、唇が噛み締められる。
「ほう、殊勝な事だな!一を聞いて百を知るとは、流石は俺の『元』婚約者だな!」
尊大な態度の皇太子は、「元」を強調して言った。薄笑いを浮かべたその顔には嗜虐心さえ感じられる。
弱いものを、強いものがいたぶる様。
この場に立ち合った貴族の一人は、後にその様子をそう表した。
それほどに、両者の差は歴然としていた。
方や、自信に満ち溢れた、自分の発言を咎められた経験の無い皇太子。
方や、生まれたその瞬間からこっち、制約で圧され続け、逆らうということを知らない公爵令嬢。
その場にいた誰もが、彼女が皇太子の言葉を受け入れたのだと思った。
ただ一人、当事者であるエリザベートを除いては。
ふわり、と優雅極まりない所作で、顔を上げる。
そして、美しさを凝縮した笑みを浮かべつつ、再度、唇を動かした。
「殿下」
「なんだ?『元』婚約者の俺に何か言い残す事でもあるのか?まさか、未練がましく婚約破棄を取り消せというわけではあるまいな?」
「いいえ殿下、取り消せとは申しません」
そんな、と呟いたのは、エリザベートの友人達。彼女がどれ程カールハインツを愛していたのかを知る者達。そのうちの一人が、三人を取り囲む輪から走り出で、エリザベートを守る様にカールハインツの前に立ちはだかった。ナディーネ・フォン・オパール侯爵令嬢。エリザベートの幼馴染で最も近しい親友だ。
「皇太子殿下、それはあんまりななさりようでございます。これまでエリザベート様は」
「ナディーネ様」
「?」
「お気持ちは大変嬉しゅうございます。しかし、わたくしを庇う必要はございませんわ」
「でも…」
「心配は、ご無用でしてよ」
尚もいい募る親友にありがとうございます、と微笑むと、エリザベートは、カールハインツに視線を向けた。
そして、
「だって。」
三度、微笑んだ。
「わたくしは。」
それは、これまでに、二度、彼女が浮かべたのとは全く趣の異なる微笑。
「婚約破棄を受け入れるつもりなどさらさらございませんもの」
貴族の家に生まれた女性は、余り率直に感情を示さない。まして、公爵令嬢ともなれば余計にその必要度は上がる。現に、エリザベートが最初にカールハインツに向けた笑みと、ナディーネに向けたそれは、「作られた」というべきものだった。
しかし、今、彼女が浮かべているのは、そんな表面上の微笑ではない。にっこりと。艶やかに。心の底から。
エリザベートは笑っていた。
「なっ…何を言う!皇太子たる俺の言葉に逆らう気か!」
「逆らうも何も、わたくしは殿下に『命令』されたわけではなく『宣告』されただけですわ。それにジュエリー帝国憲法の第27章178節に『婚約破棄が行われるのは男女双方及び両者に最も近しい親族各二名(存命の場合)が同意した時、又は男女どちらかが犯罪を犯した時』とありますので、殿下の独断では婚約破棄の実行はできませんわ。」
ぐっとつまった皇太子に、引き続き輝くような笑みを浮かべた公爵令嬢は、
「まさかご聡明な殿下がご存知無いとは思えませんが、このように初歩的な事をお忘れになるとは、お身体の調子がお悪いのでしょうか?」
「ふ、普通は憲法の細かい事など知らんだろう!き、貴様がおかしいのだ!」
「おかしい、と、おっしゃいますか。しかし、この程度の知識は皇后の立場に立つものならば弁えていて当たり前の物ですわ。」
まあ、と口にし、彼女は皇太子からミカエラへと視線を移す。
「一介の皇妃には必要ないと存じますが。」
「ひどいです、エリザベート様!何であたしとカール様の仲を邪魔するんですか?そんなに婚約者の座が大事なんですか?みっともないって、思わないんですか?」
明らかに自分に向けられたとわかる言葉に、これまでは一度も口を開いていなかったミカエラが、耐えきれないというように叫んだ。
「そうだぞ!エリザベート!何故俺達の恋路の邪魔をする?!」
便乗するように怒鳴るカールハインツは無視して、エリザベートは正面からミカエラを見詰めた。
「まず、貴女には根本的に皇后としての素質がありません。一人称はあたし、正式な敬語も使えない、外国語は一切話せない、マナーもろくに身に付けていない、楽器の一つも弾けない。本当に貴族なのかを疑いたくなるような方ですもの。」
「ひどい!あたしを侮辱するのね?!あたしが男爵家の庶子だからって!」
「言葉が過ぎるぞ、エリザベート!」
同時に叫んだ二人に、エリザベートは冷ややかな目を向ける。それに対抗するように一歩足を進めると、ミカエラはエリザベートに人差し指を突きつけ、喚いた。
「マナー?言葉遣い?そんなもの、あっという間に学べるわよ!いいえ、学んで見せるわ!だから私達を邪魔するのをやめて!」
涙ながらのミカエラの声に、エリザベートは少し考え込んだ。
「ならば、何故学園にいた三年間、何も身に付けなかったのですか?どれも、授業で学べた物のはずですのに。」
「カール様との時間が惜しかったのよ!」
「では、1ヶ月の猶予を差し上げます。その間にわたくしが12年掛けて学んだ事を全て習得して下さいませ。そして」
「嘘つかないでよ!あんたがカール様の婚約者になったのって6年前じゃない!」
「話の腰を折らないで下さいませ。わたくしは、嘘など申しておりませんわ。確かにわたくしが殿下の婚約者になったのは十二の時ですが、淑女教育自体は六歳の時から受けておりましたもの。上流貴族では一般的な時期です。」
「っそんなの…!努力すればあっという間にできるわよっ!だから、もし私が勝ったらあんたは皇妃の座も放棄しなさい!その代わり、あたしが負けたらあたしも皇妃の座を諦めるわ!いいでしょ?」
「…よろしいでしょう。」
「ミ…ミカエラ、それは!」
「カール様はあたしが負けると思ってるんですか?」
「そうだな、こいつごときに俺のミカエラが負けるはずがない。そうと決まればこいつに構っている暇はないぞ。これからすぐにレッスンを始めよう。講師は俺が用意する。さあ行こう」
「カール様!ありがとうございます!やっぱりカール様は優しいですね!」
それまでとは一転、笑顔になったミカエラを促し、カールハインツはエリザベートを一度も振り返ること無く、大広間を後にした。