Piano Sonata No.2 in B-Flat Minor, Op.36, No.2 / Rachmaninov
クラシック名曲インスピレーションシリーズ 第三弾。
なのですが、正直なところ、これは話が先に浮かんで、雰囲気の近い曲を合わせました。
二次元の女の子に恋をした男の話。
彼女に恋をしたのは、幼い日のことだった。
僕がまだ小学校の低学年だった頃。
夢とうつつの区別もついていなかった。
陽に透ける白金の柔らかい髪、明るく澄んだ碧色の瞳。
柔らかく聡明な笑顔、透き通るような声。
彼女を見るたび胸が締め付けられた。瞬きをする間さえ惜しんで彼女を追った。繰り返し繰り返し。
彼女はこの世界の住人ではなかった。二次元の世界の住人だった。
まだサンタの存在も信じていたころの話だ。
そんな頃だから、神様に無邪気なお願いをした、彼女に逢わせてください、と。
将来、この世界の誰かと結ばれなくても構わない。この世界の幸せはいくらでも我慢するから、彼女につりあう男になって、彼女の世界へ連れて行ってくれませんか。
その頃は半ば本気で信じていたのだ。
机の引き出しを開いて未来のロボットと出会った少年のように、月明かりの夜道を歩いていたら、不思議な魔法使いが現れて、僕の願いを叶えてくれるのではないだろうかと。
当然そんな奇跡は起きなくて、代わり映えのしない日常が続いた。
いいことがあった日も、うまくいかなかった日も、
僕は毎晩彼女のもとへ通い続けた。
想像上の話だ。
ベッドに入って眠くなるまでの数十分、僕は理想の男性になって、理想の女性である彼女のもとに通い続ける。
飽きもせず同じ妄想を続けた。
何度も何度も彼女を抱いた。
それは少しずつ形を変えながら、数十年も続いた。
現実の僕はいい大人になって、いつのまにか彼女の歳を超えてしまった。
それでも、僕は飽きもせず、彼女のもとに通い続けた。
それが寝る前の儚い妄想だけにとどまらず、徐々に現実の生活をも蝕んでいることに気づいたのは、最近のことだ。
僕の妄想は、ある意味では暇つぶしでもあったし、ストレス解消の手段でもあった。
長い会議でくだらない話を聞かされている間、どうしてもやる気が出ない時、僕は、彼女を想像することで現実逃避していた。
それはそれで、手軽な気分転換の方法だろうと思っていたのだが、
あるとき、それは海外旅行で車窓から美しい風景を楽しんでいた時に、僕は、そんなときに、どうしても彼女の妄想をしたくて仕方がなくなってしまったのだ。
その時に僕は気づいた。彼女のことを想うとき、僕は現実世界にいないのではないのだろうか、と。
神様は、もしかしたら少年の僕の願いを叶えてくれたのかもしれなかった。
魔法のような方法ではなく、現実的に可能な方法で。
僕は、もしかしたら、人生の半分くらいを彼女とともに過ごしているのかもしれない。
望み通りに、美しく逞しい青年になって、恋い焦がれた彼女と愛を分かち合い、永遠に誰にも邪魔されず過ごしているのだ。それはきっと、僕の人生が終わる時まで、ずっと。
もうひとつ、最近気付いたことがある。
しばらく彼女を忘れることができたとき、つまり現実世界にとどまっていられる時、すべてのことが順調に運ぶ。
おそらくは、現実の物事に集中でできているのだろう。
本来、僕はこうあるべきだったのだ。これが僕の実力なのだとしたら、本来、この状態でいられたはずなのだ。
ときどき思う、もしかしたら、これは彼女が僕から解放されたがっているのではないのだろうか。
けれども、僕は彼女を忘れられなかった。
彼女に会いに行くのをやめようと思ったことは何度もあったが、ひと月ともったことはない。
僕は、幼い頃に愛した彼女が今もなお魅力的なのかどうか、ほんとうはもう、よくわからない。
なぜ彼女に拘るのかさえわからなくなってしまってもなお、記憶を自分好みに作り変えて、彼女に尽くすことをやめられないでいるのだ。
呪縛なのか。依存なのか。逃避なのか。
わからないまま、僕はこれからも、彼女に愛を捧げ続けるだろう。
いつか僕が耄碌して、夢もうつつもわからなくなったとき、現実に彼女の名を口にするのではないだろうか。
ああ、でも、もし死後に彼女のもとへ行けるのだとしたら、喜んでこの魂を捧げよう・・・
ラフマニノフの甘い旋律は、「これは誰を想ってつくったんだろう」と思わずにいられないような、愛とか恋とか「恋焦がれる気持ち」を連想させるものが多い気がします。ロシア美女の微笑む姿が眼に浮かぶような・・・
この曲はわりと地味で鬱屈した感じもするけど、月明かりのような静かな美しさがあるような気がします。